オーストラリア出身のオーウェン・ライトは絶好調で2015年のシーズンを過ごしていた。ワールド・サーフィン・リーグのランキングでは5位につけており、シーズンの終わりにはキャリア最高の結果を得ることが予想された。しかしその夢は、最終戦への準備の際に崩れてしまう。
トレーニングの最中、ライトはサーフボードから落ち、波の威力を目の当たりにする。ライトはこのときのことを振り返り、「洗濯機の中で回転しているような感じだった」とOlympics.comのインタビューで答えている。4.5メートルの波がライトを飲み込み、彼は意識を失った。
強い衝撃を受けたライトは、病院に搬送され、外傷性脳損傷と診断された。その後、3週間経っても状態は安定せず、医師は彼の容態を注意深く観察した。
歩くことができない、思う通りにしゃべれない、不安が押し寄せる、頭痛がする…こうした現実が毎日のように彼を襲った。時には、真夜中に目を覚まして「ここはどこだ? 僕はここで何をしているだ?」と問いかけることもあった。
自然療法士、神経科医、心理学者など多くの専門家がライトの復帰に手を尽くした。最大の課題は、ライトが単に歩くといった基本的な機能を脳に覚えさせておけないことだった。
ライトは、リハビリを目的とした動的神経筋安定化の運動を行った。これは、筋肉内の記憶を活性化させるもので、ハイハイをしたり、腹ばいになったりするなど、赤ちゃんのときにやったような動きをすることだった。
通常の生活に戻ると、ライトはサーフボードを抱え再び海へ向かった。しかし、また一からのスタートだった。
「どうやって波に乗るか、また学ばなければなりませんでした。大会に出るまでに1年かかり、その間、辞めることも考えました。医者は誰も保証してくれませんでした」
ライトのサーフィンへの情熱は、父親から受け継いだもので、彼の父親は5人の子供たちにサーフィンを教えた。オーウェンの妹タイラーは、世界チャンピオンに2度輝き、弟もプロレベルで活躍。ライトは以前、BBCで「父は『子供がサーフィンを好きになれば、父親業は楽になる』という哲学を持っていました」と語っている。
ライトが再出発を決意すると、家族は彼を支えた。この負傷で不思議だったことは、外見上、すべてがまったく普通に見えたことだ。切り傷や打撲傷がなければ、ギプスや松葉杖も必要なかった。「深刻さを理解していなかったと思います。家の中を歩けるようになったとき、家族はサーフィンボードを隠していました。もうすでにサーフボードに乗りたいと思っていましたから」。
いよいよ主治医からサーフィンを許されたライトは、衝撃的な事実に直面する。事故の影響でサーフィンのスキルも失われてしまったのだ。しかし、ちょうど1年後の2017年3月、ライトはワールド・サーフィン・リーグの大会「Quicksilver Pro Gold Coast」に出場し、決勝で、リハビリ中に支えてくれた親友のマット・ウィルキンソンを抑えて優勝。妻キタと息子も彼の勝利を祝った。
海に戻って以降、ライトはヘルメットをかぶってサーフィンを始めた。「少しでもリスクがあれば、ヘルメットをかぶります。海の中に多くの人がいるときは、誰かと衝突したときに備えてヘルメットをかぶります。波が高いときにも、ヘルメットをかぶります」。彼はいつの日かヘルメットがサーフィンの必須アイテムになることを願っているという。
31歳のライトは、東京2020でオーストラリア史上初のサーフィン銅メダルに輝き、キャリアの頂点に立った。事故の影響を完全に払拭して掴んだ勝利だった。「怪我をしたことで、すべてを学び直さなければなりませんでした。しかしオリンピックに出られたということは、つまり、確実に復活できたということです」。