サッカー男子日本代表は1996年アトランタ五輪以降、6大会連続でオリンピック出場を果たしている。2016年のリオデジャネイロ五輪では、4年前のロンドン五輪でベスト4進出という成績を残しているため、「今度こそは」とメダルが期待された。しかし、サッカー王国での挑戦は悔しさの残る結果に終わった。2016年、U−23日本代表の熱い夏を振り返る。
クラブが拒否し、久保裕也は直前で出場を断念
オリンピックにおけるサッカーは、1992年バルセロナ五輪以降、23歳以下の選手のみが出場可能な種目となった。以来、若手選手の登竜門として位置づけられた。同時にオーバーエイジ枠の実力者との共演も見どころの一つとなっている。
2012年ロンドン五輪では、準決勝でメキシコに1−3、3位決定戦で韓国に0−2で敗れ、メダルにあと一歩及ばなかった。それでも、その勇姿に多くの称賛が送られ、リオデジャネイロ五輪での快進撃を期待する声が多く上がっていた。実際、日本はアジアサッカー連盟によるU-23選手権2016を制し、アジア王者としてオリンピックに臨むことになり、そのポテンシャルは十分だった。
手倉森誠監督が指揮をとる18名には、当時、鹿島アントラーズのDF植田直通や浦和レッズの遠藤航、サンフレッチェ広島のFW浅野拓磨が順当に選出された。オーバーエイジ枠には、サンフレッチェ広島のDF塩谷司、ガンバ大阪のDF藤春廣輝、浦和のFW興梠慎三が名を連ねた。現在、A代表の主軸を担うMF中島翔哉とDF室屋成(ともに当時FC東京所属)も、メンバー入りを果たしている。
当時すでに海外組として活動していたのは、ザルツブルクのFW南野拓実と、ヤング・ボーイズのFW久保裕也のみだった。ただし、その久保は最終的に、開幕2日前になってクラブが招集を拒否し、出場を断念せざるを得なくなった。結局、久保に代わって、バックアップメンバーとして指名されていたアルビレックス新潟のFW鈴木武蔵が急きょメンバー入りした。
手倉森監督は「調和のとれた18人」と自信を見せた。選考のポイントは戦術変更に対応できる柔軟性、そして世界で戦うためのメリハリをつけられるという点だったとも明かしている。リオだけでなく2年後の2018年、ロシアで行われるワールドカップ(以下W杯)での活躍までを見据えたメンバー編成となった。
初戦のナイジェリア戦は4−5で力負け
手倉森ジャパンのコンセプトは「全員攻撃、全員守備」。時間をかけずに一気に攻め上がるサッカーを理想に掲げていた。
日本は厳しいグループに組み込まれた。同じグループBで突破を争うのは、U−23アフリカネイションズカップ王者のナイジェリア、南米の雄コロンビア、そしてU−21欧州選手権で優勝したスウェーデン。最初の2試合が行われるマナウスは平均最高気温が他の都市より5度ほど高く、3戦目が行われるサルバドールまでは移動が6時間かかるなど、プレー環境面でも厳しい条件も突きつけられた。
ナイジェリアとの第1戦は、激しい打ち合いとなった。日本は6分に早々と失点。直後の9分に興梠慎三が同点弾を決めた。その後も失点しては追いつくという展開を繰り返したものの、66分にスコアを2−5まで広げられてしまう。70分に浅野、試合終了間際に鈴木と、途中出場選手が得点を挙げる働きを見せたものの、守備の崩壊が響き、4−5で初戦を落とした。
第2戦で負ければ敗退が決まってしまう日本は、コロンビアを相手に序盤から積極的な姿勢を見せた。しかし、チャンスを生かし切れず。前半をスコアレスで折り返すと65分までに2失点を喫した。その後、驚異の粘りを見せ、67分に浅野、74分に中島がゴールを決めて2−2の同点に追いつき、グループリーグ突破の可能性をわずかに残した。
運命の第3戦。スウェーデンとの一戦は、ファジアーノ岡山MF矢島慎也の得点を守り切り、大一番で今大会初白星を獲得した。この1−0の勝利で勝ち点は4に伸びたものの、すでに首位通過を決めていたナイジェリアをコロンビアが2−0で下したため、勝ち点1差でわずかに2位に届かず。勝利が決勝トーナメント進出につながらず、選手たちは悔しさに打ちひしがれた。
手倉森監督も悔しさを隠さなかったものの、最後まで選手たちを労うことを忘れず「長い間付き合ってくれてありがとう」と伝えた。さまざまな感情が入り混じったのか、誰よりも男泣きしていたという。選手たちはそんな恩師の姿を見て、「このオリンピックがあったからこそ今がある、と言えるようにしたい」と誓い合った。リオ五輪を経験した18人のうち、GK中村航輔、DFの遠藤と植田、MFの大島僚太の4選手がロシアW杯行きを果たしている。
ブラジルはW杯準決勝のリベンジを果たす
準々決勝ではドイツがポルトガルを、ナイジェリアがデンマークを、ホンジュラスが韓国を下した。開催国のブラジルもコロンビアとの南米対決を2−0で制し、準決勝へ駒を進めた。準決勝ではブラジルがホンジュラス相手に「サッカー王国」の貫録を見せ、6−0と大勝。もう1試合ではドイツがナイジェリアに2−0で勝利し、奇しくも決勝戦は2年前、ブラジルで行われたW杯準決勝と同じ組み合わせとなった。この時はブラジルが1−7の大敗を喫している。
ブラジルにとっては「ミネイロンの惨劇」と呼ばれた屈辱のリベンジを果たすための、絶好の舞台となった。「サッカー王国」ながらオリンピックの金メダルはまだ獲得していないブラジルにあって、主役を演じたのはオーバーエイジ枠でプレーしていたキャプテンのネイマールだった。準々決勝のコロンビア戦で1得点、準決勝のホンジュラス戦で2得点と調子を上げてきていたエースは27分、右足で巻いたFKを直接たたき込み均衡を破ってみせた。
しかし完全敵地のドイツも意地を見せる。1990年の東西統一後初のオリンピック決勝進出となったドイツは、後半に1点を返して試合を振り出しに戻した。試合は延長戦でも決着はつかずPK戦に突入。両チーム4人目まで順調に成功したが、ドイツの5人目のキックをブラジルのGKウェベルトンが見事に読み切って止めた。
ブラジルの5人目はネイマール。右腕にキャプテンマークを巻いた背番号10は願いをこめるようにキスしたボールを置き、ペナルティーエリアの外まで下がる。エースがGKの逆を突いてきっちりと決めるとスタジアムは歓喜に包まれた。ネイマールは重圧から解放されたこともあったのだろう、ゴールネットが揺れて、ブラジルサッカー界に史上初のオリンピック金メダルをもたらしたその瞬間、歓喜の涙を流した。