ラクロスの起源はネイティブアメリカンの営み。オリンピックでは第3回大会で初採用【消えた五輪競技】

2028年ロサンゼルス五輪での復帰なるか

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
1890年には女性の試合が行われたという記録が残されており、今もラクロスの女性ユニフォームがスカートなのは当時の名残りと言われている

100年を超える歩みを続けるオリンピックの歴史においては「消えた競技」も存在する。現在、ワールドカップや世界選手権が行われるラクロスも2度正式競技として採用されただけで、「廃止」の不遇をかこっている。起源、オリンピックでの実績、今後の展望を紹介する。

ネイティブアメリカンの競技をフランス人が発展

ラクロスはネイティブアメリカンの間で生まれたと言われている。

諸説あるものの、17世紀、北米に住んでいたアメリカ先住民たちが部族間の戦闘のため、戦いの訓練のため、娯楽のため、あるいは宗教的儀式のために行っていたものが原型という説が有力だ。

民族同士の争いに用いられた際は、広い土地に時には10万人規模が参加し、どの民族が世界を支配するかを決めたという宗教的な逸話も残っている。19世紀に活躍したアメリカ人芸術家のジョージ・カトリンは、大勢のアメリカ先住民たちが競技を展開する絵画を描いている。

ネイティブアメリカンによる競技を「ラクロス」というスポーツに発展させたのは、17世紀からカナダに入植してきたフランス人たちだ。「Lacrosse」という名前は競技で使うスティックが修道士の持つ杖に似ていることに由来する。フランス語で「杖」=「La Crosse」とシンプルに名付けたのは、イエズス会のフランス人宣教師だという。

ラクロスは1860年にカナダの国技となった。ルールの原型もこの時期にほぼ出来上がっている。両チーム12人ずつ、網の付いたスティックを駆使しながら、相手ゴールを狙っていく。試合時間は15分×4クォーター。観戦する限りは、フィールドホッケーのイメージに近い。細かなルールは時代ごとに変遷していく。

ラクロスは早くから男女機会均等が図られている。1890年、スコットランドのセント・レオナルズ・スクールという女子校で行われたのが女性初のラクロス競技と言われている。同校の卒業生たちが1896年にイギリスのワイコム・アビー・スクール、1902年にローデアン・スクールにラクロスを伝えたというエピソードもある。女性はスカートで試合を行っており、今もラクロスの女性ユニフォームがスカートなのは当時の名残りと考えていいようだ。

参加国が限られた2度のオリンピック

19世紀に整理された競技だけに、オリンピックへの登場も早い。ラクロスは、近代オリンピックの第3回大会となる1904年のセントルイス五輪で採用されている。

ただ、正式競技として実施されたものの、極めて小規模な争いとなった。参加したのはカナダの2チームとアメリカの1チームの計3チームのみ。当時のオリンピックは現在と比較すると国の代表という色合いが薄く、出場選手のほとんどが開催地のアメリカ人だった。セントルイス五輪のラクロスもクラブチームで行われた。カナダのウィニペグ・シャムロックスが金メダルを獲得。アメリカのセントルイス・アマチュア・アスリート連盟が銀メダル、カナダのモホーク・インディアンスが銅メダルという結果に終わっている。

続く1908年のロンドン五輪でもラクロスは実施されている。もっとも、たった1試合しか行われていない。参加したのがカナダとイギリスの2カ国しかなかったからだ。南アフリカも出場予定だったが、直前に辞退した。事実上の決勝となった一戦はカナダが14−10で勝利し、金メダルを獲得している。敗れたイギリスも銀メダルを手にした。

たった2カ国で行われたロンドン五輪を最後に、ラクロスはオリンピックから「消えた競技」と見なされている。

1928年のアムステルダム五輪、1932年のロサンゼルス五輪、1948年のロンドン五輪で行われたものの、公式なメダル授与がない公開競技としてだった。アムステルダム五輪に参加したはカナダとイギリスとアメリカの3カ国、ロサンゼルス五輪にはカナダとアメリカの2カ国、ロンドン五輪ではイギリスとアメリカの2カ国。国際舞台にしては物足りないといえよう。

正式競技として実施された2度のオリンピックだけでなく、開催地で人気だったり、今後の採用を検討したりするうえで試験的に行われる公開競技でも、国際的な広がりが乏しく、参加国が極めて限られていたこと。ラクロスがオリンピックで「廃止」の扱いを受けた大きな要因がその辺りにあったと見ていいだろう。

2028年ロサンゼルス五輪追加採用への動き

ラクロスがオリンピックから「消えた競技」となってから70年以上がたつ。東京五輪でも実施されないが、この先も行われないと判断していいわけではない。

2018年11月30日、国際オリンピック委員会(以下IOC)は国際ラクロス連盟を3年間の期限つきで自委員会の承認団体とすることを発表した。オリンピックの競技として採用されるためにはIOCの承認団体となっていなければならず、ラクロスの関係者やプレーヤーにとっては大きな前進と言っていい。

具体的には2028年のロサンゼルス五輪での「復活」を期待する声が少なくない。開催地であるアメリカはラクロス発祥の地であるカナダの隣国であるうえ、1904年のセントルイス五輪でラクロスを実施。公開競技として行われた3度のオリンピックでもラクロスチームを送り込んでいる。現在はメジャーリーグ・ラクロスというプロリーグも人気を博しており、十分な下地はある。

他のオリンピック競技と同様、国際舞台も行われている。その筆頭が四年に一度実施されるワールドカップ、または世界選手権だ。前回大会は女子が2017年に開催され、アメリカが優勝、カナダが準優勝。男子は2018年に実施され、こちらもアメリカが優勝、カナダが準優勝という結果だった。女子日本代表は9位、男子日本代表は6位という成績を収めている。

現在、国際ラクロス連盟には、アジア・太平洋、欧州、アメリカ大陸の3大陸主幹組織に加え、67の国と地域が加盟する。懸念だった国際的な広がりは大幅に改善された。

2028年のロサンゼルス五輪での追加採用を見込み、日本ラクロス界も積極的な動きを見せている。

国内での競技浸透のキッカケも大学生による取り組みから始まった背景もあって、ラクロス人口のうち多くが大学生といわれる。そのため日本では大学スポーツでの競技力が高い一方、国内競技人口のアキレス腱にもなっている。コロナ禍により学生の部活動が制限されることで競技者が減りかねないからだ。そこで2020年10月、日本ラクロス協会が「競技者の9割が大学生から始めるスポーツ」という言葉を用い、強化プランを実施。特に新大学生に向け「新入生勧誘プロジェクト」を展開した。

また、同年11月には、6人制ラクロス「Sixes」の2022年公式競技開始を目指すことに加え、従来の世界選手権の誘致検討も発表した。競技人口増加と認知度アップをはかり、2028年の躍進へとつなげようとしている。

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