【プレイバック】サッカー・北京五輪:本田や香川擁する反町ジャパンは3戦全敗...世界を経験した選手たちはやがて代表の主力に 

リオネル・メッシを軸に据えたアルゼンチンが2度目の金メダル

3連敗でグループリーグ敗退。屈辱とともに世界基準を知った選手たちの数名はやがてヨーロッパのトップクラブでプレーすることになる

サッカー男子日本代表にとって、28年ぶりにオリンピック出場を果たした1996年のアトランタ五輪以降、最低の成績と言っていいのが2008年の北京五輪だ。勝ち点1さえ手にできずに大会を去ることになった。ただ、目先の結果は伴わなかったものの、この舞台を経験した吉田麻也や長友佑都、本田圭佑や香川真司がやがて主力として日本代表をけん引することを考えると、北京五輪が持つ意味は決して小さくないと言える。

アメリカ、ナイジェリア、オランダとの「死のグループ」に

北京五輪のサッカーで、日本代表は世界との差を突きつけられた。

2007年、カタール、サウジアラビア、ベトナムと同組で行われたアジア最終予選は3勝2分け1敗の成績。首位でオリンピック行きのチケットを手にした。6試合で7得点2失点と、攻守に安定したプレーを披露している。特にディフェンス面は6試合中5試合で完封と、堅守を発揮した。

北京五輪のグループリーグは厳しい顔合わせとなった。同じグループBに組み込まれたアメリカ、ナイジェリア、オランダはいずれも格上と言わざるを得ない。

北京五輪世代が臨んだ2005年のワールドユース(現U−20ワールドカップ)を参考にすると、日本が楽観的になれる要素はなかった。日本はオランダに圧倒され1−2で敗戦。そのオランダを準々決勝でPK戦の末に下し、最終的に準優勝という結果を残したのがナイジェリアだ。そして決勝でナイジェリアを2-1で退けたアルゼンチンに、同ワールドユースで唯一勝利したのがアメリカだった。アメリカはリオネル・メッシらを擁するアルゼンチンを1-0で破ってみせた。

アメリカ、ナイジェリア、オランダの3チームはいずれも決勝トーナメントに進出する力を持っていた。視点を変えれば、三つ巴の構図となったグループBは強豪が早期敗退する可能性を秘めており「死のグループ」と報じるメディアもあった。北京五輪の日本代表を率いた反町康治監督は、3チームのみならず、自分たちにも「死のグループ」を突破できるだけのチーム力があると感じていた。日本代表の指揮官は、のちにある取材で「実力差はないと思っていた」と明かしている。

2連敗を喫し早々とグループリーグ敗退が決定

指揮官の見立ては決して誤っていたわけではない。だが、日本サッカー界は結果を真摯に受け止めなければならなかった。3戦全敗、3試合で1得点4失点と、辛酸をなめた。 

2008年8月7日、初戦のアメリカ戦は前半をスコアレスで折り返す。後半開始早々の47分にセンタリングに合わせられたシュートをGKの西川周作が抑えきれずリードを奪われた。そのまま試合は終了し、0−1で黒星スタートとなった日本は、第2戦のナイジェリア戦も1−2で落としてしまう。前半は0−0で耐えたものの、58分、74分と失点を重ねた。79分に谷口博之のパスを豊田陽平が決めて追いすがったが、2連敗を喫し第3戦を待たずしてグループリーグ敗退が決まった。第3戦のオランダ戦は73分に本田圭佑が相手を倒したという判定でPKを取られると、これを決められ、0-1で黒星を喫した。

3連敗に終わった北京五輪は、結果だけを見れば大きな収穫がなかったように思える。だが、未来につながる大会という点では、日本サッカー界に好影響を及ぼしている。反町監督はのちに取材に応じて「自分は本大会まで半年しかない中で、一度チームを壊して勝負しようと思った」と明かしている。実際、アジア最終予選で主力を担ったDFの伊野波雅彦や青山直晃、MFの水野晃樹や柏木陽介、FWの森島康仁らを北京で戦う18人の最終メンバーに選出していない。代わりに吉田麻也や森重真人、長友佑都や内田篤人、香川真司や岡崎慎司といったアジア最終予選での出場が少ない選手、またはもう一つ下の世代の若手の可能性を見込んだ。 

反町監督は3戦全敗ながら内容は決して劣っていなかったと考えた一方、「オリンピックで初めて世界大会を経験する選手が多かった」部分を敗因の一つと分析している。ただし、北京五輪で「初めて世界大会を経験」した長友や岡崎を含め、北京五輪で中軸を担った吉田や本田、香川らがやがてヨーロッパのクラブ、あるいは2010年や2014年のワールドカップで躍動することを考えると、北京五輪の3連敗が日本サッカー界にもたらした意義は決して小さくないと言える。

優勝したアルゼンチンはブラジルを3−0で一蹴

北京五輪の男子サッカーで主役を演じたのは、アルゼンチンだ。

2004年のアテネ五輪に続き、金メダルを獲得したチームは、精鋭ぞろいだった。攻撃陣の中心にいたのはリオネル・メッシ。セルヒオ・アグエロとエセキエル・ラベッシに加え、アンヘル・ディ・マリアといった当時からヨーロッパのトップレベルでプレーする選手を擁した。オーバーエイジ枠では、チャンスメーク力に長けるフアン・ロマン・リケルメや、抜群のディフェンス力を誇るニコラス・ブルディッソとハビエル・マスチェラーノを招集している。

アルゼンチンはコートジボワール、オーストラリア、セルビアと同居したグループAを3戦全勝で首位突破を果たした。オランダとの準々決勝では1−1で迎えた延長戦にディ・マリアが得点を挙げ2−1で勝利。永遠のライバルであるブラジルを準決勝で3−0で一蹴すると、決勝ではナイジェリアを1-0で退け、見事金メダルを獲得した。6試合で計11得点2失点と、攻守ともに屈指の機能度を見せている。メッシとラベッシ、アグエロとディ・マリアがそれぞれ2得点ずつと、一人のアタッカーに依存しないサッカーが奏功した。

3位決定戦ではブラジルがベルギーを3−0で下し、面目を保ってみせた。ブラジルには2007年にレアル・マドリードと契約を交わしていたDFのマルセロや、マンチェスター・シティでもプレーし、2018年に名古屋グランパスに加入したFWのジョーなどがいた。銅メダルを逃したベルギーでは、DFバンサン・コンパニやヤン・フェルトンゲン、MFのマルアン・フェライニやムサ・デンベレなど、10年後のロシアW杯で3位という好成績を残す選手がプレーしていた。23歳以下という年齢制限が設けられているオリンピックは、次代のサッカー界を担う若手がステップアップを果たす場にもなっている。

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