リオデジャネイロ五輪で1904年以来、112年ぶりにオリンピック競技として復活したゴルフ。2020年東京五輪ではメダル獲得への期待がふくらむ中、日本ゴルフ界をけん引しているのが松山英樹だ。日本のエースは2020年、東京での栄光をめざしている。
ゴルフに集中するため転校を決意
1992年2月25日生まれ、愛媛県松山出身。いまや日本のみならず、世界を代表するプロゴルファーの一人と言って差し支えないだろう。
ゴルフを始めたのは4歳の時。日本アマチュアゴルフ選手権への出場経験を持つ父の幹男さんに練習場へ連れられて行ったことがきっかけだった。6歳の時には、奥道後ゴルフクラブで早くも初ラウンドを経験。スコアは136だった。
小学校に通うようになると、着々とゴルファーへの道を歩んでいく。
小学1年生の時、初めてフルセットのクラブをつくってもらった。2年生の時には初めて大会に出場。「四国ジュニア」の小学生の部でいきなり100を切ったという。
今では身長181センチ、90キロという数字のとおり大きな体格が印象的だ。だが、小学生時代の背の順では真ん中よりも前が定位置で、地元、愛媛の公立中学校に通っていた頃まで体は決して大きいほうではなかったという。
背が伸びていくことを実感したのは、松山のゴルフ人生における転機の一つ、高知県にある明徳義塾中学校に転校してからだった。
中学2年生の時、「ゴルフに集中できる環境を」という父のアドバイスを受け、松山は転校を決意する。高知での生活は、父の助言を具現化したような日々だった。松山はある取材でこう話したことがある。
「寮にはテレビもゲームもなかったので、唯一の娯楽がゴルフでした」
外出は禁止。修学旅行も大会出場を優先して参加することができなかった。文字どおり、寮、学校、練習場の移動が生活のすべてというゴルフ環境で、松山は着々とその腕を磨いていった。
同い年の石川遼の活躍に刺激を受ける
中高一貫だったこともあり、高校は明徳義塾高校へ進んだ。
1年生の春、松山はちょっとした衝撃を受ける。同学年であり、のちにライバル、そして戦友と評されることになる杉並学院高校の石川遼がプロツアーで優勝したのだ。そのニュースを聞いた時、松山は、ローアマチュア、つまりその大会のなかで最高成績を収めたアマチュア選手のことではないかと思ったという。
石川の活躍をすごいなと思う一方、悔しさも募ったという松山も着々と力をつけ、確かな実績を積み上げていく。2年次には全国高等学校ゴルフ選手権で優勝。最高学年となった3年次にはアジアジュニアゴルフチーム選手権を制した。
プロに転向できるだけの十分な成績を残し、本人も「高校卒業後はプロになろう」と考えていた時期もあった。しかし、松山が選んだのは東北福祉大学への進学だった。
高校3年生の時、日本アマチュアゴルフ選手権で予選ラウンド敗退を喫した。この結果により自分のゴルフを見つめ直し、同時期に東北福祉大学の阿部靖彦監督から本質をついたアドバイスを受けたことがきっかけだった。
「今のままでは並のプロにしかなれないでしょう。プロに転向してすぐに活躍したいのであれば、もっと練習を積み重ねたほうがいい。世界で通用する選手になりたければ、大学で4年間がんばること」
阿部監督の言葉に背中を押された松山は、藤本佳則や池田勇太ら、目標となる先輩がいる環境のなかで着実に成長し、1年目から結果を出していった。2010年にはアジアアマチュア選手権で優勝し、翌2011年のマスターズへの出場権を手に入れた。マスターズ本戦では1アンダーでローアマチュア賞を獲得している。
同年11月には、三井住友VISA太平洋マスターズを制覇。倉本昌弘、石川遼に次ぐ史上3人目となるアマチュアでのプロツアー優勝を果たした。その後もアジアアマチュア選手権を連覇して再びマスターズに出場するなど、名実ともに東北福祉大学の中核として活躍していく。
プロ初年度から賞金王に輝く
大学4年次の2013年春、プロに転向した。
デビュー2戦目、つるやオープンゴルフトーナメントでプロとして初勝利をマーク。プロ転向2戦目での勝利は、藤本佳則、薗田峻輔が持っていたプロ5試合目での初勝利を塗り替えてのツアー最速記録となっている。
さらにこの年、年間で4勝を挙げてプロ初年度から賞金王に輝いた。スポットで参戦したアメリカツアーでも躍動し、シード権を手に入れるなど勢いに乗った。
2014年からアメリカツアーに主戦場を移し、ザ・メモリアルトーナメントで初優勝。青木功、丸山茂樹、今田竜二に続く、史上4人目の日本人米男子ツアー優勝を手にした。2016年にはウェイスト・マネージメント・フェニックス・オープンでツアー2勝目を挙げている。
2016年はその後もWGC-HSBCチャンピオンズを制して日本人初の世界ゴルフ選手権タイトルを獲得する快挙を成し遂げ、米男子ツアー3勝目をマークした。
その活躍ぶりと勢いは海外メディアから「タイガー・ウッズをほうふつとさせる」と評価されるほどの称賛を受け、2017年6月時点の世界ランキングでは自己最高の2位にまで上り詰めている。
2017年にはウェイスト・マネージメント・フェニックス・オープンを連覇してツアー4勝目を達成。同年8月に開催されたWGC-ブリヂストン招待では日本人最多となる米国男子ツアー通算5勝目を挙げた。
2019年3月10日に発表された男子ゴルフ世界ランキングでは29位。自身最高位と比較するとランクダウンは否めないが、いまだ松山が日本人トップ選手として日本ゴルフ界をけん引する存在であることに変わりはない。
2020年東京五輪もすでに視野に入っている。日本ゴルフ協会の五輪競技対策本部からは、東京五輪に向けた強化指定選手として選出されており、本人のモチベーションも日増しに高まっている。松山はメディアに向かってこう発信した。
「東京(五輪)は出たい。絶対に出ます」「日本で行われる東京五輪では金メダルをめざしたい」
日本のエース、松山英樹は母国開催のオリンピックで金メダル獲得を狙う。