2016年リオデジャネイロ五輪以来、約2年ぶりの実戦となる全日本女子オープンで復活V。2018年12月の全日本選手権では、決勝で当たったリオデジャネイロ63kg級金メダリストの川井梨紗子を残り10秒で逆転し、東京オリンピック出場に一歩近づいた伊調馨。オリンピック5連覇となれば、今まで誰も成し得たことのない前人未到の大記録である。
高校時代に山本聖子や吉田沙保里らとしのぎを削る
伊調馨は1984年6月13日、青森県八戸市に生まれた。兄の寿行さん、姉の千春さんがレスリングをしていたことから、自身も3歳から八戸クラブでレスリングを始める。幼少期は土日の2時間のみ、基礎体力練習を1時間、実践練習を45分間やるようなメニューだったそうだ。
試合は幼稚園のころから出場している。小学1年生のときに、3回戦で初めて男子と対戦し、その顔の怖さに泣いて、試合を放棄したというエピソードがある。
小学校、中学校を八戸市内の公立校で過ごし、中学1年生で全国女子中学生選手権46kg級3位、2年生で52kg級優勝、3年生で連覇を果たしている。なお、伊調はその2カ月前に行われた57kg級でも優勝している。
高校は愛知県の中京女子大学付属高校(現至学館高校)に進学した。4月のJOC杯ジュニアオリンピックのカデット56kg級で優勝。8月の全国女子高校選手権63kg級でも優勝。しかし、全日本女子選手権56kg級では決勝トーナメント1回戦で吉田沙保里(当時三重県立久居高)に敗れた。
高校2年生のときは、2001年ジャパンクイーンズカップ56kg級に出場し、準決勝で山本聖子(当時日本大学)に勝利。決勝では吉田沙保里(当時中京女子大学)を破った清水真理子(当時群馬県協会)を下して優勝した。また、全国女子高校選手権63kg級でも優勝。しかし、全日本女子選手権56kg級では、準決勝で清水真理子に敗退、3位決定戦で吉田沙保里に破れて4位に終わった。
高校3年生となった2002年から63kg級に専念し、2013年9月の世界選手権まで、同階級で活躍した。2002年ジャパンクイーンズカップ63kg優勝。また、アジア大会決勝で中国の許海燕に敗れ、2位に終わるものの、世界女子選手権、全日本選手権ともに制覇。その存在を不動のものにした。
カナダ留学や男子との練習で価値観に変化が
オリンピック初出場は2004年アテネ五輪。48kg級で出場した姉の千春とともに、金メダルを目指したが、姉は銀メダルに終わる。伊調は姉のためにも金メダルを獲ると自ら公言して奮起。予選3戦を、テクニカルフォール、不戦勝、6-2と危なげなく勝ち進み、準決勝はリズ・ルグラン(フランス)を4-0と退け、決勝もサラ・マクマン(アメリカ)に3-2で勝利し、有言実行で金メダルを勝ち取った。インタビューで「千春といっしょに獲った金メダルです」と口にしたフレーズが有名となった。
連覇を誓った2008年北京五輪は2回戦から登場。2回戦、3回戦とフォール勝ち。準決勝はマーティン・ダグレニアー(カナダ)に2-1、決勝はアレーナ・カルタショア(ロシア)に2-0と、苦しみながらも連覇を達成した。
しかし、姉の千春は北京大会でも決勝で敗れて、銀メダルに終わる。そして、「いったん競技から距離を置く」との意向を表明した。「姉妹で金メダル」を目指し、姉とともにレスリングに打ち込んできた伊調は「自分一人では目標がない」とそのときの気持ちを吐露している。
北京オリンピック後の約1年間、伊調はカナダに留学した。それまでは勝たなくてはならないというプレッシャーが大きかったが、カナダ選手は楽しみながらレスリングをしており、「純粋に好きだからレスリングをするという気持ちを思い出した」と語っている。
カナダから帰国後、男子ナショナルチームの合宿に参加したことも、伊調の心境を変えるきっかけとなった。北京五輪以降、「レスリングを続けようか」と迷っていた時期で、男子チームのトレーニング方法が伊調の目に新鮮に映ったようだ。男子は女子に比べて選手層が厚く、メダルを獲るというハングリー精神が旺盛だ。レスリングの技術、考え方、食事、向上心において、自分はまだまだだと実感。初心に返ってレスリングと向き合い、奥深さを知ることで、次第に現役を続ける意欲を取り戻していった。のちに「このふたつの出会いがなければ、3連覇、4連覇もなかった」と語っている。
そして、3連覇を懸けて挑んだ2012年のロンドン五輪。男子との練習で学んだことの成果が、この大会で現れた。多彩な技を繰り出す積極的なレスリングを展開し、北京五輪の準決勝で苦戦を強いられたマーティン・ダグレニアー(カナダ)との初戦を2-0と危なげなくかわし、3回戦も2-0、準決勝はバトチェチェグ・ソロンゾンボルド(モンゴル)を2-0、決勝は景瑞雪(中国)を、自ら絶賛したタックルで2-0と下し、相手に1ポイントも与えない完璧な試合運びで3連覇を達成した。
翌2013年には、6月の全日本選抜選手権、世界選手権、全日本選手権のすべてにおいて、テクニカルフォール勝ちという圧巻の強さを見せつけた。このときの全日本選手権から階級を59kg級へと下げ、2018年まで58kg級で出場している。
2016年1月、ヤリギン国際大会決勝で、モンゴルのプレブドルジ・オルホンに0-10という大差でテクニカルフォール負けを喫し、伊調の連勝記録は189でストップした。オリンピックイヤーということもあり、影響が心配されたが、2016年リオデジャネイロ五輪ではしっかりと金メダルを獲得。決勝では、ロシアのワレリア・コブロワに苦戦しながらも、終了間際にポイントを獲得、3-2と逆転勝ち、「霊長類最強女子」の吉田沙保里も、「霊長類最強の男」のアレクサンドル・カレリンも達成できなかった、オリンピック4連覇を達成した。
夏季オリンピック4連覇は、P・エルブストロム(デンマーク)ヨット男子フィン級=1948~60年、A・オーター(米国)陸上男子円盤投げ=1956~68年、C・ルイス(米国)陸上男子走り幅跳び=1984年~96年、M・フェルプス(米国)競泳男子200メートル個人メドレー=2004~16年と並ぶ偉業であるとともに、女性アスリートでは史上初となった。ちなみに伊調の4連覇は、2004~12年63kg級、2016年58kg級と注釈がつく。同年、伊調に国民栄誉賞が贈られた。
パワハラ問題を乗り越え、東京五輪を目指すのか
2017年、伊調はレスリング協会のパワハラ問題の渦中の人物となってしまった。このまま引退するのではないかと、その去就が取りざたされる中、現役続行を表明し、2018年10月の全日本女子オープン選手権57kgに出場。約2年ぶりの公式戦でマットに上がった伊調の姿は、体が細くなった印象を受けたが、1回戦テクニカルフォール勝ち、準決勝、決勝ともにフォール勝ち、圧倒的な実力を示して優勝した。試合後に「レスリングを再開できて幸せというか、喜びを感じられた。調子は全体的には6、7割ぐらい」と語った。また、パワハラ問題については、「レスリングをすることが自分のわがままなんじゃないかと葛藤した。苦しい、やりたい、苦しいの繰り返しで、やっぱりやりたいと思った」と話している。
そして、迎えた2018年12月の全日本選手権に伊調は57kg級で出場し、大きな注目を集めた。オリンピック4連覇の伊調とリオデジャネイロ五輪63kg金メダリスト川井梨紗子という金メダリスト同士の対決が実現したからだ。いきなり1次リーグで当たり、伊調は1-2で川井に惜敗する。伊調が日本人相手に敗北するのは、2001年に吉田沙保里に敗れて以来17年ぶりのことだった。その後、伊調は順当に勝ち上がり、決勝で再び川井と対戦する。1-2と川井にリードされながら、最後の残り10秒で、タックルを決め、背後を取って2ポイントを奪取、3-2の逆転勝ちを収めた。試合後のインタビューで、「五輪がぼんやり見えてきた」と語り、5連覇のかかる2020年東京五輪への挑戦について、初めて言及した。
2019年6月の全日本選抜選手権で優勝すれば、伊調は9月カザフスタンで開催される世界選手権に出場する切符を獲得できる。ここで優勝すると東京五輪の代表に内定する。伊調の勝負のときが始まった。