黒木茜(あかね)の乗馬キャリアのスタートは遅い。20歳で初騎乗、馬場馬術を始めたのは25歳の時だった。33歳で有料老人ホームを立ち上げ、アスリートとしてだけでなく、約70名の従業員を束ねる経営者として奮闘する。アスリート社長の夢は、夫婦でのオリンピック出場を果たすことだ。
25歳で馬場馬術を始め、33歳で社長に
リオデジャネイロ五輪にも出場した馬場馬術の日本代表、黒木茜(あかね)は異色のキャリアの持ち主だ。1978年8月13日に兵庫県加古川市で生まれ、東播磨高校から神戸総合医療専門学校を経て放射線技師として就職。2012年、33歳の時に起業し、従業員約70名の有料老人ホームを経営している。
2012年以降、馬術のトレーニングはオランダで積んでいるため、日本とオランダを往復する日々で多忙を極める。それでもトレーニングや大会に参加する合間を縫いながら、仕事にも精を出す。
幼少期から乗馬を始める競技者が多いなか、黒木と馬術との出合いは遅い。20歳の時に家の近くの乗馬クラブで初めて騎乗した。馬場馬術の競技を本格的に始めたのはそれから5年後の25歳になってからだ。着々と国内大会で結果を残し、2012年11月の「全日本馬場馬術大会セントジョージ賞典馬場馬術・決勝」で5位入賞。その後はオリンピック3連覇を誇るアンキー・ヴァン・グルンスヴェン(オランダ)に師事し、国際大会での経験を重ねていった。
2015年には日本代表に初選出され、リオデジャネイロ五輪のグループ予選でチーム2位の成績を残し、日本の団体出場権獲得に貢献する。2016年からはオランダの名手であるイムケ・シェルケンズ・バーテルスとティネケ・バーテルズの指導を受けてさらなるレベルアップを図り、リオデジャネイロ五輪への出場を果たした。競技と仕事、どちらも手を抜くことのないタフなアスリート社長として、幅広く活躍している。
夫は平将門の子孫。夫婦で東京五輪をめざす
前回大会で念願のオリンピック初出場を達成したものの、黒木には叶えられなかった夢がある。それは、「夫婦でのオリンピック出場」だ。黒木の夫、相馬小次郎は同じく馬場馬術の選手で、乗馬クラブのオーナーでもある。黒木は1人目の生徒で、2001年の出会いから7年後の2008年に結婚した。
夫は平安時代の武将、平将門の子孫で、曽祖父と曾祖母は老舗食品メーカー「新宿中村屋」の創業者という華々しい家系で育ち、黒木のプレーに関して長所も短所も熟知する良きパートナーだ。2012年からともに練習拠点を海外に移し、夫婦でのオリンピック出場を目標に掲げ、お互いを高め合ってきた。
しかし、リオデジャネイロ五輪で、夫は愛馬の故障のために代表選考会の参加条件を満たせなかった。夫の無念も背負いながら戦った黒木は、代表権こそつかんだものの、本大会では個人1次予選で50位に終わり、2次予選に進めずに敗退した。
夫婦での夢はまだ諦めていない。2020年こそは2人そろってオリンピックへ——そして個人では前回大会を超える成績を目標に掲げ、鍛錬を重ねる日々を送っている。