ボクシング選手の**エルドリック・セラ・ロドリゲス**は、IOC難民選手団の一員として2021年夏に行われた東京2020オリンピックに出場し、夢を実現させた。だが、それはほんの始まりに過ぎない。
1回戦で敗れたものの、セラは多くの注目を集め、中立的な難民選手団の旗の下で戦ったにもかかわらず、世界中のベネズエラの人々から圧倒的な支持を受けたのだ。
母国での経済的・人道的危機に直面した彼は、2018年にベネズエラを離れたが、決して夢をあきらめることはなく、他の人にも夢を与えられるよう活動する。
2022年3月、エクアドルのグアヤキルで開催されたAMBCエリート選手権で197人のボクサーのひとりとして、セラはリングに戻ってきた。参加国は25ヶ国と1チーム(国に属さず)。25歳のセラは、世界情勢によって住む場所を失った才能あるボクサーの支援を目的とした「フェア・チャンス・チーム」のメンバーだった。
ミドル級の試合の初戦でコスタリカのビクター・ガロ・アルバラードと対戦し、セラは判定の結果4-1で勝利をあげた。続く準々決勝では、ガイアナの強敵アムステルダム・デスモン・コートを相手に手に汗握る試合を展開したものの、判定の結果3-2で惜敗。だがこの敗戦により、セラはさらに強い決意を固めた。
「前へ進み続ける!」
グアヤキルでの大会終了後、セラは1万3000人を超える自身のInstagramのフォロワーにメッセージを投稿した。
「敗北から学ぶには、確固たる強さと勇気が必要です。今回は負けてしまいましたが、それでも、正直にこう言えます。敗北から学んだ!」
「この旅の前に個人的な目標を設定し、その目標を達成しました。この地に来たときよりも、良いボクサーになってここを去る。このスポーツで、自分は偉大なことを達成できるということを世界に示しました。たとえ自分にとって最大の戦いは、常に自分自身に対してであるとしても!」
セラは、「フェア・チャンス・チーム」と「IOC難民選手団」の一員として戦う機会を与えてくれた国際ボクシング連盟IBAに感謝し、「これがなかったら、何も実現しなかったでしょう」と締めくくった。
大きな国際大会の開幕戦での勝利によってさらなる闘志を燃やすセラは、より大きな目標を見据えている。
ベネズエラから逃れ、夢のために闘う
セラの物語は、世界中の何百万人もの人々が共感できるものだろう。
ベネズエラ危機により貧困と暴力が急増すると、セラは2014年、より良い生活を求めてトリニダード・トバゴに逃れた。ワールドビジョンによると、ベネズエラを離れた人数は600万人にのぼるという。
幼少期のセラにとって、生活の中心はボクシングだった。18歳の頃には努力を重ねてナショナルチームに入ったものの、資金不足を理由に彼とその他の若い有望選手はメンバーから外され、オリンピックで戦うという夢が断たれてしまった。
彼はエクアドルで行われたIBAのインタビューで、「9歳のときにボクシングを始めました。カラカスの家の近くにボクシングジムがあり、父とよく通っていました」と、当時を振り返っている。
「ベネズエラでは色々なことが大変になり始めたので、家族としてより良い機会を探すために離れることにしました」
「ガールフレンドとトリニダード・トバゴに行き、体を使った仕事に就きました。それでも、僕はトレーニングをやめず、パンナム選手権、世界選手権、オリンピックに出場するという夢を持ち続けました」
「長いプロセスを経て、難民アスリートのためのプログラムに参加するチャンスを得ました」と、彼は続ける。
そのプログラムによって、彼はIOC難民アスリート奨学金が与えられ、フルタイムでトレーニングに専念できるようになり、さらにはIOC難民選手団に選ばれ、東京2020に出場することとなった。
「プログラム参加への承認を得たとき、私は自分の道に戻ったと感じました」と、彼はUNHCRのインタビューで振り返り、「私は再び生きていると実感しました」と語っている。
「気がついたら、オリンピックに出場していたんです!」
しかし、彼の物語はこれで終わりではない。
世界中の難民に、夢を追う勇気を与える
2021年夏に開催された東京2020オリンピックの後、UNHCRのプログラムによってウルグアイに新居を見つけ、現在はコーチでもある父親と、マネージャー兼栄養士の恋人ルースと暮らしている。
パリ2024オリンピックに出場することはもちろんだが、東京大会の後、世界中から届いたメッセージを見て、彼は自分がもっと大きなもののために戦っていることに気づいたという。それは、世界中の難民に勇気を与えること。
セラはIBAのインタビューでこう語っている。「人生は常に、夢を追いかけるための道を見つけるものです」。