【体操】オリンピック2連覇、世界選手権6連覇…現役引退を前に振り返る内村航平の偉大なキャリア

文: 小杉正貴
写真: 2016 Getty Images

体操界のレジェンド・内村航平が現役生活に幕を下ろす。最後の舞台に定めたのは3月12日に行う「KOHEI UCHIMURA THE FINAL」。オリンピックや世界選手権、全日本選手権といった大会を最後に競技生活を終えるのではなく、自身の名を冠した舞台を用意できたのは、内村が史上最高との呼び声の高い、特別な体操選手だったからだ。

1989年1月3日、長崎県諫早市出身。「スポーツクラブ内村」を営む両親のもとに生まれ、幼き頃から体操を始めた。中学卒業後は上京し、数多くのトップアスリートを輩出してきた朝日生命体操クラブ、日本体育大学に所属。高校生で日本代表に選出され、2007年の第24回ユニバーシアード競技大会(バンコク)では男子団体、男子種目別ゆかで金メダルを獲得するなど、10代の頃から注目を集めた。

その才能を世界に知らしめたのは北京2008での活躍だろう。19歳で挑んだ初のオリンピックでは、個人総合と団体で2つの銀メダルを獲得。日本人が個人総合でメダルを獲得するのは24年ぶり、10代の選手としては史上初の快挙だった。2008年には全日本体操個人総合選手権で初優勝。以降、同大会は2017年まで10連覇、NHK杯個人総合は2009年から2018年まで10連覇と国内で圧倒的な成績を残した。

内村は日本のみならず、世界の舞台でもトップに君臨し続けた。2009年の世界体操競技選手権大会個人総合で初めて世界の頂点に立つと、ロンドン2012の個人総合で悲願の金メダル。団体でも2大会連続の銀メダル獲得に貢献した。内村はその後も2015年まで世界選手権で勝ち続け、史上最多の6連覇を達成。押しも押されもせぬ絶対王者として3度目のオリンピックを迎える。

リオ2016は内村航平の大会と言っても過言ではないだろう。まずは加藤凌平、白井健三、田中佑典、山室光史とともに臨んだ団体で優勝。アテネ2004以来となる"体操ニッポン"の金メダルだった。個人総合では鉄棒での逆転劇を覚えている人が多いかもしれない。4種目を終えて2位につけ、5つ目の平行棒ではさらに点差を広げられていた。0.901点差で迎えた最終種目の鉄棒。次々と大技を決め、最後の着地を完璧に止めると、大きく両手を突き上げた。王者の風格を感じさせる、オリンピック2大会連続の金メダルだった。

数々の栄光を手にした内村だったが、2016年以降は肩の負傷との戦いが続いた。個人総合6種目を行うことが難しい状況にも追い込まれ、連勝記録も途絶えた。「6種目をやってこその体操」という言葉通り、内村のオールラウンダーとしての自負は強い。それでも、再び勝つために鉄棒への専念を決めた。2020年の全日本体操種目別選手権鉄棒では優勝。翌年には東京2020への切符も手にした。

4度目のオリンピックとなった東京2020は悔しい結果に終わった。普段ならミスをしないような場面での落下。国内で叩き出した得点から、メダル獲得も見据えていた中での、衝撃的なシーンだった。失意の中、世界選手権の練習に向かう道中に「しんどい」「このままだと先が見えない」と感じたことが引退へ決め手となったという。

キャリアの終盤は満足できる結果が出せなかったかもしれない。それでも、オリンピック4大会で金3つを含む7つのメダル、世界選手権では21個(金10個)のメダルを獲得してきた実績は今後も輝き続ける。数字や記録だけではなく、内村の美しい体操を追求する姿勢も、人々の記憶に刻まれているはずだ。

内村は3月12日、「KOHEI UCHIMURA THE FINAL」で現役生活にピリオドを打つ。1月14日の引退会見で「オールラウンダーとしてずっとやってきたので、最後の最後に6種目をやって終わりたいという気持ちがあった」と語ったように、本人たっての希望の舞台だ。内村が心血を注いできた個人総合6種目を最後に見られるのは、応援し続けてきたファンにとってもうれしいことだろう。指の先からつま先まで、"キング"内村航平の最後の勇姿を、我々もしっかりと見届けていきたい。

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