100年以上の長い歴史があるオリンピックにおいては「消えた競技」も多い。起伏のある野山などを駆ける陸上クロスカントリーも3度の実施のみで、オリンピックの競技から除外されてしまった。廃止決定は、秋や冬に行われるスポーツとして誕生した歴史的背景と無関係ではなかった。
秋や冬に行われるスポーツとして誕生
2024年のパリ五輪に向けて追加競技として認められなかった競技が2つある。ブレークダンス、スケートボード、スポーツクライミング、サーフィンが新たに採用される一方、陸上クロスカントリーと女子50キロ競歩は提案が却下された。なかでも世界陸連はクロスカントリーの100年ぶりのオリンピック復帰を目指していた。
「オリンピックから消えた競技」という位置を脱することができなかったクロスカントリーは、自然が舞台となるレースが基本で、起伏のある野山や草原地など整地されていないコースを選手たちは走る。日本でも認知度を上げているトレイルランニングが山の不整地を中心にしたものとすれば、クロスカントリーは競技性を高め、よりシビアな水たまりや泥池が間に入るルートが用意される場合もある。大会によって異なるが、走行距離は4キロから10キロの範囲で行われるレースが多い。
体力の消耗が激しいため、そもそもは暑さが厳しい夏場ではなく、秋や冬に行われるスポーツとして誕生した。1837年に英国のパブリックスクールの名門ラグビー校において「Crick Run」という名称で、クロスカントリーのような競技が行われたという記録が残されている。英語の「Crick」には「筋肉のけいれん」という意味があり、それほど過酷な競技という認識が根底にあったのかもしれない。
クロスカントリーの原型は19世紀初頭に「Hare and Hounds(うさぎと猟犬)」という名前で呼ばれた競技だという説もある。うさぎ役が最初にスタートし、その数分後に猟犬役が追いかけるように走り出す。うさぎ役は道中、紙くずを撒き散らし、猟犬役はそれを手掛かりに追跡する方式だったという。
3回のオリンピックでは北欧勢が活躍
近代オリンピックではごく初期に3度だけ実施されている。
1912年のストックホルム五輪、1920年のアントワープ五輪、1924年のパリ五輪と、ヨーロッパを舞台とした3大会で行われた。距離に関しては、1912年は1万2000メートル、1920年は1万メートル、1924年は1万650メートルという記録が残されている。競技はタイムを競う個人戦と、国の選手同士の順位をポイント化する団体戦が行われた。
1912年のストックホルム五輪の個人戦は北欧勢が表彰台を占めた。金メダルはフィンランドのハンネス・コーレマイネン、銀メダルはスウェーデンのヒャルマル・アンデション、銅メダルは同じくスウェーデンのヨーン・エケが勝ち取っている。クロスカントリーの金メダリストとなったコーレマイネンは5000メートル走、1万メートル走も制しており、3冠の偉業を達成している。団体戦ではスウェーデンが金メダルを獲得。フィンランドが銀メダル、イギリスが銅メダルという結果だった。
1920年のアントワープ五輪でも北欧勢が存在感を見せつけている。フィンランドのパーボ・ヌルミが金メダル、スウェーデンのエリック・バックマンが銀メダル、フィンランドのヘイッキ・リーマタイネンが銅メダルを首にかけた。団体戦はフィンランドが優勝し、イギリスとスウェーデンが続いた。フィンランドのヌルミは1万メートルも制しており3つの金メダルを獲得したうえ、5000メートルで銀メダリストとなっている。
フィンランドのヌルミは1924年のパリ五輪でも存在感を見せ、金メダルを勝ち取っている。2位はフィンランドのビレ・リトラ、3位はアメリカのリチャード・アール・ジョンソン。団体戦ではフィンランドが金メダル、アメリカが銀メダル、フランスが銅メダルという結果だった。ちなみに、クロスカントリーで2冠を達成したヌルミは1500メートル走、5000メートル走、3000メートル走団体でも優勝を果たしており、パリ五輪だけで5つの金メダルを獲得している。
世界陸連は男女混合チームのレースを提案
1924年のパリ五輪を最後に、陸上クロスカントリーは「廃止」の憂き目に遭っている。最大の理由は「夏場のオリンピックで行うのにはふさわしくない」というものだ。夏の太陽のもと、起伏や水たまりのある自然のなかを駆け抜ければ体力の消耗が激しいのは想像に難くない。
実際、1924年のパリ五輪では暑さのあまり、参加した38人のうち完走できたのは15人だけだった。他の23選手はゴールを諦め医療班の助けを借りなければならず、国際オリンピック委員会はこの事態を重く見た。結果、陸上クロスカントリーは「消えた競技」となってしまった。
オリンピックからはいまだ「消えた競技」のままだが、今も世界中に愛好家はいる。市民単位の大会はもちろん、2年に一度、国際陸上競技連盟の主催により世界クロスカントリー選手権大会が開催されている。日本でも2021年2月27日に福岡市で日本陸上競技選手権大会クロスカントリー競走が行われる予定だ。
2024年のパリ五輪でのクロスカントリー復活を目指した世界陸連は「夏場のオリンピックで行うのにはふさわしくない」という課題を解決するアイデアを提案している。男女2人ずつでチームを構成し、それぞれが2.5キロをリレー形式でつなぐというものだ。この方式であれば、通常より一人あたりの距離が短く、体力の消耗は抑えられる。100年ぶりのオリンピック復帰は果たせなかったものの、クロスカントリーの新たな可能性を示す案ではあった。
2018年、アルゼンチンのブエノスアイレスで実施されたユースオリンピックでは競技として組み込まれていた。草の根的な人気や世界陸連が打ち出した新たな競技方式などを考えると、陸上クロスカントリーがいずれオリンピックに復活する可能性は決して低くないと言えるかもしれない。