『ツール・ド・フランス』を始め、『ジロ・デ・イタリア』『ブエルタ・ア・エスパーニャ』の3つのグランツールを日本人として初めて全出走・全完走。日本自転車ロードレース界の開拓者であり、今なお、第一人者である別府史之。37歳で迎える東京オリンピックは、長いキャリアの集大成となるだろう。
直近の参加大会、結果、主な戦歴、成績、記録など
2005年、世界最高峰ディヴィジョンのUCIプロチーム(現UCIワールドチーム)に、日本人選手として初めて加入を許された。あれ以来、2019年の現在まで、決して途切れることなく別府史之はトッププロの地位を守り続けている。
日本自転車ロードレース界の第一人者として、あらゆる道を切り開いてきた。2009年には新城幸也と共に、日本人として初のツール・ド・フランス完走。最終日パリのシャンゼリゼ大通りでは、鈴なりの観衆の前で果敢な走りを披露し、やはり日本初の『ツール区間敢闘賞』に輝いた。
2016年にはフランス1周、イタリア1周、スペイン1周の3つの『グランツール』の全出走・全完走を達成。また、世界でわずか5つしか存在しない、歴史と格式の極めて高い『モニュメント』レースに、日本人として初めて全出場・全完走を果たしたのもやはり別府だ。
全日本選手権ではロードレース2勝(2006年、2011年)、個人タイムトライアルで3勝(2006年、2011年、2014年)と、高い実力を繰り返し証明してきた。また最終盤の落車で大きく遅れながらも、2位に食い込んだ2017年大会では、日本国内で走る選手たちに改めて本場プロの“違い”を見せつけた。
アジア選手権でも2008年にロードレース王者に君臨。2018年も日本のエースとして、アジア選手権のチームタイムトライアル金メダルの原動力となった他、アジア選手権とアジアンゲームのいずれでもロードレース銀メダルを持ち帰っている。
脚質的にはいわゆるルーラータイプ。つまり長距離走行が得意だが、近年はフィニッシュ直前の加速力にも磨きがかかった。ジャパンカップサイクルロードレースの市街地クリテリウムでは、並み居るスプリンターたちを抑えて、2015年・2016年と2連覇を果たしている。
プロフィール、経歴
2人の兄の背中を追いかけて、小学2年生から、自転車競技を始めた。4年生になる頃、曽田正人による漫画『シャカリキ!』の連載が始まると、ツール・ド・フランスや本場ヨーロッパ挑戦への憧れを膨らませた。
夢はいつしか現実目標となる。高校時代には、国内のあらゆるジュニアタイトルを総なめにした。ジュニア1年目には早くも日本代表常連に定着した。自転車ロードレース選手になりたい。そんな少年時代の夢を叶えるため、高校卒業後すぐに、別府史之はフランスへと渡った。
19歳でフランスの名門クラブ『VCラポム・マルセイユ』に加入してからは、本場ヨーロッパ選手としての走りを身に着けた。プロへの門もまた、極めて正統なやり方でくぐった。
いわゆる、プロの登竜門と言われるU23レースで、周囲の目に止まる好成績を残したのだ。2004年アオスタ1周では区間勝利を手に入れ、『ロンド・ド・リザール』では山岳ジャージを着用した。
そして2004年10月31日、「別府史之が世界最強ロードレースチームに移籍」と、日本のメディアに大きな見出しが踊った。ディスカバリーチャンネルの一員として、2005年シーズンから別府史之はプロの世界へ走り出した。
フランスに渡ってから7年後。2009年の夏、ついに憧れの『ツール・ド・フランス』への参戦権をつかみとった。3週間意欲的に走り、最終日の前日、伝統峠モン・ヴァントゥの山頂では感激の涙を流した。最終日のパリでは、チームメートたちと共にシャンゼリゼのパレードランを堪能し、「サクセス!」と歓喜の声を上げた。
2014年から所属してきたトレック・セガフレードとは、昨秋、契約を2020年末まで更新。おかげで2019年は余計な心配などせずに、東京オリンピック出場に向けたポイント収集に集中できそうだ。
家族:ロードレーサー・別府史之を導いた2人の兄たち
3兄弟の末っ子として、別府史之は神奈川県の茅ヶ崎で生まれ育った。長兄は自転車ロードレースTV中継の解説としておなじみの始(はじめ)で、次兄は元自転車選手で、現在は『愛三工業レーシングチーム』で監督を務める匠(たくみ)。この2人の兄の存在こそが、別府史之をプロの自転車選手へと導いた。
現代とは違ってロードレース情報の極めて少ない時代に、夢中で自転車関連ニュースを読み漁っていた長男から、ツール・ド・フランスやヨーロッパの自転車界についてたくさん教わった。
高校卒業後にフランスやイタリアへ自転車留学に出かけ、現地生活に苦労したという次兄の話を聞いて、「自分は学生時代に語学を習得しなければ」と英語の授業に身を入れて取り組んだ。「兄たちの挑戦や失敗を下から見てきたおかげで、僕はできる限りの最短距離でプロになることができたんです」と別府史之は振り返る。
2019年4月に36歳になった別府は、自分や新城幸也に続く若者がなかなか現れないことを、少し寂しく感じているそうだ。フランスでの生活は人生の半分を越え、プロ生活は15年目に突入した。今後は自分が日本選手たちの「兄」となり、若手に色々と伝えていく準備はできている。
選手としての特徴
180cメートルという長身に、スラリと長い脚。欧米人にも決して負けないフィジカルを持つ別府は、自転車ロードレース選手としての極めて優れた技術とセンスを有することでも知られている。
巧みなハンドル捌きは、マウンテンバイク時代に培った。単に前輪を上げる「ウィリー」が得意なだけでなく、優れたバイクコントロールは、事故や落車の回避にも極めて有用だ。
実はプロ入り前には2度の大落車を経験しているが、プロ入り後は、特に大きな事故なくキャリアを続けてきた。そもそも2019年3月末の落車で、人生で初めて鎖骨骨折に見舞われるも、たった5日後には自転車でのトレーニングを再開したという超人でもある。
集団走行の上手も群を抜く。ロードレースの集団は、たいてい車輪やひじが触れ合いそうなほど、前後左右ぎゅうぎゅう詰めだ。そんな中でもわずかな隙間を見つけ出し、常に前方よりの好ポジションを保つセンスはピカイチ。
強風による集団分割の気配や、攻撃開始の前触れなどを機敏に察知するのも得意だ。おかげで密着状態や強風が苦手なクライマーや、最終盤に集団前方へ連れて行って欲しいスプリンターから、牽引役に指名される場面も多い。
なにより長時間に渡り一定ペースでペダルを回し続けられる健脚ルーラーであり、一瞬の加速力も悪くない。チームタイムトライアルを含む、あらゆるタイプの平地系レースで、「仕事人」としてチームから重宝される。
東京五輪に向けた展望
2020年までレースを続けられることには、大きな意味がある。こう別府史之は断言した。2008年北京大会と2012年ロンドン大会に続き、37歳で迎える人生3度目のオリンピックは、間違いなく長いキャリアの集大成となるだろう。
年間を通してフランスで暮らす別府にとって、友達やファンの前で走れる日本のレースは、ただでさえモチベーションが上がるもの。しかも東京オリンピックのコースは、故郷の神奈川県を通過する。思い入れは誰よりも強い。生涯忘れられないレースにしたい。
もちろん上位成績を望むのは、決して簡単ではないだろう。メダルを獲りたい、などと本人が無謀な夢を口にすることもない。もちろん244キロメートルを超える長距離は、十分な経験と実力を有する別府にとって、それほど恐れるべきものではないはずだ。
一方で1000メートル級の山を5つ乗り越えるのは、誰にとっても難しい。しかも三国峠は「世界的に見ても」極めて厳しい登りだ。「サバイバルな展開になる」と、ベテラン別府はレースの流れを予想する。