その名が日本中に知れ渡ったのは2019年9月15日のことだった。東京五輪のマラソン代表選考会であるマラソングランドチャンピオンシップ(以下MGC)を2時間11分28秒で制し、見事にオリンピック出場権を勝ち取った日だ。開催延期となった今も決して下を向かず、海外の大会参戦をめざして調整を続けている。不屈の精神力を培った下積み時代を振り返る。
高校時代に培った「自分の頭で考える力」
中村匠吾(しょうご)は、1992年9月16日に三重県四日市市で誕生した。
弟の晋也も現在、同県内の実業団ULTIMATEで陸上選手として活躍するスポーツ一家だが、匠吾が本格的に陸上を始めたのは小学5年生のころと決して早いわけではなかった。校内マラソン大会で上位に入ったこと、そしてテレビで箱根駅伝を見たことで興味を抱き、地元の陸上クラブに入団する。短距離では上位に食い込めなかったものの、長距離では市の大会で好成績を収めていたことから、内部中学校へ進学後に本格的に長距離ランナーとしての道を歩み始めた。
中学時代も県内の大会でランキング上位の常連となっていたが、全国レベルではまだまだ無名の存在だった。さらなるステップアップを求め、駅伝強豪校の上野工業高等学校(現・伊賀白鳳高等学校)へ進学した。そこで一人目の恩師、町野英二氏と出会うことになる。中村本人は「練習以上に、高校生として当たり前のことをできるようになろうと教えてくれた先生だった」と振り返る。合宿の計画や練習メニューにもほとんど口を出さず、部員たちが責任を持って自分たちで決める指導法だった。
与えられたものをこなすのではなく、自分に必要なものを考え、取り入れていく。その姿勢は今の練習にも生きている。
「激流を流れる木の葉のごとく、うまくレースを進めなさい」
MGCのレース中、頭に浮かんでいたのは町野氏のこの言葉だった。残念ながら恩師は2012年にこの世を去ったが、ラストスパートを得意とする中村のメンタル面での大きな礎を築いてくれたことは間違いない。
駒大陸上部初のメダリストをめざす
高校3年次には通称インターハイ、全国高等学校総合体育大会の5000メートルで3位入賞を果たし、駅伝の強豪校、駒澤大学への進学を果たす。
そこで出会ったのが2人目の恩師、大八木弘明氏だ。陸上競技部の大八木監督のもと、入学当初は一気に増えた練習量に苦労したが、3年次にブレイクし、日本陸上競技選手権の10000メートルで5位入賞、ユニバーシアードのハーフマラソンで銅メダルを獲得するなど存在感を見せつけた。いわく「監督のアドバイスによって強くなれたこと」を実感していく。
ちょうどそのころ、国内は東京五輪開催決定のニュースに湧いていた。そして大八木監督から「俺と一緒にオリンピックをめざしてみないか」と声をかけられ、迷わずうなずいた。さらなる進化を遂げた4年次には主将を務める。箱根の舞台ではプレッシャーをはねのけ、持ち前の驚異の粘りを見せて実力者がそろう1区で見事に区間賞に輝いた。
卒業後の現在も大八木監督とともに東京五輪の舞台をめざしたいと、富士通に所属しながら駒澤大を拠点に練習を続けてきた。新型コロナウイルスの感染拡大の影響により東京五輪の延期が決定したあとの2020年5月にはナイキのオンラインプログラムに出演。アプリやインスタグラムで視聴可能な企画で、自宅トレーニングの秘訣などを発信した。
普段はめったに褒めることのない大八木監督だが、MGCでは「良かったなあ」と笑顔を見せゴール直後の中村を抱きしめた。中村は「僕のことを全部わかってくださっている監督を信じて、今までどおりやっていく」と話す。絶大なる信頼関係で結ばれた師弟は、東京五輪開催の延期にもちっとも動じていない。
選手プロフィール
- 中村匠吾(なかむら・しょうご)
- マラソン選手
- 生年月日:1992年9月16日
- 出身地:三重県四日市市
- 身長/体重:172センチ/55キロ
- 出身校→内部中(三重)→上野工業高(三重)→駒澤大(東京)
- 所属:富士通陸上競技部
- オリンピックの経験:なし
- Twitter:中村匠吾(@shogorun0916)