井上康生監督や井村雅代コーチが選手のメンタルをケア。選手の"心を守る"試みとは【コロナ禍でのアスリートたち】
卓球の伊藤美誠は「1年後に優勝できるチャンスをもっと増やしたい」
新型コロナウイルスの流行によって、多くの競技で試合や大会が中止や延期となり、トップアスリートだけでなく、日常生活のなかでスポーツを楽しむ一般人のライフスタイルにも変化が生じている。厳しいコロナ禍において、自宅待機を強いられたアスリートたちはどのようにメンタルを整え、トレーニングに励み、次なる戦いに備えているのだろうか。
「一番のけがは心の部分」と柔道の井上康生監督
国際プロサッカー選手協会連盟(以下FIFPro)は4月下旬に、ある報告書を公表した。新型コロナウイルスの影響により活動の場が失われ、不安やうつ病に悩まされているプロサッカー選手が増加しているという。イングランド、スコットランド、フランス、オーストラリア、アメリカなど16カ国にわたって行われた調査では、男女合わせて1602人の選手を対象とし、男子22%、女子13%の選手がうつ病の症状を報告した。
マインドの落ち込みはサッカー界だけの問題ではない。FIFProのヨナス・バエル・ホフマン事務局長は、「ここで伝えられている内容は広い社会における問題を反映したもの」という見解を述べている。思いどおりにスポーツができない状況で、トップアスリートたちはどのようにメンタルを整え、この困難を乗り越えようとしているのか。そこに、一般人がストレスの少ない生活を送るためのヒントが隠されている。
柔道は4月15日に開かれた全柔連の常務理事会で東京五輪代表内定選手(男子66キロ級を除く男女計13名)の代表権維持の方針が固まったが、それまで約2カ月、選手たちは代表の扱いが宙に浮いた状態で自主トレーニングを続ける状況が強いられていた。
柔道男子代表の井上康生監督はある取材で「この状況で一番のけがは心の部分だと思う」と話し、日々不安と葛藤する選手たちと連絡を密に取り、状況確認や自宅トレーニング方法などを共有していると明かした。一方、女子代表選手からは「体重が普段より増えている」や「疲れが抜けない」といった声があがり、柔道女子代表の増地克之監督は、「ケア器具を紹介するなどしてストレスを減らしてあげたい」と、集団稽古ができないなかでの対策向上に注力している。
ドラマ鑑賞、おやつづくり、読書など、ストレス解消法はさまざま
柔道に限らず、指導者によるケアは選手の体調管理に大きな影響を及ぼす。アーティスティックスイミングの日本代表でキャプテンを務める乾友紀子は、井村雅代日本代表ヘッドコーチの言葉がコロナ禍で気持ちを切り替えるきっかけになったとメディアに明かしている。井村コーチは水中での練習ができず、先行きの見えない不安を抱える選手たちに対して、「この8人のメンバーを戦いに送り出したい」と声をかけ、延期された東京五輪に向けたチームの結束をあらためて強くした。
自粛期間中の選手たちの過ごし方はさまざまだ。卓球の東京五輪女子代表に内定している伊藤美誠は、東京五輪の延期をプラスに捉え、「1年後に優勝できるチャンスをもっと増やしたい」と語っている。練習拠点の味の素ナショナルトレーニングセンターが利用中止となったなか、女性が活躍するテレビドラマを観ることなどでストレスを発散しているという。
バレーボール女子日本代表キャプテンの荒木絵里香は、所属チームのトヨタ車体が練習を休止して以降、6歳の娘と自宅で過ごす時間を楽しむことで自粛期間を前向きに過ごしている。愛娘を重り代わりに体幹トレーニングを行ったり、おやつに型抜きクッキーを一緒につくったりしているそうで、「今の期間中にしっかりとエネルギーをためて、来年の五輪へ進みたい」と述べている。
マラソン女子日本代表の鈴木亜由子は、もともと月平均3、4冊の本を読む読書家だ。自粛期間中は能楽師の安田登さんが著した「能に学ぶ『和』の呼吸法──信長がストレスをパワーに変えた秘密とは?」という本を読み返し、「能」で用いられる深い呼吸を実践することで、寝る前や落ち着かない時にストレスを軽減しているという。
リオ五輪銀メダルメンバーが「リモートバトンリレー」でエール
先行きが不透明な状況下でも、ファンの心や世の中を明るくしようと積極的に発信するアスリートもいる。
リオデジャネイロ五輪男子400メートルリレー銀メダルメンバーの山縣亮太、飯塚翔太、桐生祥秀、ケンブリッジ飛鳥は5月4日のみどりの日に合わせ、「リモートバトンリレー」の模様をSNSで配信。「医療従事者の方々や頑張っている人たちに少しでもエネルギーを」とエールを送った。ちなみに山縣は料理の動画も配信している。アスリートの体づくりに必要な栄養について解説しつつ、自身が自宅でよくつくる茶碗蒸しのレシピを紹介した。
全日本テコンドー協会は、ジュニア選手に向けて、東京五輪出場が内定している鈴木セルヒオ、鈴木リカルド、山田美諭、濱田真由という4選手のサイン色紙1350枚を配布した。選手発信のプロジェクトで、練習ができないジュニア選手が目標を見失わぬよう、勇気づけることを目的に実行したという。4選手のメッセージ動画も公開されており、女子のエース山田は「新型コロナウイルで大変な状況が続いていると思いますが、こんな時こそ笑顔と元気を忘れずにあらためて自分の目標を見つめ直して頑張っていきましょう」とメッセージを伝えた。
地球規模で流行する新型コロナウイルスの存在は、東京五輪をめざすアスリートだけでなく、2024年のパリ五輪以降をにらむ子どもたちのメンタル面にも大きな影響を及ぼしている。甲子園やインターハイが中止となったことにより、進路変更を再検討せざるを得なくなった高校生もいるだろう。しかし、トップアスリートたちが示す前向きな姿勢が、日本、そして世界中の人々に希望の光を灯す。