アマチュアの日本代表経験を持つ小平智(こだいら・さとし)は、2011年のプロツアー参戦以来、着実に実績を積み上げ、古閑美保との結婚後はアメリカツアー初優勝も達成した。正確なドライバーショットとポーカーフェイスを武器に、2020年東京五輪に向かってまっすぐに突き進む。
エリートながら、大学時代は不遇も
「小平智(こだいら・さとし)」という名前を聞いても、ゴルフファン以外にはピンとこないかもしれない。
石川遼や松山英樹、宮里優作といったゴルファーに比べると一般メディアへの露出は少なく、知名度は低いだろう。むしろ「妻は古閑美保」と紹介したほうがわかりやすいのではないだろうか。小平と古閑は2017年3月に結婚。元賞金女王でテレビ番組などへの出演も多い古閑に対し、7歳下の小平は2010年にプロに転向し、2011年からプロツアーに参戦。2013年からは毎年1勝ずつを挙げているが、それほど注目を集める存在ではなかった。
1989年9月11日生まれ。アマチュア時代は「エリート」と呼んで差し支えない有望株だった。レッスンプロだった父親の影響で10歳のころからゴルフを始め、駒場学園高校、日本大学ではゴルフ部に所属。日大時代の2009年、2010年にはアマチュアの日本代表に選出され、松山英樹らとともに2010年のアジア競技大会に出場するなど、数々の国際舞台を経験した。JGTOチャレンジトーナメント(現AbemaTVツアー)という大会にアマチュアながら出場し、2010年8月のGMAチャレンジトーナメントでは片山晋呉以来、2人目となるアマチュア優勝を達成した。
しかし、これだけの実績を残しても日大ゴルフ部では監督とのそりが合わず、レギュラーを外されるという理不尽な待遇を受けたため、2年次に中退を決意。そのままクオリファイングトーナメントに参加して42位でホールアウトし、プロ転向届が受理されてプロの道へと進んでいる。
結婚を機に急成長し、アメリカツアーで初優勝
プロ転向後は前述したとおり、勝利こそ挙げながら目立つ存在ではなかったが、古閑との結婚を機に成長曲線を描いていく。
2017年は10月に賞金王争いでトップに立ち、最終戦で宮里優作にかわされて惜しくも年間2位となったが、年間獲得賞金は1億6000万円を超えた。2018年にはアメリカPGAツアーに本格参戦すると、1月のSMBCシンガポールオープン、レオパレス21ミャンマーオープンでともに2位に入って世界ランキングを50位以内に上げ、マスターズ・トーナメント出場権を獲得する。初出場となったマスターズでは予選を突破し、28位と大健闘。翌週のRBGヘリテイジではキム・シウ(韓国)とのプレーオフを制し、アメリカツアー初優勝を飾った。
日本人でアメリカツアーを制したのは、青木功、丸山茂樹、今田竜二、松山英樹に次いで5人目。参戦15試合目での優勝は日本人史上最速という快挙で、マスターズとRBGヘリテイジだけで128万ドル(約1億3720万円)もの賞金を手にすることとなった。
同年12月にはゴルフ日本シリーズで優勝。日本国内の男子ツアーでは日本オープン、日本プロゴルフ選手権、日本ゴルフツアー選手権、ゴルフ日本シリーズが4大大会とされているが、小平は2013年に日本ゴルフツアー選手権、2015年に日本オープンを制しており、合わせて3冠を達成した。29歳89日での3冠達成は史上4番目の若さであり、名実ともにトップクラスのゴルファーになったと言えるだろう。
常に冷静、正確なドライバーショットが持ち味
小平の持ち味は正確無比なドライバーショットにある。彼が国内を主戦場としていた2017年のデータを見ると、平均飛距離は292ヤードで13位、フェアウェイキープ率は65.2パーセントで2位。両方の数値から算出するトータルドライビングでは堂々の1位となっている。RBGヘリテイジでは平均飛距離こそ271.5ヤードだったが、フェアウェイキープ率は85.71パーセントという高精度を誇った。飛距離が出て、曲がりにくいドライバーショットでリズムをつかむのが小平のスタイルと言える。
どんな時も表情を崩さず、冷静にプレーするのも小平の特長の一つだ。これは「喜怒哀楽を出さなければ相手に弱みは見えない」という幼少期の父の教えを守っているためで、たとえミスショットをしても、バーディーパットを沈めても、彼は表情を変えずに淡々とプレーする。「ゴルフはメンタルのスポーツ」とよく言われるが、小平は技術のみならず、精神的な部分でもトップクラスにある。
2020年東京五輪出場のためには、2018年7月に稼働したオリンピックゴルフランキングという世界ランクで上位に入っていなければならない。2019年3月1日時点で小平のランキングは27位で、日本人の中では松山の15位に次ぐ。現状をキープしていればオリンピック出場が有力視される順位だ。出場選手が確定するのは2020年6月23日。今までどおり平常心のゴルフを貫けば、小平にとって初となるオリンピック出場も見えてくるはずだ。