2018年1月に行われた「第37回大阪国際女子マラソン」。2020年の東京五輪代表選考会にあたる「マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)」の出場権を懸けたこのレースを制したのは、笑顔が眩しい22歳(当時)の“小さな巨人”だった。笑顔でゴールテープを切ったその瞬間、東京五輪マラソン代表選手の有力候補として、松田瑞生の名は全国に知れ渡った。
身長158cmの彼女は、決して長距離に向いているわけではない小柄な体型だ。ただ、それを支える強靭な武器を持っている。それは“バキバキ”に割れた男子顔負けの腹筋。「腹筋女王」「腹筋ガール」などの別名を持つほど、松田のトレードマークにもなったこの腹筋は、高校時代から鍛え続けてきたもの。走るときに身体を反る癖があったため、体幹強化に取り組んできたことが、今では松田の力強い走りを支えるひとつの強みとなっている。強靭な体幹があれば、強風が吹いても身体の軸はふらつかない。今でも毎日10種類ほどの腹筋のトレーニングを、1時間かけて最低500回は行うという松田は、まさに“努力”の人でもある。
開花した“走りの才能”
松田瑞生は、1995年5月31日に大阪府大阪市に生まれた。小学生のときは柔道をやっていたという松田。「ヤワラちゃん(柔道・谷亮子選手)になりたい」と言い出した妹がきっかけとなり、姉とともに三姉妹で柔道を習うことに。その一方で、走ることが好きだった彼女は、地域のマラソン大会に出ては優勝していたという。そのころから、走りの才能の芽は出ていたのかもしれない。彼女の中では、自然とマラソン選手になってオリンピックに出ることが夢になっていた。
松田が本格的に陸上を始めたのは、中学2年生のときだ。バスケットボール部の主将だった姉の影響もあり、1年間はバスケを経験。2000年シドニー五輪女子マラソンで金メダルを獲得した高橋尚子への憧れもあり、2年生で陸上部へ入部。そして、松田はその才能をいきなり開花させる。初めて出場した大阪市内の大会でいきなり優勝し、その後、全国大会に出場するほどの実力を発揮した。
高校は名門大阪薫英女学院に進学。すでに突出した実力を持っていた松田は、1年生のときからエースとなり、3年間全国高校駅伝に出場した。2年生のときには区間賞も獲得している。そのころからマラソンに挑戦するため、自主練習に力を入れるようになった。監督に内緒で、実家の近くのジムに通い、練習量を補う――その練習は深夜まで続き、当時の監督から止められるほど、ハードなものだったようだ。“シックスパック”に割れた腹筋はこの頃からだという。抜きん出た才能は監督の折り紙つきだったが、松田は練習を怠らなかった。
初挑戦のマラソンで初優勝、そして五輪候補へ
高校卒業後、五輪代表を多く輩出してきたダイハツに入社。20代前半からマラソンに挑戦できる環境を選んだ。日本陸上選手権の1万メートルに出場することを目標に、練習を積む毎日。しかし、リオデジャネイロ五輪出場を目指して挑んだ2016年日本陸上選手権1万メートルは4位となり、涙を飲んだ。しかし、翌2017年の同選手権では、リオ五輪代表の鈴木亜由子(日本郵政グループ)をラストで追い抜き、見事に優勝を果たす。ただ、この後に出場したイギリス・ロンドンの世界陸競技選手権大会の結果は振るわず19位に終わった。しかし、世界レベルの選手と競うレースは、松田にとって戦績以上の経験をもたらしたはずだ。
2018年、松田のフルマラソンへのチャレンジがいよいよスタートした。短期集中的に練習をこなし、満を持して挑んだ「第37回大阪国際女子マラソン」では、初挑戦にして初優勝という驚くべき結果を達成する。タイムは日本女子歴代9位、初マラソンでは歴代3位という大記録を叩き出し、東京五輪マラソン代表選手の有力候補として、一気に名乗りをあげることになった。
大阪出身の松田は地元の声援に後押しされ、終始リズムを崩さず、気持ちよく走り抜けることができたのだろう。2時間22分44秒という記録で、日本女子マラソンベスト10入りした。思い返せば、子どもの頃から憧れていた高橋尚子の記録は、日本歴代3位の2時間19分46秒。日々の鍛錬と努力で、憧れの選手と同じ土俵に上がれるまでに成長していた。ガッツポーズでゴールテープを切った彼女は、カメラに向かって満面の笑みを見せ、待っていた母親の明美さんと、明るく喜びを分かち合った。明美さんは鍼灸師。高校時代から試合前に身体を診てもらってきた。カメラの前でみせる大阪人らしい母娘のやりとりは、底抜けに明るい松田のルーツを垣間見せていた。
若い世代の先頭に立つ
二度目のフルマラソンの舞台は、2018年9月のベルリンマラソンだった。レース後半まで大きなペースダウンもなく、2時間22分23秒と自己ベストを更新する圧巻の走りだった。日本女子トップとなる5位という成績に松田は納得できず、涙を見せる一幕もあった。結果に満足せず、さらに高みを目指す。来年のMGCで優勝できるようにがんばりたいと闘志を燃やす彼女からは、強いエネルギーを感じる。
2020年東京五輪からマラソン代表選手の選考方法が変わった。これまでは、複数の選考会の結果から、五輪代表選手を選出していたが、2020年の東京五輪から、「一発選考」の要素が取り入れられ、松田が内定している2019年9月のマラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)から、男女各2枠が決定する。選考方法の変更により、選出選手の若返りも見られている。松田を含めMGCに内定した選手8人中5人が20代前半だ。「同世代と戦う喜びを感じ、勝負できる体づくりをしていきたい」と松田は話す。来年のMGCに照準を合わせて、彼女は今日も努力を重ねていく。
日本選手権では1万メートル2連覇中の松田。2度挑戦したマラソンで、2時間22分台を並べた彼女の活躍から目が離せない。23歳と若手だが、自身では2020年を競技生活の区切りと考えているそうだ。そして、マラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)までは、マラソンの大会には出場せずに、本番に向けて調整していくという。初めての五輪で表彰台を狙う彼女の笑顔とガッツポーズを見られる日はきっと来る。自慢の腹筋を武器に、小さな巨人の戦いはこれからも続く。