日本サッカー界にとって久しぶりの国際舞台は、「マイアミの奇跡」という言葉で語り継がれることが多い。若き日の前園真聖や中田英寿、川口能活らが躍動したアメリカでのオリンピックは、果たしてどのような大会だったのか。1996年アトランタ五輪の男子サッカーを振り返る。
すべてJリーガーで、「個性的な選手がそろっていた」
1996年アトランタ五輪の男子サッカー競技は、日本サッカー界にとって1968年メキシコ五輪以来、実に28年ぶりとなる世界を舞台にした戦いだった。
3年前の1993年にJリーグが開幕し、日本国内では従来よりも選手強化の質が格段に上がっていた。前回大会の1992年バルセロナ五輪のアジア予選時は大学生主体のメンバーで臨んだ日本だったが、このアトランタ五輪本大会の登録メンバー18名はすべてJリーガーだった。オーバーエイジ枠は使用していない。
「今思い出しても個性的な選手がそろっていた」
キャプテンを務めた前園真聖はのちにメディアの前でこう振り返ったが、川口能活、服部年宏、伊東輝悦、中田英寿、城彰二、松田直樹ら、将来有望な23歳以下の若手選手たちが、西野朗監督のもとでオリンピック代表として選出されている。この大会後には登録選手18名のうち12名が日本代表に選出されたという実績からも、選手たちのポテンシャルの高さがわかる。
なかでも注目すべきは中田だろう。アトランタ五輪当時はベルマーレ平塚(現・湘南ベルマーレ)に所属する19歳のMFだった彼は、前園とともに攻撃陣の柱として活躍。このアトランタ五輪とJリーグでの活躍を足掛かりに、翌1997年5月、20歳の時に日本代表デビューを果たす。その後は押しも押されもせぬ日本サッカー界のエースに君臨し、1998年のワールドカップ(以下W杯)に出場した直後、イタリアのセリエAに活躍の場を移すのだった。
4本のシュートながら「まさに狙いどおりのプレーでした」
20年以上が経った今でも「マイアミの奇跡」と語り継がれるブラジルとのグループリーグ第1戦の勝利は、文字どおり大番狂わせとして世界中に大きなインパクトを与えた。
のちに2002年の日韓W杯で主力を担うロナウド、リバウド、ロベルト・カルロスなどに加え、1994年アメリカW杯の優勝メンバーであるベベットやアウダイールらを擁するブラジルは、立ち上がりから日本陣内に襲い掛かってきた。最終的にブラジルが放ったシュート数は28本。日本のシュート数がその7分の1である4本だったのだから、いかにブラジルに攻め込まれていたかがわかるだろう。
それでも、日本はGK川口を中心にブラジルの攻撃を凌ぎ続け、前半を0−0で折り返す。そして72分に伊東のゴールで均衡を破った。路木龍次がブラジル陣内左サイドからペナルティーエリア内へ縦パスを送ると、このボールを処理しようとしたGKジダとDFアウダイールが交錯して転倒する。こぼれたボールを伊東が無人のゴールに蹴り込んだものだ。
GKとDFの激突を指して幸運と見る向きもあったが、「マイアミの奇跡」は念入りな準備のもとに成し遂げられた勝利だった。大会後、川口は「まさに狙いどおりのプレーでした」とメディアの前でこう明かしている。
「ブラジルの弱点の一つが、センターバックの背後のスペースでした。アウダイールがオーバーエイジ枠として直前で合流してきたためか、ブラジル守備陣は連係に不安を抱えていた。センターバックの背後の対応のつたなさを突くことができれば、僕たちにもチャンスがある。これがスカウティングスタッフの分析結果でした」
その後の日本は、第2戦でナイジェリアに0−2で敗れ、ハンガリーとの第3戦は終盤に2得点を挙げて3−2の逆転勝ち。ブラジル、ナイジェリアとともに2勝1敗の勝ち点6で並んだものの、両チームに得失点差で劣り、3位でグループリーグ敗退という結果に終わってしまった。
ナイジェリアが悲願の金メダルを獲得
全16チームが参加したこのアトランタ五輪を制したのはナイジェリアだった。決勝でエルナン・クレスポやクラウディオ・ロペス、ディエゴ・シメオネやアリエル・オルテガらを擁するアルゼンチンを3−2で下し、悲願の金メダルを獲得してみせた。試合終了間際に決勝ゴールを奪う劇的な勝利だった。
ナイジェリアをリードしたのは2メートル近い身長を誇るFWヌワンコ・カヌーだ。懐の深いポストワークと質の高いテクニックを武器とするストライカーは、オランダのアヤックスでその才能を磨き、10代にして攻撃陣の核として存在感を発揮。このアトランタ五輪では快進撃のけん引役となり、計3得点を挙げる働きで母国に初の金メダルをもたらした。なお、得点王争いは、銀メダルを手にしたアルゼンチンのクレスポと、ブラジル代表にオーバーエイジとして加わったベベットの2人が6ゴールで並んだ。
銅メダルは3位決定戦でポルトガルを5−0で一蹴したブラジルが手中に収めている。グループリーグで日本と同組に振り分けられた2チームがベスト4まで勝ち上がり、それぞれ金メダルと銅メダルを手にした事実は見逃せない。ナイジェリア、ブラジル、ハンガリー、そして日本。前園はこのグループリーグの組み合わせを「死の組」と振り返ったことがあるが、大会の最終結果を見ても、その表現は適切だったと言えるだろう。「死の組」を通して世界基準を体感した川口や中田、そして松田といった選手はのちの日本代表に不可欠な存在となっていく。