Olympic Games Los Angeles 1984

ロサンゼルス1984

日付28 July - 12 August
アメリカ合衆国
アスリート6829
チーム140
イベント221
ロサンゼルス1984

オリンピックについて

最終損益

1976年大会で財政上の問題が生じた結果、1984年のオリンピック開催都市に立候補したのはロサンゼルスでした。この大会は既存の施設や企業スポンサーに大きく依存していると批判されたものの、最終的には2億2,300万米ドルもの利益を生み出し、その後のオリンピックのモデルになりました。

ボイコットの影響

ソ連主導のボイコットによる影響はあったものの、合わせて140の国と地域が参加。これは当時の最多記録でした。大会全体が明るいムードに包まれ、開会式から、アスリートが自然に隊列を崩して踊るという閉会式でおなじみの光景が広がりました。

ロサンゼルス1984レガシー

このオリンピック大会がホスト国に築いたロサンゼルス1984レガシーを発見しよう(英語のみ)。

初登場

下半身不随のアーチャー、ネロリ・フェアホール(ニュージーランド)が出場し、車いすの選手として史上初のオリンピアンになった。また、オリンピック史上初めて女子マラソンが行われ、アメリカのジョーン・ベノイトが優勝。その他にも新体操とシンクロナイズドスイミング、自転車女子ロードレースなどがオリンピック種目となりました。

カール・ルイスが4冠

カール・ルイスが100m、200m、4x100mリレー、走幅跳で4冠を達成し、同じアメリカ人のジェシー・オーエンスがベルリン1936で成し遂げた偉業に肩を並べました。

**参加国・地域数:**140

**参加選手数:**6,829(女子1,566、男子5,263)

**競技種目数:**221

**ボランティア:**28,742

**メディア:**9,190(記者4,327、放送4,863)

ソ連がボイコット

アメリカがボイコットを主導したモスクワ1980から4年後、今度はそのアメリカでオリンピックが開催されたため、ソビエト連邦が報復に出たことも驚きではありませんでした。参加を見送ったのは14の国と地域にとどまりましたが、1976年大会で金メダルを獲得した国の58%が不参加となりました。

競泳

競泳男子400m自由形で珍しい記録が生まれました。1984年から1996年まで、予選の上位8選手は決勝Aを、9~16位の選手は決勝B(コンソレーション)を戦っていましたが、決勝Bの勝者トーマス・ファールナー(西ドイツ)が決勝Aの勝者、つまり金メダリストのタイムを上回ったのです。オリンピックの歴史を振り返っても唯一の出来事です。

メダル獲得数

出場チームと獲得メダルの一覧はこちらから。

ロサンゼルス1984

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