愛馬とのコミュニケーションによって、華麗にフィールドを駆ける馬術競技。学生時代から立て続けにこの競技で快挙を成し遂げてきた北島隆三だが、初出場のリオ五輪では辛酸をなめている。その雪辱を果たすべく、東京五輪出場に向けた奮闘を続けている。
明治大学時代は馬術部キャプテンとして活躍
馬術はオリンピックの種目で唯一、男女の区別がなく、動物とともに出場する競技だ。ヨーロッパでは昔から人気が高く、競技レベルも高い。
2015年から、馬術が盛んなヨーロッパのイギリスに拠点を移して、東京五輪の出場をめざしているのが北島隆三だ。2016年のリオデジャネイロ五輪の総合馬術でオリンピック初出場を果たしている。
1985年10月23日に兵庫県神戸市で生まれた北島は、小学5年生のころテレビで見た競馬に心を奪われ、競馬の騎手を夢見たという。両親に頼み乗馬を体験させてもらうと、瞬く間にその魅力にのめり込んでいった。当初は競馬の騎手をめざしていたが、徐々に関心は馬術へと向いていく。高校は競技のトレーニングができる乗馬クラブ「クレインオリンピックパーク」からほど近い奈良県の山辺高校へと進んだ。
その後進学した明治大学では馬術部に入部。2007年にはキャプテンを務め、同年に行われた総合馬術ヤングライダー選手権と障害馬術ヤングライダー選手権で優勝し、明治大学馬術部史上初となる全日本ジュニア3冠達成の快挙に貢献した。同年11月に行われた全日本学生大会も制覇し、大会14連覇という偉業を残す。その名を一躍、馬術界にとどろかせた。
アジア大会で金メダル、世界選手権では4位に
オリンピックメダリストたちの平均年齢は、夏季大会が23歳、冬季大会が24歳と言われている。一方、馬術のメダリストの平均年齢は、男子が35歳9カ月、女子が33歳11カ月だ。平均年齢が高いのは、馬術競技に重要なものが身体的な充実だけではないことを意味している。経験に加え、「人馬一体」という、文字どおり愛馬と築き上げたきずなが勝負の明暗を分ける。2012年のロンドン五輪では、日本代表の法華津寛(ほけつ・ひろし)がその経験値を武器に、オリンピック史上最高齢となる71歳で出場を果たしている。
2016年のリオデジャネイロ五輪の時、北島はまだ30歳だった。初めて出場したオリンピックは最終日、愛馬が負傷したため馬体検査にて無念の棄権を決断した。オリンピックという大舞台に立ったことで自信はついたが、技術と経験がまだまだ足りていないと痛感した。
2018年にジャカルタで開催されたアジア競技大会では、リオ五輪の経験を糧に、総合馬術の個人では4位と大健闘、団体では見事金メダル獲得を経験するなど、着々と力をつけている。アジア大会のすぐ後にアメリカ開催された世界選手権でも、北島は総合馬術の障害馬術競技をノーミスで完走し、日本団体4位に大きく貢献するなど、あらためてその成長を見せつけた。
アジア大会で手にした金メダルと世界選手権でメダルに近づいた4位という結果は、大きな自信になったに違いない。少年時代に馬と駆ける時間に魅了され、初のオリンピックから経験値を上積みした北島が、東京五輪で躍動する可能性は決して低くない。