100年以上の歴史を誇る近代オリンピックにおいては「消えた競技」も多い。スキージョーリングも、たった一度しか行われていない競技だ。馬や犬につけられた手綱をスキーヤーが握り、動物に引かれて氷や雪の上を進む。この競技はなぜ「廃止」の烙印を押されたのか。幻の競技の歩みをたどる。
1910年前後にスポーツとして発展
スキージョーリングというウインタースポーツがある。日本ではあまり知られていないが、欧米では一定の人気を誇る。有名な大会の1つが、アメリカ合衆国コロラド州レッドビルで行われるレースだ。この街では1949年から毎年、スキージョーリングの大会が開かれている。
スキージョーリングは、馬や犬につけられた手綱をスキーヤーが握り、氷や雪の上を進む競技だ。水上スキーの雪原版と考えると、イメージしやすいかもしれない。
その起源には諸説ある。1つは19世紀中頃、金脈を探し当てるゴールドラッシュに沸く米国に出稼ぎに来ていた北欧の人々が母国に帰り、米国にあった犬ぞりを伝えたという説。「skijoring」は「スキーの運転」を意味するノルウェー語から発生したと考えられている。また、スカンジナビアに住む人々がトナカイに引き具をつけ、スキーで移動していたことが競技の由来だとする説、軍隊の冬の移動手段が競技化したという説もある。
いずれにせよスポーツとして発展したのは、1910年前後だと考えられている。1901年、1906年、1909年にスウェーデンのストックホルムで開催された国際大会「ノルディックゲームズ」は、スキージョーリングを採用。スイスとフランスでも人気に火がついたという。また米国ニューヨーク州のレークプラシッドという村―1980年に冬季オリンピックの舞台になっている―や、ニューハンプシャー州ハノーバーで盛んに行われたという記録が残されている。
ピエール・ド・クーベルタン男爵のお墨付き
スキージョーリングは一度だけオリンピックの舞台で実施された。1928年、スイス・サンモリッツで行われた冬季オリンピックの公開競技として採用されている。
スキージョーリングに光が当てられた背景として、興味深いエピソードが残されている。近代オリンピック創設に大きく関わったフランス人、ピエール・ド・クーベルタン男爵のお墨付きという話だ。20世紀初頭、ノルディックゲームズを観戦した際、クーベルタン男爵はスキージョーリングに感銘を受ける。程なくクーベルタン男爵はオリンピック関連の雑誌に冬季スポーツの記事を執筆、特にスキージョーリングの情報発信に熱を込めた。
1928年、サンモリッツ五輪でのスキージョーリング採用にはクーベルタン男爵の後押しがあったと考えられている。競技は1928年2月12日にザンクトモーリツァー湖の氷上で行われた。しかし参加した選手は2カ国8名と小規模。公開競技のためメダルの授与もなかった。
1位に輝いた選手はスイスのルドルフ・ウェッツスタイン。2位も3位もスイスの選手だった。そもそも参加した8選手のうち7選手が開催国のスイス人で、競技としてもエンターテインメントとしてもやや盛り上がりに欠けたのだと想像できる。
実際スキージョーリングはサンモリッツ五輪を最後に、オリンピックから「消えた競技」となっている。ほかの冬季スポーツと比較しても競技人口が少ない上、サンモリッツ五輪でも予想したような熱気を得られなかった。その結果、一度きりでの廃止となったのだろう。
バイクや四輪バギーによるレースも
現代に時計の針を戻す。オリンピックでは「消えた競技」となっているが、スキージョーリングは一定の人気を誇っている。冒頭でふれたレッドビルのレースなど、熱気を帯びた大会も少なくない。欧米では大会出場を見据えたスキーヤーに向けた練習場もある。
パートナーとなる馬や犬のスピードは、予想している以上に速い。スキーの高いコントロール技術が必要となり、手綱さばきに失敗すれば転倒、大ケガをする危険性もある。ケガのリスクも消えた理由の1つかもしれない。
オリンピックの歴史から消えている間、スキージョーリングは注目すべき進化を遂げている。スキーヤーのパートナーは馬や犬だけではない。いまやバイクや四輪バギーも、スキーヤーの命運を握っている。2017年にはラトビアを舞台に「レッドブル・トゥイッチング・ライド」という大会が行われ、150チームのスキーヤーたちがバイクに引かれ、雪に覆われたモトクロス用レーストラックを滑走した。
スキージョーリングとモーターサイクルの関わりは意外と古い。1937年に始まったという記録が残されており、1953年には自動車によるレースも行われた。それから20年、1973年には自動車によって平均時速114.28キロというスピード記録が更新された。
スキージョーリングには多様性があり、愛好家も少なくない。米国の競技団体が2026年ミラノ・コルティナダンペッツォ冬季五輪(イタリア)での復活を目指しているものの、現時点では未定だ。しかしオリンピックで消えた競技が、これからも進化を続けていくことは間違いない。