ウィンタースポーツをやっていた意外な有名人
俳優、ポップスター、王子、ファッションデザイナー…現在のキャリアで有名になる前に、ウィンタースポーツに挑戦したり、冬季オリンピックに出場した経歴を持つスターたちをみてみましょう!
ジャスティン・ビーバー(歌手、アイスホッケー)
アイスホッケーのスーパーファンであり、ポップ界のスーパースターであるジャスティン・ビーバーは、2016年に英国でライブツアー公演をした際に、エリートアイスホッケーリーグのマンチェスター・ストームと一緒にプレーするなど、ツアー中に地元の練習試合に顔を出し、参加することで知られています。
カナダ人のジャスティン・ビーバーは、学生時代にアイスホッケーをはじめ、今では体型を維持するため、仲間との時間を楽しむため、そして名声のプレッシャーから解放されるためにプレーを続けています。
トロント・メープルリーフスのファンである27歳の彼は、2017年に開催されたNHLオールスター・セレブリティシュートアウトのチャリティイベントにも参加し、グレツキーチームの勝利に貢献するゴールを決めました。
キアヌ・リーブス(俳優、アイスホッケー)
"ザ・ウォール"(壁)。俳優のキアヌ・リーブスが大学でアイスホッケーのゴールキーパーをしていたとき、パックをゴールネットに入れさせないその技術の高さから呼ばれていたニックネームです。
カナダ人の彼は、オンタリオ・ホッケーリーグのウィンザー・スピットファイアーズ(ジュニアチーム)のトライアウトを受けたこともありましたが、俳優を目指すために辞退しました。
また、意外なところでは、ロック歌手のアヴリル・ラヴィーンもアイスホッケーの経験者で、男子チームでプレーしていた時は、2年連続で最優秀選手賞に選ばれる選手でした。その後、高校の女子チームでプレーするようになったと、ESPNに語っています。
社交界で活躍するパリス・ヒルトンも学校でプレーしており、俳優のスティーブ・カレルや歌手のマイケル・ブーブレもアイスホッケーのファンです。
幼いジョセフィン・ベッカーは、初めてのフィギュアスケートの試合で緊張していました。しかし、ニューヨークの屋外リンクでどのような演技をしようとも、彼女は常に形になる演技をみせました。
そう、彼女の母親は、ファッションデザイナーで元フィギュアスケーターのヴェラ・ウォンです。
ヴェラ・ウォン(ファッションデザイナー、フィギュアスケート)
2009年、ヴェラ・ウォンは、衣装デザイナーとしてのスポーツへの貢献が認められ、米国フィギュアスケートの殿堂入りを果たしました。彼女が精巧な衣装を作ることに情熱を注ぐようになったのは、8歳のときに自身が始めたフィギュアスケートがきっかけです。
11年後、ウォンは全米選手権のペアに出場しましたが、同年にグルノーブルで開催される冬季オリンピックの代表になることはできず、大きなショックを受けました。
その代わりに、 ウォンはパリに留学することを決め、そこでファッションデザインへの情熱を見出したのです。ウェディングドレスのスペシャリストである ウォンは、歌手のグウェン・ステファニー、デザイナーのヴィクトリア・ベッカム、女優のケイト・ハドソンなどの衣装をデザインしてきました。
また、2度のオリンピックメダリストであるナンシー・ケリガン、ミシェル・クワン、金メダリストのエヴァン・ライサチェク、銅メダリストのネイサン・チェンなど、アメリカで最も有名なフィギュアスケーターたちの衣装もデザインしています。
ミシェル・デ・カルヴァリョ(資産家、アルペンスキーとリュージュ)
英国の長者番付「サンデー・タイムズ・リッチ・リスト」でトップ10常連のミシェル・デ・カルヴァリョの120億ポンドを超える資産の大部分は、ハイネケンの相続人であるシャーリーン・デ・カルヴァリョ・ハイネケンとの結婚によるものです。
しかし、ロンドン市場への投資で億万長者となったこの投資家は、"お金では買えないもの"である、"オリンピックの出場経験"も持っています。
デ・カルヴァリョは、英国代表として1968年の冬季オリンピックにスキー競技で出場、1972年と1976年大会は、ジェレミー・パーマー・トムキンソンとリュージュ競技2人乗りに出場し、2大会とも20位という成績を持つオリンピアンです。
タラ・リピンスキー(女優、フィギュアスケート)
「ザ・ヤング・アンド・ザ・レストレス」の女優であるリピンスキーは、1998年の長野オリンピックのフィギュアスケート競技金メダリストです。リピンスキーは、1999年にアメリカのソープオペラでメーガン・デニソンの友人であるマーニー・コワルスキーを演じたほか、「Sabrina the Teenage Witch」、「Malcolm in the Middle」、「Veronica's Closet」などの番組にも出演しています。
テキサス出身の彼女は、15歳と255日という冬季オリンピック史上最年少で個人種目の優勝を果たし、世界的に注目を集めました。
アルベール・グリマルディ(王子、ボブスレー)
現在はモナコのアルベール2世(モナコ公)として知られているグリマルディは、モナコの代表として5大会連続で冬季オリンピックのボブスレー競技に、2人乗りと4人乗りの両方で出場しました。初出場となった1988年カルガリー大会の2人乗りボブスレーでの25位が最高順位でした。
また、1988年のカナダ・カルガリー大会、1994年のノルウェー・リレハンメル大会、1998年の日本・長野大会では、モナコの旗手を3回務めました。アルベール2世は、1985年から国際オリンピック委員会の委員を務めています。