プロ生活は10年を超える。世界最高峰の自転車ロードレース、ツール・ド・フランスで二度の区間敢闘賞を獲得した新城幸也(あらしろ・ゆきや)の原点は、父の姿だ。地元自転車競技連盟のメンバーだった父のレースを見て育ち、父がつないだ縁がキッカケで決めたフランスへの自転車留学を通して本格的なサイクルロードレース人生を進み始めた。
中高時代はハンドボールとの二刀流
日本の自転車ロードレース界を牽引する新城幸也は1984年9月22日、沖縄県の石垣市で生まれた。
原点は父の姿だ。父の貞美さんは石垣に拠点を置く八重山自転車競技連盟の一員で、定期的にレースに参加していた。自転車競技が身近にある環境で育ち、自身も小学生の時にロードバイクを父に買ってもらった。
ペダルをこいで風を切る時間が楽しかった。登野城小学校時代から、地元開催の万勢岳ヒルクライムやわんぱくトライアスロン、沖縄県選手権自転車ロードレースなどに参加。早くから自転車の魅力を体感していた。
石垣市立第二中学校に進学後、ハンドボールと出合う。日々のトレーニングに打ち込み、ハンドボールの腕を磨くと、八重山高校に入学してさらに才能を伸ばした。高校3年次にはハンドボールでインターハイ(全国高等学校総合体育大会)に出場している。大学進学後もハンドボールを続け、将来は学校の先生になる──そんな未来を描いていた。
ハンドボールに励みながら、自転車レースにも力を入れていた。高校時代は自転車にまたがり国民体育大会の沖縄県予選やツール・ド・おきなわの高校生レースに参戦。そして1つのめぐり合わせが、夢の方向をハンドボールから自転車に変えた。
日本の自転車界をリードしていた福島晋一・康司兄弟との出会いだ。ある日、福島兄弟がかつて支援を受けたことがある父のもとを訪れた。石垣の自転車レーサーたちの練習に参加した際、新城少年はプロの2人に必死に追いすがった。その猛追と負けん気の強さを肌で感じ取った福島兄弟は「この子は強くなる」という確信を抱く。「自転車の世界に引き込みたい」と新城少年の父に声をかけた。
ツール・ド・フランスで区間敢闘賞を2回
福島兄弟の評価は非常に高かった。2人の要望は「自転車レースの本場フランスに連れていきたい」というもの。両親とも相談、熟考の末、新城はフランスに自転車留学する道を選んだ。
渡仏直後はレースに参加しても勝てない日々が続いた。サドルのポジションやペダリングをどうしたらいいか、試行錯誤を重ねた。留学期間は3カ月。当初は帰国したら予備校に通って受験勉強に力を入れようという思いがあったが、石垣島に戻るとすぐに再びフランスに渡った。留学を支援してくれる福島晋一からは「失敗したことを忘れないように」という言葉をかけられ、肝に銘じた。
その後は失敗をプラスに変える意識と持ち前の素質を生かし、着実に成長を遂げる。2005年と2006年には全日本自転車競技選手権大会のU23カテゴリーを制し、2007年の全日本選手権の男子エリートで優勝を果たす。2008年にはフランスに拠点を置くプロチームと契約を交わした。
2009年には世界最大級の自転車ロードレース、ツール・ド・フランスに初参加。別府史之とともに、日本人として初の完走を果たす。翌年にジロ・デ・イタリア、2015年にはブエルタ・ア・エスパーニャと、全グランツール完走を達成。ツール・ド・フランスでは2012年と2016年にステージ敢闘賞を獲得している、オリンピックにはロンドン大会とリオデジャネイロ大会に出場。フォトグラファーであり、自身のマネジメントも務める飯島美和と築いた強い信頼関係も、少なからず好パフォーマンスにつながっている。
東京大会は3度目のオリンピック。メディアに向けて「どうしたらメダルを取れるか。そこに尽きる」と話した日本屈指のロードレーサーは、その先も見据えている。東京五輪は通過点。2024年、第二の故郷・フランスで開催されるパリ五輪出場も狙う。
選手プロフィール
- 新城幸也(あらしろ・ゆきや)
- プロロードレーサー
- 生年月日:1984年9月22日
- 出身地:沖縄県石垣市
- 身長/体重:170センチ/64キロ
- 血液型:O型
- 出身校:登野城小(沖縄)→石垣二中(沖縄)→八重山高(沖縄)
- 所属:バーレーン・マクラーレン
- オリンピックの経験:ロンドン五輪 男子ロードマススタート 48位、リオデジャネイロ五輪 男子ロードレース 27位
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