ミュンヘン1972 バレーボール男子金メダリスト・横田忠義さん 逝去

バレーボール男子日本代表としてオリンピック連続3大会に出場し、メキシコシティ1968では銀メダル、つづくミュンヘン1972では金メダルを獲得し、日本男子バレーの黄金期に中心的存在として活躍した横田忠義さんが5月9日に亡くなられていたことが分かった。75歳だった。

1 執筆者 Yukifumi Tanaka/田中幸文
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(時事)

日本バレーボール協会は5月17日、バレーボール男子日本代表メンバーとしてオリンピック連続3大会に出場し、メキシコシティ1968で銀メダル、つづくミュンヘン1972では金メダルを獲得し、日本男子バレーの黄金期に中心的存在として活躍した横田忠義(よこた・ただよし)さんが、5月9日に亡くられていたことを発表した。享年75。

1947年9月26日生まれの横田さん(写真中央9番)は、香川県三豊市の出身。中央大学の在籍中に日本代表に初選出され、1968年にメキシコで行われたメキシコシティ1968においてオリンピック初出場を果たす。身長1メートル90センチを超える同期の大古誠司さんと森田淳悟さんと並んで「ビッグスリー」の愛称で親しまれた横田さんは、初出場のオリンピックで銀メダル獲得に貢献。さらに、その4年後に当時の西ドイツで行われたミュンヘン1972では、堂々の金メダルを獲得し、日本男子バレーの黄金期を支えた。また、カナダで行われたモントリオール1976で、横田さんはオリンピック連続3大会出場を成し遂げ、4位入賞の成績を収めている。

現役引退後、横田さんは監督業にも携わり、1994年には女子バレー日本代表の監督に就任し、広島アジア大会ならびに世界選手権(ブラジル・サンパウロ)などの国際大会で指揮を執った。

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