2018年10月のシカゴマラソンで2時間5分50秒という日本新記録を樹立。一躍時の人となったのが大迫傑(おおさこ・すぐる)だ。マラソン界のニューヒーローの強さの秘訣は、独自の走法にある。大迫の走り方と生き方は、走ることを愛し、自分自身と戦い続けるすべてのランナーたちにとって大いに参考になる。
不整地を走ることで身についた「フォアフット走法」
大迫傑(おおさこ・すぐる)は1991年5月23日に東京都町田市で生まれた。
本格的に陸上を始めたのは中学時代。早稲田大学在学中には全日本大学駅伝、箱根駅伝等で区間賞を活躍し、卒業後はアジア人初のナイキ・オレゴン・プロジェクト所属選手となった。2017年4月には自身初のマラソンとなるボストンマラソンを2時間10分28秒で駆け抜け、いきなり3位入賞を果たす。さらに、翌年10月のシカゴマラソンで2時間5分50秒というタイムをたたき出して日本記録を更新し、マラソン界に新風をもたらした。
大迫本人は自身の走りについて「意識したことはなく、報道でワードが出てきて初めて僕も検索した」と語ったことがある。彼の強みとされているのがつま先で地面を捉えて走る「フォアフット走法」だ。従来の長距離界ではかかとから地面に着地する方法が用いられてきただけに、大迫の走りは「常識破り」とも言われる。本人いわく、「不整地を走ったり、スピードに特化したトレーニングの中で自然と身についた」のだという。不整地を走る際に捻挫をしないよう、足裏が接地する時間を短くしているというわけだ。
一般的なフォアフット走法では、衝撃吸収のクッションの役割としてつま先を使うが、大迫は違う。つま先を接地させた瞬間、地面の衝撃を吸収しながら加速させる。体のほぼ真下で接地させることで、ふくらはぎを使って、つま先→踵の順に重心を移動させる形だ。
さらに、大迫の走りにおいては、前傾姿勢であることも革新的な点として注目される。長距離走で主流となっている、体を垂直に立て小幅で歩数を多くする「ピッチ走法」とは大きく異なり、体を前に倒すことで、重心が前に引っ張られる。すると転ばないように、とにかく足を前に出すためどんどんと加速していく。
これらの特長は「マラソン大国」ケニアのランナーと、共通していることも見逃せない。2016年のリオデジャネイロ五輪金メダリストのエリウド・キプチョゲも前傾姿勢で走るが、これは優れた体幹を保てているからこそ可能なことだと考えられている。大迫の特長として、長い脚と小さい頭など、身体的な面でも日本人離れした部分を持つ点を指摘する声もある。
ニュートレンドとなった「厚底シューズ」
大迫の日本記録更新で注目されたのは、その走法だけではない。
驚異のスピードを支えるギアも、一躍ブームとなった。一つは彼をはじめ、現在世界中のトップランナーが着用している厚底シューズだ。厚底部分にはカーボン製のプレートが埋め込まれており、反発力を高め、足を前に押し出される感覚が生まれるとされている。加えて、機能性の優れたハーフタイツも売り上げを伸ばしている。従来のランナーが履いていた太腿まわりのゆったりとしたランニングパンツではなく、大迫は風の抵抗を受けない、フィット感のあるコンプレッションタイツを好んで着用している
アフターケアへの意識が非常に高いのも大迫の特長だろう。アメリカでの先進的なトレーニング方法に刺激を受け、週2回はメディカルトレーナーのケアを受ける。超音波治療器などの機械にも頼りながら、自宅でもテレビを見ながらストレッチをしたり、ボールを使ってコリをとったりするなど細かなリカバリーを欠かさない。日々の積み重ねがしっかりと結果につながることを、あらためて裏づけるエピソードだ。
目先の記録ではなく、自らとの勝負にこだわる
スポーツの基本は「心技体」とよく言われる。42.195キロの孤独なレースが続くマラソンはメンタル面が占める割合が非常に重要とされている。
大迫は決して言葉数の多い選手ではない。ただ、それだけに強い闘志と、周囲に影響されない芯の強さが伝わってくる。決してプレッシャーに押しつぶされることはなく、自分の目標へと着実に進んでいるのだ。偉業を達成した今でも「日本記録を持ちたい」という気持ちを重視しているわけではない。
ある取材で大迫は「その日、その一瞬を大事に、少しずつしか進めないことに気づくこと」が大切だと話した。その日の天候やコンディションに左右される、タイムという目先の数字にこだわるのではなく、自分ではどうしてもコントロールのできないライバルの走りのことを考えることにも価値がない、という考え方だ。「多くの時間を割くのは、自分の内にフォーカスすること。自分との勝負に時間を費やしている」きっぱり言い放つ。
ストイックで負けず嫌い。常に厳しい環境に身を置くことで成長してきた。「東京オリンピックのために、一つひとつできることをこなす」。その言葉の裏には確かな説得力が存在する。