車いすテニス・国枝慎吾さん引退会見「8年越しの夢が叶った瞬間は、震えるような感情」

Tokyo2020車いすテニス男子シングルスでの金を含む計6のパラリンピックメダルを獲得し、生涯ゴールデンスラムを達成した国枝慎吾さんが2月7日、東京都内で引退会見を開き、パラアスリートしてのキャリアを振り返った。終始笑顔が溢れる和やかな雰囲気の会見で、国枝さんは現役時代の一番の思い出について8年越しに叶えた「東京パラリンピックの金メダル」と答えた。

1 執筆者 Yukifumi Tanaka/田中幸文
GettyImages-1338261777
(2021 Getty Images)

アテネ2004からTokyo2020まで5大会連続でパラリンピックに出場し、Tokyo2020の車いすテニス男子シングルスでのゴールドメダルをはじめ、金4、銅2の計6個のパラリンピックメダルを獲得し、かつグランドスラム(四大大会)全てにおいて優勝を飾る「生涯ゴールデンスラム」を成し遂げた車いすテニス日本代表の国枝慎吾さんが2月7日、東京都内で引退会見を開いた。

国枝さんは、グランドスラムのひとつである全豪オープン2023開催中の1月22日に、自身のSNSアカウントを通じて現役引退することを発表しており、自国開催となったTokyo2020での金メダル獲得後、アスリートとしての去就について「ずっと考えていた」と明かしていた。また、現役選手時の気持ちや、今後の活動についてなど詳しい部分をこの日の会見を通じて改めて伝えたい旨、投稿していた。

関連記事:車いすテニスの国枝慎吾が現役引退...グランドスラム歴代最多50回優勝、4個のパラリンピック金メダル

「もう、十分やりきったな」

会見冒頭の挨拶で、国枝さんは東京2020での金メダル獲得後から、現役引退について「ずっと考えていた」という気持ちの経緯を語った。

「東京パラリンピックが終わってから、引退について僕自身ずっと考えておりまして。昨年(2022年)、(グランドスラムのタイトルで)最後に残されたウィンブルドンの優勝が決まったあと、チームと抱き合っていて、その時最初に出た言葉っていうのが『あー、これで引退だな』って。(これが)芝生のコートの上で、一番最初に出た言葉だったんです」
「(その後の全米オープン2022に参加して)僕自身、『もう、十分やりきったな』っていうのが、ふとした瞬間に口癖のように出てしまった。『このままテニスをしていいのかな』という気持ちになってしまって、『これは、そういうタイミングなのかな』と(引退を)決意しました」

5大会すべてのパラリンピックでのメダル獲得と、通算50回というグランドスラム優勝を誇り、そして2006年に世界ランキング1位となってから長きにわたって世界の頂点に立ち続ける中での引退を決断した国枝さんにとって、一番の思い出はTokyo2020だと振り返る。

「一番の思い出は、やっぱり東京のパラリンピックでの金メダルです」
「(5大会連続出場のパラリンピック)それぞれが、僕の中で転機になっている。(2004年の)アテネの時は引退しようとして臨んでいました。でも、金メダルを獲ったことで、テニス選手として活動していくということを決めました。2008年の北京をきっかけにプロ転向。2012年(ロンドン)は、プロとしての証明。2016年(リオ)は挫折を味わい、2021年の東京で金メダルというところで、僕の中ではピリオドだったのかな」
「すべてのパラリンピックに思い出はありますけれども、(東京開催決定の)2013年からの8年越しの夢が叶った瞬間というのは、今でも鮮明に、震えるような感情になりますし、思いの詰まった金メダルだと思います。東京のパラリンピックは、一番の集大成になったと思います」

「テニスは、健常者と障がい者の垣根のないスポーツ」

会見には、国枝さんのスポンサーであるユニクロの柳井正会長兼社長も同席し、「泣かないように、笑顔でね」と国枝さんに語りかけるなど、終始笑いの溢れる和やかな雰囲気で進められた。

また、柳井氏は国枝さんを「パーフェクト。非の打ちどころのない人」と評し、一番最初に出会った時から「この人なら大丈夫」と思ったことを、一番印象に残っているエピソードだと振り返った。

さらに、会見内では、国枝さんの今後の活動に関する質問にも及んだが、「心の中に秘めておきたい」と詳細は明かさなかった。

「引退後のことを考えても、答えが出てこないというか、現実味がないというか。お風呂入ってる時に、考えてみるんですけど、答えは出なかったです」
「引退発表から2週間経って、自分の中で何をしていきたいか、ぼんやりと出てきたくらい。今言っちゃうと、やんなきゃいけない感じもしちゃうし(笑)まだ、心の中に秘めておきたい」

しかし、国枝さんは、障がい者スポーツや車いすテニスを通じて、なにかしらの社会活動に従事したい想いがあることを示唆した。

「現役生活で何と戦ってきたかと考えると、ひとつは相手、また自分。もうひとつは、車いすテニスを社会的に認めさせたい、スポーツとしていかに見せるかっていうところにこだわってきた」
「(国際テニス連盟が管轄する)テニスは、健常者と障がい者の垣根のないスポーツだったなと思う。(その魅力を)テニスをしている中で、皆さんに知ってもらいたいという思いが強くあった」
「そこの活動は、続いていくのかなと思っています」

国枝さんは、笑顔だった。強くまっすぐな眼差しのまま。

もっと見る