**ルオル・デン**は、シカゴ・ブルズを代表するバスケットボール選手であり、NBAオールスターに2回選出された伝説の選手として知られている。
幼い頃に難民として南スーダンを後にした彼は、現在南スーダン・バスケットボール連盟の会長としての役割を担う中で、住宅を提供し、平和を育み、コミュニティの発展を促すなど、スポーツの力を通じて同国の再建を支えている。
彼の活動は2008年に国連難民高等弁務官事務所から人道賞を授与されるなど、数々の栄誉に輝いている。その功績を称えた人物として、彼の大ファンであるバラク・オバマ前米国大統領が挙げられる。
オバマ元大統領は、「紛争が絶えない世界において、私たちの最も重要な義務のひとつは、罪のない犠牲者の力になることです。デン以上にこのことを理解する人はいないでしょう。何百万人もの人々に希望を与えようとする彼の献身的な姿は、ルオルの人生そのものであり、インスピレーションでもあります。コートの上でも外でも、彼はすべての米国人がインスピレーションを得られるような卓越性と行動の基準を示しています」と語った。
開発と平和のためのスポーツ国際デーに合わせ、バスケットボール界のスターが歩んできた道のりと、より良い世界を作るためのスポーツの役割を紹介したい。
デンは1985年、南スーダンに生まれた。同国での生活は長く続かず、内戦から逃れるように父は3歳のデンと8人のきょうだいを連れ、エジプトの小さなアパートに移り住んだ。
デンがNBAのスターで同じく南スーダン出身のマヌート・ボルと出会ったのは、エジプトでのことである。デンはボルからバスケットボールを教わり、ボルは彼にとって精神的な支えにもなっていく。
「マヌートは正しいことのために立ち向かう人でした。彼は有名で、バスケットボールをし、誰もが彼の身長のことを話題にしていました。しかし、マヌートはいつも故郷に戻り、地元のために活動していました。それが彼であり、バスケットボールによって彼が変えられることはありませんでした」と、デンは昨年の世界難民の日(6月30日)のオリンピック・インスタグラム・ライブで語った。
「私がバスケットボールを始めたのは、マヌートが休暇をとってまで南スーダンのコミュニティを助けていたからです。もし母国の人を助けようとする彼のような人がいなかったら、僕はこんな機会を得ることはできなかったでしょうね」
ルオル・デン、NBAへの道のり
デンの父親は投獄され、1993年に釈放された。父が戻ると、一家はイギリスのロンドンで新たな生活を始めた。
転機が訪れたのはそれから少し経ってからのことだ。14歳になったデンは、米国のバスケットボールのスカウトから才能を見出されると、米ニュージャージー州にあるアカデミーへの奨学金を提供された。才能に溢れていた彼は再び荷物をまとめ、米国で新たな生活を始めることになった。
この決断が功を奏したことは間違いない。彼はデューク大学に1年間通い、2004年のNBAドラフトの全体7位でシカゴ・ブルズから指名を受けた。
2006年にはイギリス国籍を取得し、イギリス代表してロンドン2012オリンピックに出場。身長206cmのデンは、15年間にわたるNBAのキャリアの中で2度オールスターに選出され、2011-12オールディフェンシブチームにも選ばれた。
人生の大半を欧米で過ごした世界的なスーパースターだが、自分のルーツを忘れることは決してなかった。彼はキャリアを通じて、できる限り難民の生活を保護し、向上されるよう働きかけてきた。
2005年、デンは南スーダンの若い選手にバスケットボールの機会を提供する非営利団体、ルオル・デン基金を設立。その後、イギリスで才能のある選手を発掘するために、毎年夏に開催されるバスケットボール・キャンプ「デン・キャンプ」が創設された。このプログラムはのちに、南スーダン、そして米国の南スーダン人選手のためにも開催されるようになった。
2006年と2007年の夏には、NBAのコミュニティ支援プログラム「バスケットボール・ウィズアウト・ボーダーズ」の一環でアフリカ、アジア、ヨーロッパを訪れ、イギリスの子ども向け慈善団体スクール・ホーム・サポートや難民支援団体ロストボーイズ・オブ・スーダン、世界食糧計画などの慈善大使を務めた。
家族から学んだことをロッカールームに持ち込みましたし、その逆もありました。つまり、スポーツと人生はときに似ているということです。
- Olympics.comに語ったルオル・デン
デンは信念として、「コートの外でのポジティブな行動がコート上での良いパフォーマンスにつながり、それがコートの外でのさらなる良い行いを生み出す」という考えを胸に抱いている。
「スポーツは人と人をつなぐものです。チームスポーツであれ、個人スポーツであれ、同じ目標を持つ人たちと一緒になれる。それは家族にとても似ていて、最高の自分になるために協力し合います」と、Olympics.comに語る。
「人生と同じように、素晴らしいシーズンがあれば挫折もある。また戻ってきて、できる限り努力して、自分を追い込む。落ち込んだ日でも、チームメートやコーチがそばにいて、また元気を与えてくれる。家族から学んだことをロッカールームに持ち込みましたし、その逆もありました。つまり、スポーツと人生はときに似ているということです」
より多くの機会を南スーダンに
ロンドン2012の後、イギリスのバスケットボール界は予算が削減された。
これでは子どもたちが日常的にスポーツをする機会が大きく減ってしまうと考えた彼は、2014年にDENGアカデミーを設立した。
ロンドンの故郷ブリクストンで立ち上げたこの団体では、スポーツ界のトップに立つことも夢ではないという希望や、その道筋に光を当てるというミッションが掲げられた。
デンが現役時代にこれほど多くの人たちを助けられたのは驚くべきことだ。しかし彼は引退後、プロジェクトを維持するだけでなく、支援活動を抜本的に強化したいと考えていた。
2019年11月、彼は4年間の任期で南スーダン・バスケットボール連盟の会長に就任。さらに2022年2月、デンの財団は米国国際開発庁(USAID)と提携し、南スーダン・ユース・アクティビティ・キャンプを創設した。その目的として、バスケットボールに加え、紛争回避などの重要なライフスキルを教えることで、アフリカの国々のコミュニティの生活水準を向上させることを掲げた。
2021年、デンのバスケットボールへの貢献が認められ、大英帝国勲章(OBE)が授与された。勲章を得ても彼の姿勢が変わることはない。「恵まれない境遇にある人たちを助けたいという目標があったからもらえたもの」と、Olympics.comに語っている。
「難民とは、逆境を生き抜く人です。選択肢がない中で困難な決断を迫られる人たちです。私たちは皆、自分たちの故郷を愛していますが、より良い生活と機会を得るために、厳しい決断をしなければならない状況にあります」
「私はNBAで成功して有名になり、人々に知られています。しかし、持っている能力を発揮すべき偉大な人々、偉大な難民がたくさんいます。目標は、活動の継続。それが僕らの文化であり、それを続けていかなければなりません」