2018年12月20日、全日本選手権が開幕した。リオデジャネイロ五輪63キロ級金メダルの川井梨紗子、オリンピック4連覇を成し遂げた57キロ級の伊調馨がエントリーする中、53キロ級に吉田沙保里の名前はなかった。現役続行の意思を示しながらもリオデジャネイロ五輪以降実戦から離れていた吉田は、19年1月に現役引退を表明した。世界大会16連覇や個人戦206連勝など輝かしい戦歴を誇った彼女のキャリアを振り返る。
海外では敵なし。国内の強敵を制して吉田時代が到来
吉田沙保里は1982年10月5日、三重県津市に3人きょうだいの末っ子として生まれた。父は元レスリング選手で指導者の栄勝。母の幸代はインターハイ出場経験もある元テニス選手というスポーツ一家。兄2人は父親の指導でレスリングを始めていた。最初は兄の練習を見学しているだけだった沙保里も、3歳のころには練習に参加するようになる。5歳のころには男の子に混ざり、ちびっこレスリング大会に出場していた。
公務員の栄勝による「一志ジュニア教室」でレスリングの指導を受けつつ、一志町立一志中学校では、体力を付けるため陸上部に所属した。中学校時代の吉田は、44キロ級、48キロ級、52キロ級と階級を上げながら、全国中学女子選手権で3連覇を達成。三重県立久居高校に進学すると、世界レスリング連合が主催するカデット世代(16・17歳)の大会、世界カデット選手権で連覇を果たす。
国際大会で目覚ましい結果を残す一方で、国内では何度か苦杯をなめる。高校1年生のとき、54キロ級で出場した全国高校女子選手権では、1学年上の伊調千春に敗れて準優勝に終わる。2年生の時に参加したジャパンクイーンズカップは、現在も指導者として活躍する清水真理子に敗れ、3回戦で敗退。56キロ級で参加した全日本女子選手権は、当時日本大学に所属していた山本聖子に、決勝トーナメント1回戦で敗れた。そして2000年の全日本女子選手権は、清水に敗れて3位に終わった。
2001年、中京女子(現・至学館)大学に進学すると、世界ジュニア選手権に出場して連覇を果たす。一方、クイーンズ杯は清水に敗れ、全日本選手権では山本に敗れ、いずれも3位となる。そして迎えた翌年のクイーンズ杯。55キロ級の決勝で、吉田は山本と対戦する。これまで公式戦で一度も山本に勝てたことがなかった吉田だが、ついに勝利を収める。この年、吉田は世界学生選手権、カナダカップ、全日本学生選手権、アジア大会、世界選手権、全日本選手権で優勝。吉田時代の幕開けだった。
まさかの連勝ストップも…オリンピック3連覇を達成
2004年のアテネ五輪で、ついに女子レスリングが正式種目に追加される。55キロ級の日本代表は、吉田と山本のマッチレースと目されていた。2003年12月の全日本選手権決勝、吉田は山本に勝利を収める。そして、2004年2月のクイーンズ杯決勝、吉田は再び山本を下し、文句なしの代表を勝ち取る。国内のライバルを破った吉田に、もはや敵はいなかった。アテネ五輪では中国、イタリア、フランス、カナダの代表選手を相手に勝利を収め、金メダルを獲得した。2005年、大学を卒業した吉田は、綜合警備保障(ALSOK)に入社。練習は引き続き、栄和人監督(当時)指導の下、中京女子大で行うこととなった。
2001年の全日本選手権で山本に喫した黒星を最後に、吉田は連勝を突き進むこととなる。その間、国内ではクイーンズ杯や全日本選手権で連覇を達成。もちろん、ワールドカップ(団体戦)、アジア選手権、ユニバーシアード、世界選手権、アジア大会でも白星を積み重ねた。
そして迎えたオリンピックイヤーの2008年、その1月に事件が起こる。中国・太原で開催された女子ワールドカップ(団体戦)に出場した吉田は、予選3回戦でアメリカのマルシー・バンデュセンと対戦。0-2で敗れるという波乱が起きる。吉田にとって外国選手に敗れるのは初めての経験だった。試合後は茫然自失、泣き崩れた吉田だったが、その後のアジア選手権、全日本女子選手権で優勝。北京五輪でも、スウェーデン、ロシア、カナダ、中国の代表選手を打ち破り、見事オリンピック2連覇を成し遂げるのだった。
2つめの金メダルを獲得した後も、吉田は勝ち続ける。そして、再び迎えたオリンピックイヤー、2012年5月、吉田は日本代表としてワールドカップ(団体戦)に出場。決勝でロシア代表のワレリア・コブロワに黒星を喫した。日本は優勝したものの、吉田の連勝は58でストップ。オリンピックでも対戦が見込まれる相手に、直前の大会で敗北を喫したことは、大きな不安要素となった。
また、吉田はロンドン五輪開会式で旗手を務めることになっていた。これは吉田本人も希望したことなのだが、日本選手団には「主将と旗手は活躍できない」というジンクスがあり、「不吉」とされていたのだ。そうした不安をよそに、吉田はロンドン五輪でも圧倒的な強さを発揮した。アメリカ、アゼルバイジャンの代表を下し、準決勝に進出。準決勝では、吉田に土を付けたコブロワを破り、決勝でもカナダのトーニャ・バービークに勝利を収め、オリンピック3連覇を成し遂げるのであった。
ロンドン五輪後の9月。3連覇を成し遂げた吉田に、さらなる勲章が加わる。カナダで行われた世界選手権で優勝を収め、大会10連覇を達成。オリンピックを加えた13大会連続世界一を成し遂げて、男子レスリング界のレジェンド、アレクサンドル・カレリン(ロシア)の記録を超えたのだ。「人類最強」と言われたカレリンを超えたことで、吉田は「霊長類最強の女」と呼ばれるようになる。そして、2013年、2014年、2015年の世界選手権でも優勝を収め、最終的に16大会連続世界一、個人戦200連勝に到達した。リオデジャネイロ五輪の出場内定を勝ち取った吉田は、12月の全日本選手権でも優勝。少なくともここまでは、オリンピック4連覇に向けての視界は良好だった。
失意のリオデジャネイロ五輪、そして現役引退。
2015年12月、吉田はアルソックを退社。フリーとなり、オリンピックに専念する。2016年は大会に参加せず、ぶっつけ本番で臨んだリオデジャネイロ五輪。53キロ級の吉田は、アゼルバイジャン、セネガル、ベネズエラの代表を破り、決勝に進出するも、前年の世界選手権、55キロ級の覇者ヘレン・マルーリス(アメリカ)に敗れ、銀メダルに終わる。2014年に急死した父・栄勝と交わした4連覇の約束を果たせず、表彰式で吉田の目から涙がこぼれ続けた。
この試合を最後に、吉田は大会に一切出場することはなかった。日本代表コーチを兼任しながらも現役引退は否定していたため、自国開催となる東京五輪で5回目のオリンピック出場を目指していると考えられていたが、2019年1月に現役引退を発表した。今後は日本代表コーチとしての活躍に期待したい。