2019年9月15日、東京五輪選考会となるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)で2位の成績を収めたのが服部勇馬だ。同じランナーである弟の弾馬(はずま)とともに切磋琢磨し、東京五輪行きの切符を手に入れた。陸上競技を始めたのは、進学した中学にサッカー部がなかったことがきっかけだった。
小学校時代はサッカーで新潟県選抜に
服部勇馬が生まれたのは1993年11月13日。新潟県十日町市で産声をあげた。東京五輪のマラソン代表に決まった今は、十日町市の押しも押されもせぬ英雄だ。
4人きょうだいの長男で、田沢小学校時代はサッカーに明け暮れた。毎日のようにボールを追い、新潟県選抜や北信越選抜にも選ばれた。前途有望なサッカー少年だったが、進学した中里中学校にサッカー部はなかった。
自身はサッカーを続けたかった。一つ年下の弟の弾馬(はずま)は卓球をやりたかったという。だが、一足先に中学に入学した兄は持久走が得意という理由と、親の勧めで陸上部に入部する。父が十種競技、母がクロスカントリースキーに取り組んでおり、持久力は両親譲りのものだった。「もし中学にサッカー部があったら、確実にサッカーをやっていたと思う」と話したことがあるが、陸上長距離への転向が新たな可能性を引き出した。
当時の指導者いわく「弱音は言わず、一生懸命に練習する生徒」は3年次に才能を開花させる。全国中学校体育大会の1500メートル走で7位入賞。全国都道府県駅伝にも出場し、中学生区間の2区の3キロで9人抜きの快走を見せ、区間4位の成績を残した。
2年ほどで全国レベルのランナーとなった少年は、宮城県の仙台育英高校に進学した。陸上の名門校で、走りを極めることになった。
越境入学した仙台育英高では2年次に1万メートルで28分58 秒08という高校2年の歴代2位の好タイムを出している。3年次の2011年にはインターハイ(全国高等学校総合体育大会)の5000メートルで14分06秒42で5位に食い込んだ。
一方、全国高校駅伝競走大会では「陸上で初めて大失敗」に苦しんだ。各校のエースが集まる花の1区で走ったが、重圧や不安の影か、脱水症状を起こしてしまう。必死に10キロを走り抜いたが、区間21位と大きく出遅れた。
2018年の福岡国際マラソンで日本人優勝
高校最後に挫折を味わった服部は2012年4月、長距離の名門、東洋大学に進学する。先輩には設楽悠太や設楽啓太がいる環境で、1年次に引きずった高校駅伝の落胆は2年次に払拭した。2014年2月の金栗記念熊日30キロロードレースでは、1時間28分52秒という30キロの学生新記録を樹立している。
一つ年下の弾馬も東洋大に入学。2015年のホクレン・ディスタンスチャレンジの北見大会で兄が5000メートルで13分36秒76という東洋大新記録を打ち立てると、同大会の1500メートルに出場した弟の弾馬も同競技で東洋大記録を更新している。弟と切磋琢磨する形で練習に励み成長を遂げた兄は、その後、箱根駅伝で2年連続で2区の区間賞という韋駄天ぶりを披露した。
大学卒業後はトヨタ自動車に所属する。2018年12月の福岡国際マラソンでは2時間7分27秒のタイムで日本人優勝を果たす。当時の男子マラソン日本歴代8位のタイムで、2020年東京五輪選考会となるマラソングランドチャンピオンシップ(MGC)の出場権を手にした。
2019年9月に行われたMGCではコースを部分的に何度も試走した効果もあり、本命視されていた大迫傑に競り勝って2位の成績を残した。2時間11分36秒のタイムで東京五輪のマラソン日本代表を内定させた。
MGC後しばらくして、地元十日町市のメディアの取材に対して「2位という結果は、僕自身がめざしていた順位ではなかったので今は悔しさのほうが強いです」と話した。2020年9月19日には全日本実業団対抗選手権の1万メートルに参戦。27分47秒55という自己ベストをたたき出した。7月15日に行われたホクレン・ロングディスタンス網走大会で残した27分56秒32というタイムを8秒77更新してみせた。東京五輪での栄光をめざし、挑戦の日々を駆け抜ける。
選手プロフィール
- 服部勇馬(はっとり・ゆうま)
- マラソン選手
- 生年月日:1993年11月13日
- 出身地:新潟県十日町市
- 身長/体重:176センチ/63キロ
- 出身校:田沢小(新潟)→中里中(新潟)→仙台育英高(宮城)→東洋大(東京)
- 所属:トヨタ自動車
- オリンピックの経験:なし
- ツイッター(Twitter):服部勇馬 @yuuma1993
- インスタグラム(Instagram):Yuma Hattori(@hattori.1113)