Olympic Games Moscow 1980

モスクワ1980

日付19 July - 3 August
ソビエト連邦
アスリート5179
チーム80
イベント203
モスクワ1980

オリンピックについて

アメリカのボイコット

1979年12月、アフガニスタンに侵攻したソビエト連邦への抗議として、アメリカを中心とする大規模なボイコットが広がり、オリンピック競技大会は再び混乱に陥りました。アメリカのジミー・カーター大統領は多くの国から支持を得るために、広範囲にわたって圧力をかける策を講じました。

イギリスやオーストラリアなど一部の政府はボイコットを支持したものの、モスクワへ行くかどうかの判断は各選手に委ねられました。しかし、アメリカのアスリートにはそういった自由がなく、カーター大統領はソ連行きを試みたアスリートのパスポートを無効にすると警告。結局、参加国数は1956年以降で最も少ない80にとどまり、合計で67の国と地域が出場を断念。そのうち45~50カ国は、アメリカの呼びかけに応じる形で参加しませんでした。

オリンピック初

ソ連のアレクサンドル・ディチャーチンは、体操競技男子の全種目でメダルを獲得。史上初めてオリンピック1大会で8個のメダルを手にしたアスリートになりました。一方、ボクシングのスーパーヘビー級テオフィロ・ステベンソン(キューバ)は、オリンピック初の同階級3連覇を達成。東ドイツのゲルト・ベッシクは、オリンピックの男子走高跳で初めて世界記録を塗り替えた選手となりました。

英国勢対決

イギリスの中距離ランナー、スティーブ・オベットとセバスティアン・コーは、歴史に残る激闘を繰り広げました。まず800mでは、オベットの金メダルに対してコーは銀メダル。その6日後の1,500mでは、雪辱に燃えるコーが金メダルを獲得し、オベットは銅メダルに終わりました。

予想外の金メダル

ボイコットの影響により、初採用されたホッケー女子は開催国ロシア以外の出場国がなくなってしまいました。しかし、ジンバブエが急遽出場することになり、大会開幕1週間前にチームを結成。モスクワに急行して金メダルを獲得するサプライズを起こしました。

**参加国・地域数:**80

**参加選手数:**5,179(女子1,115、男子4,064)

**競技種目数:**203

**ボランティア:**不明

**メディア:**5,615(記者2,865、放送2,930)

双子が勝利

ボート競技男子舵手なしペアの表彰式を見た人は、思わずその目を疑ったに違いないでしょう。1位と2位のチームが、どちらも双子だったからです。金メダルに輝いたのは、ベルントとヨルクのランドフォクト兄弟(東ドイツ) 。ユーリ&ニコライのピメノフ兄弟(ロシア)は銀メダルでした。

メダル獲得数

出場チームと獲得メダルの一覧はこちらから。

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