「小学生の娘に試合を見せたい」五輪に賭ける荒木絵里香の想い

東京五輪で2度目のメダル獲得を目指す荒木絵里香

2018年女子バレーボール世界選手権が9月29日から10月20日までの約1カ月にわたり、日本国内で開催された。大事な場面で登場し、ブロックやサービスエースを決めて、「火の鳥NIPPON」の決勝ラウンド進出に貢献したのが、3度のオリンピックと世界選手権に出場し、チーム最年長の34歳ママさんバレーボーラー荒木絵里香だ。

ロンドン五輪で28年ぶりの銅メダルを獲得したとき、主将を務めた荒木絵里香。4度目となる東京五輪は、小学生の娘に試合を見せることが目標だという。そして、荒木はチームメイトたちと一緒に、もう一度、表彰台に上がることはできるのだろうか。

日本一を逃すも、要所で決めるベテランの存在感

12月23日、東京大田区にある大田区総合体育館で、今年の日本一を決める全日本バレーボール選手権大会(皇后杯)の決勝が行われた。対戦するのは久光製薬スプリングスとトヨタ車体クインシーズ。荒木絵里香が所属するトヨタ車体は、連覇がかかった試合でもあったが、試合は1−3で、石井優希ら全日本メンバーが数多く所属する久光製薬に負けた。

荒木自身は怪我明けでの出場だったが、18打数15得点でスパイク決定率83.3%。ブロックで5得点を挙げるなど、「さすがは荒木」というようなプレーを見せ、全日本に欠くことができないミドルブロッカーであることを証明した。しかし、試合後の記者会見では「最後に勝ちきれないのは自分たちの実力であったり、弱さだったりだと思います。反省して次につなげていきたい」と、悔しさをにじませながら語った。

スポーツ一家のプリンセスは高校3冠達成

荒木絵里香は1984年8月3日、岡山県倉敷市に生まれた。父は“荒ぶる魂”早稲田大学ラグビー部OB。母は体育教師という家庭で育った。幼少期から水泳や陸上などスポーツに親しんできた。バレーボールは小学校5年生で始めた。当時、すでに身長が174cmあったという。中学校までは倉敷市の学校に通い、全国都道府県対抗中学バレーボール大会(アクエリアスカップ)に出場する岡山県の選抜チームに選ばれている。
父親の東京転勤にともない、高校は成徳学園高校(現下北沢成徳高校)に進学。同期には元全日本の大山加奈、2年後輩には木村沙織がいる。荒木は大山らとともにインターハイ、国体、春高バレーで優勝する高校3冠を達成した。

2003年、高校を卒業した荒木は、東レアローズに入団。1年目から活躍して、Vリーグ(当時)ベスト6を受賞。全日本メンバーに初選出されて、2004年のヨーロッパ遠征に参加するも、アテネ五輪のメンバーからは外れてしまった。翌2005年も全日本に選出されるが、まだ先発メンバーではなく、ワンポイントのブロック要員として起用されることがほとんどだった。

ワンポイント要員から先発メンバーに成長

転機となったのは、2006年ワールドグランプリ初戦のキューバ戦だろう。高さのある相手に対抗するために先発メンバーで起用された荒木は、スパイク決定率90%という驚異的な数字を残し、レギュラーの座を射止めた。また、2007年9月にタイで開催されたバレーボール女子アジア選手権で日本は、若手の荒木や木村などが活躍し、24年ぶりの優勝を果たした。チームの勝利に大きく貢献した荒木は、11月に国内で開催されたワールドカップで、先発メンバーとしてフル出場を果たすなど、日本の最終成績は7位に終わったが、荒木自身は全日本の不動のセンタープレーヤーとしての地位を確立していった。

全日本での成長がもたらした国内リーグでの活躍

2007−08シーズンのV・プレミアリーグで荒木が所属する東レアローズは初めてリーグ優勝を果たした。荒木はMVPのみならず、スパイク賞、ブロック賞、ベスト6を受賞する。また、荒木のスパイク決定率は54.7%で、これはVリーグ時代に先野久美子が記録した53.4%を抜いて日本人最高記録となった。そして、2008年1月6日に行われた全日本選手権(皇后杯)の決勝で、荒木の所属する東レアローズは、久光製薬スプリングスを下して、日本一に輝いた。攻守で活躍した荒木は、エースのベタニア・デラクルス(ドミニカ代表)に次ぐ得点を獲得、決勝でのスパイク決定率は72.7%と驚異的な数字を残した。

荒木の特徴は高いブロックとセンターからの速攻だ。外国人選手と比べて体力的に劣る日本人のセンタープレーヤーは、相手のブロックをかわすために、左右に移動するワンレグ攻撃を得意とする選手が多いが、荒木はセンターからのクイック攻撃で得点を稼いでいる。相手ブロックが追いつかないスピード、ブロックを弾き飛ばすだけのパワーを持つ荒木らしいプレーだが、もうひとつの狙いは、荒木がセンターから攻撃することで、相手ブロックの注意をひきつけ、味方のウィングスパイカーたちが決めやすい状況を作り出すことだ。日本人としては体格に恵まれた荒木だが、自分よりも大きな外国人選手を相手に全日本で磨きをかけてきたことが、国内リーグでの大活躍につながったと言える。

海外クラブ挑戦と28年ぶりのメダル

荒木が初めてオリンピックに出場したのは2008年8月の北京五輪だ。2004年のアテネ五輪は最終予選の直前に招集され、ヨーロッパ遠征にも参加したが、残念ながら結果が出せずに、最終メンバーから外されてしまった。そのときの悔しさを胸に、荒木は技術を磨き、やがて全日本のレギュラーに定着。全日本不動のセンターとして北京五輪に出場した。優勝したブラジルと準々決勝で日本は対戦、0-3のストレート負けを喫して、アテネ五輪と同じ5位に終わった。ただ、荒木自身はベストブロッカー賞に選出されている。

荒木は、北京五輪後すぐに、イタリア・セリエAの名門クラブチーム、ベルガモに1シーズンの期限付きで移籍、単身で海外に挑戦する道を選んだ。「オリンピックに出場する」、「海外でプレーする」という高校生のころのふたつの夢を、ほぼ同時に達成した。荒木は世界の強豪国の選手と対峙したときに、いつも、「自分にはセンターとして絶対的な“存在感”が足りない」と感じていたそうだ。互角に戦えるようになるためには、より厳しい環境に身を置いて、常に競争しなければならないと思っていた。

2009年、新たに招集された全日本で荒木はキャプテンを任されることになる。翌2010年に日本で開催された世界選手権。柳本前監督から引き継いだ眞鍋監督は、ITを駆使したデータバレーで全日本のレベルアップを図ってきた。3位決定戦でアメリカに、フルセットの末、逆転勝ちで銅メダルを獲得。日本が世界選手権でメダルを手にするのは32年ぶりだった。

そして迎えた、2012年6月ロンドン五輪。荒木は2度目となるオリンピックに出場する。予選を3勝2敗の3位で、3大会連続で決勝トーナメントに進出。準々決勝の相手は、これまでまったく歯が立たなかった中国を相手に3-2とフルセットの末に破る。すべてのセットが2点差で決着するという激しい戦いで、ソウル五輪以来となる24年ぶりのベスト4に進出する。しかし、準決勝で対戦したブラジルには、前試合の激闘による疲労が影響してか、3-0のストレート負けを喫して3位決定戦に回ることになった。

相手は5月の最終予選で1-3と敗北した韓国。前日に男子サッカー3位決定戦で韓国に敗れてメキシコ五輪以来のメダルを逃していたこともあり、「サッカーのリベンジをバレーで」というような声も聞こえる中、全日本は3-0のストレートで韓国に勝利した。荒木はキャプテンとしてチームをけん引、スパイク決定率はチーム最高の77.8%を記録して、28年ぶりとなる銅メダル獲得に大いに貢献した。全日本のメダル獲得は日本のバレーボールファンを大いに沸かせた。

結婚・出産を経て、リオで代表復帰

ロンドン五輪後の2012-13シーズンV・プレミアリーグで、荒木が所属する東レアローズは久光製薬スプリングスに優勝を譲り、2位となった。ただ、荒木個人はスパイク賞、ブロック賞、サーブ賞の個人タイトルで3冠を達成するとともに、敢闘賞とベスト6を受賞するなど素晴らしい成績を収めた。また、2013年6月にラグビー元日本代表の四宮洋平と結婚、妊娠を機に東レアローズを退団。2014年1月には第1子が誕生した。そして、そのわずか5カ月後、荒木は上尾メディックスで現役復帰を果たす。そのスピードに周囲は驚いた。しかし、本人は「子ども産んでからもう1回やると決めていたので、迷いも戸惑いもなかった」と語っている。復帰前は、子どもをあやしながらスクワット、夫が帰宅後、寝ているところを見計らってランニングしていたそうだ。リーグが始まれば約5カ月間、試合で各地を転戦する。夫や両親という家族の協力があってのことだった。

その荒木がもうひとつサプライズを起こす。それはリオデジャネイロ五輪出場を目指す全日本への復帰だった。眞鍋監督からは、「出産後に戻ってくるのを待っている」と言われていた。荒木本人はもう一度代表となることまでは考えていなかったようだ。オリンピックイヤーの全日本となれば、長期の海外遠征も伴う仕事だ。家族の負担もさらに重くなる。全日本への復帰を迷う荒木が決心したのは、夫である四宮の「やるからにはトップを目指せ」という後押しがあったからだそうだ。そうして臨んだリオデジャネイロ五輪で全日本は、準々決勝でアメリカに敗れて、最終的に5位という成績で終わった。金メダルは中国、銀メダルはセルビア、銅メダルはアメリカという結果だった。

再び代表復帰と36歳で迎える東京五輪

2018年9月、日本で開催された世界女子バレーボール世界選手権。荒木は全日本のセンターとしてコート上に立っていた。2016年10月、東京五輪を目指しスタートを切る全日本の監督に、“天才セッター”と呼ばれ、15歳で全日本入りし、ロサンゼルス五輪で銅メダルを取った中田久美が就任することが発表された。女性監督は生沼スミエ以来、二人目だ。

柳本監督、眞鍋監督、中田監督と3人の監督の元で招集され続けてきた荒木は、やはりオンリーワンの存在なのだろう。中田監督も「過去の経験や実績ではなく、(国内)リーグでのパフォーマンスを見て決めた」と招集理由を明らかにしている。その荒木は、2018年の世界選手権の大事な場面に登場して、ブロックポイントやサービスエースを決め、試合の流れを日本に手繰り寄せるなどベテランらしいプレーを見せてくれた。

大会後に本人は、「どんな状況でも気持ちが揺らがないようにメンタルがコントロールできるようになった」と答えるなど、精神面での向上を実感しているようだ。また、キャプテン経験者として、現在のキャプテン岩坂名奈をサポートする役割も果たしている。荒木自身は、リオデジャネイロ五輪で、思い通りに動けなかった悔しさを胸に抱えている。

東京五輪出場はきっと目標のひとつだろう。そして、荒木は、出産後に子育てをしながら、第一線でプレーを続ける稀有なアスリートのひとりである。彼女の姿は、子育てしながら仕事を続けている多くの女性たちの目標になるだろう。世界を相手にコートの上で働く母親の姿は、きっと眩しいほどに輝いているはずだ。「小学生になった娘に試合を見せたい」という想いを荒木には叶えて欲しい。

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