宮原美穂はオリンピック史上、東京五輪で初めて実施される空手の女子組手55キロ級で、金メダルを期待されている。世界空手連盟のオリンピックランキングで日本人2番手の選手に差をつけたことが認められて出場が決定したが、その道程には数々の試練があった。これまでたどってきた夢舞台への道筋を振り返る。
負けん気が強く、根っからの格闘家気質
宮原美穂は1996年9月3日、福岡県福岡市で3人きょうだいの末っ子として生まれた。兄と姉の2人に揉まれ、たくましく育った美穂は、小さいころからやんちゃな性格だったという。
7歳の時、兄の泰成さんの影響で、自宅からほど近い正剛会西福岡道場に入門した。この道場は単なる空手道場ではなく、1624年建立の宝樹院という歴史ある寺院としての顔も持つ。当時指導にあたっていた第23代住職の明吉俊雄師範の父が道場を開き、空手技術の向上はもちろん、精神鍛錬にもつながる練習が行われた。
稽古は毎日、しかも大雨でない限り、練習場所は全て外で実施された。固い砂地の境内で、冬場の3カ月間以外は裸足で練習し続けなければならない。宮原少女は足裏の皮がむける痛みに耐えた。さらに痛みのため強く踏み込めないなかで、自然と上半身の使い方はうまくなり、足腰も鍛えられた。
男子のなかに交じって稽古するのが好きで、目の前の対戦相手を倒すことだけを考える闘争心のかたまりのような宮原の性格を見抜き、明吉師範はとにかく仕掛けていくスタイルを教えたという。攻撃は最大の防御。小柄な体格をカバーするため、スピードや相手の出方を予測する目も鍛えた。
西福岡中学2年次からは全国中学生選手権で2連覇を達成。日本一の座を経験すると同時に、中学3年次には世界ジュニア&カデット21アンダー選手権の女子組手47キロ級で3位入賞を果たし、国際舞台での経験値も手にした。
帝京大4年次に世界選手権で初優勝
その名は全国区へと広がり、実績を評価された宮原は地元の福岡を離れ、空手の名門でもある東京の帝京高等学校への進学が決まった。明吉師範は巣立っていく愛弟子に対し、月に一度でいいから手紙を書くようにと伝えている。真面目で謙虚、初心を忘れない宮原は、高校3年間だけでなく、卒業後も手紙を送り続けた。恩師への近況報告をすることで、自分の思考も整理されたという。
帝京高2年次からはインターハイ(全国高等学校総合体育大会)と国民体育大会を2年連続で制覇。有終の美を飾って、帝京大学へと進学した。大学2年次の2016年に世界空手道選手権大会への初出場を果たすと、いきなり準優勝を成し遂げ、2018年には念願の初優勝。一気に世界から注目される花形選手へと登り詰めた。
しかし翌年の2019年になると大腿の肉離れや肋間(ろっかん)神経痛など体の不調に苦しみ、なかなか結果が出ない時期が続いた。対戦相手から警戒され、研究される存在へと成長したこともあり、次第に自信を失い消極的な戦い方が目立つようになっていく。
そんな時に活を入れてくれたのが、二人目の恩師である帝京大学の香川政夫師範だった。「迷うな、ぶれずに戦い続けろ」。2020年の正月には原点である西福岡道場に戻って、純粋に空手を楽しむ心を取り戻すと、プレミアリーグザルツブルク大会で1年ぶりの優勝を成し遂げ、東京五輪出場を確定させた。
自身のツイッターに綴られている日常の些細なエピソードからも、恩師への感謝や、支えてくれる両親への思いが伝わってくる。2021年夏に表彰台の上から恩師たちに手を振るシーンを思い描きながら日々、稽古に励む。
選手プロフィール
- 宮原美穂(みやはら・みほ)
- 空手女子組手 55キロ級選手
- 生年月日:1996年9月3日
- 出身地:福岡県福岡市
- 身長/体重:155センチ/50キロ
- 出身校:西福岡中(福岡)→帝京高(東京)→帝京大(東京)
- 所属:帝京大学(職員)
- オリンピックの経験:なし
- ツイッター(Twitter):宮原美穂(@m_i_y_a_9_3)