池慧野巨(いけ・けやき)は父親が自宅の庭につくったスケートパークで技を磨き、17歳にして「日本代表」としての活動も経験した。2020年東京五輪出場の有力候補ではあるが、彼自身は出場そのもの以上に、オリンピックの種目になったことによるスケートボードへの注目度アップと環境改善を望んでいる。
自宅の「虎の穴」でスキルを磨いた少年時代
和歌山県田辺市出身。2001年4月29日生まれで、17歳のプロスケートボーダー、池慧野巨。初見ではわからないと思うが、「池」が名字で「慧野巨」が名前だ。これも初見ではわからないだろう、「慧野巨」は「けやき」と読む。
由来はケヤキの木であり、「ケヤキのように強く、大きな人間になってほしい」という願いを込めてつけられ、名字との総画数との判断によって「慧野巨」の字があてられたという。ケヤキの木を見ると「『あ~俺やな』って思う」と、本人もケヤキの木を意識してはいるようだ。
スケートボードを始めたのは7歳の時。備長炭の窯元である父親の建徳さんが持っていたボードを借り、近所の公園で友達と滑り始めたのが最初だった。その後、最寄りのスケートパークで練習を重ねるようになる。最寄りと言っても自宅からは車で片道40分ほど。家族のサポートを受けながら、池は地元で技を磨いていった。
しかし小学2年生の時、東京に遠征して出場した大会で、池は大惨敗を喫してしまう。スケートボードやスケートパークがより身近にあり、競技人口も多い大都市圏の選手と比べると、練習の量や質に大きな差があったのだろう。
悔しさを募らせる息子のために、建徳さんは一大決心をし、自宅の庭を大改造。約40坪のスケートパークをつくってしまった。まさに「スケボー虎の穴」だ。池は学校から帰ると、自分のためだけにつくられたこのスケートパークで暗くなるまで練習に励み、徐々に才能を開花させていった。
「日本代表」として金メダルを獲得
2012年、小学5年生の時に大阪に引っ越し、同年のAJSA(日本スケートボード協会)全日本アマチュア・スケートボード選手権で4位に食い込む。これで11歳にしてプロに転向すると、翌2013年にはアメリカのスケートボードメーカー「Almost」と契約を結び、物品の無償支給を受ける「フロウライダー」となる。2016年には、スケートボード界をけん引するナイジャ・ヒューストン(アメリカ)とも契約を結ぶエナジードリンクカンパニー「Monster Energy」とサポート契約を結んだ。同社は池が小学生のころから注目し、サポート契約を希望していた。ただし、アメリカの規定上、当時はまだエナジードリンクカンパニーと契約を結べる年齢ではなかったため、契約できる15歳になるまで待っていたという。
その後は国内外のコンペティションに積極的に参加し、注目度を高めていく。2018年5月には第2回日本選手権の「ストリート」部門で初優勝を飾り、同年8月にインドネシアで行われるアジア競技大会への出場権を獲得した。
初めて「日本代表」の肩書きを背負って出場したアジア大会では、現地の蒸し暑さや腰痛に苦しめられながら、男子ストリートで見事に逆転優勝を果たした。金メダル確実と言われながら思わぬ苦戦を強いられたものの、そのなかで期待どおりの結果を出したことで、アスリートとして一回り成長したと言えるだろう。
そしてこの活躍を評価した日本ローラースポーツ連盟は、2019年1月にブラジルのリオデジャネイロで行われた世界選手権に池を派遣した。世界中のトッププロスケートボーダーが集い、日本からも第一人者の堀米雄斗や池田大亮(だいすけ)が参加した。ストリート部門の出場73人中32位で予選敗退となったものの、世界最高峰の大会に参加したことは大きな経験になったはずだ。
スケートボードの地位向上をめざす
池のスケーティングは、身体能力の高さと度胸を生かし、難しいトリックを簡単にやってのけるトップレベルの技術が特長だ。ハンドレール(手すり)やステア(階段)でのトリックを得意とし、ビッグステア(長い階段)でもハイレベルなトリックを成功させる。難しいトリックをやってのける「ハンマートリッカー」として知られている。
少し年上で、いずれも東京出身の堀米や池田が2020年東京五輪への出場に強い意欲を見せているのに対し、関西を拠点とする池は「オリンピックに出るためにスケートボードを始めたわけではない」「出られるかわからないけど、出られるなら出たい」と、特に強いこだわりは見せていない。むしろ「日本人で(堀米に次いで)2番目に『ストリートリーグ』で優勝したい」と、プロスケートボーダーとしての活動を充実化させることに目を向けている。
もちろん、スケートボードがオリンピックの正式種目になったことについては意義を見いだしているようで、「日本人選手は誰かしら出るだろうし、テレビでも中継されるはずなので、みんなに見てもらいたい」とも語っている。
日本ではスケートボードはまだまだ競技人口が少なく、公共の場で手すりに乗ったり、階段を飛び下りたりといった競技の性質上、イメージも悪い。池が拠点とする関西にはスケートパークが少ないという課題もあり、アメリカやヨーロッパに比べて環境は整備されていない。
池は自身のレベルアップとともに、スケートボードの地位向上も視野に入れている。「見てもらわないと意味がない。楽しく見てもらえるスケーターになりたい」。オリンピックでのメダル獲得以上に、誰もが驚くような「ハンマートリック」を東京五輪の舞台で披露し、スケートボードに対する興味や関心を高めること。それが池が抱く大きな願いのように思える。