4年に1度開催されるのはなぜ?意外と知らないオリンピックの成り立ち
「近代オリンピックの父」が願ったのは世界平和
古代オリンピックの幕開けは、紀元前9世紀ごろだったとされている。その後、1500年の空白期間や、戦争による3度の中止など紆余曲折を経て、歴史は現代まで続いてきた。オリンピアの神ゼウスに捧げた宗教行事から、世界平和を願うスポーツの祭典へ。オリンピックが歩んできた進化の跡をたどる。
古代オリンピックは全能の神ゼウスを崇める宗教行事
近代オリンピックの前身となる古代オリンピックが始まったのは、紀元前9世紀ごろからとされている。古代ギリシャでは、多くの神々を崇めるため、4大競技祭が開催されていた。
そのなかで最大規模のものが、エリス地方のオリンピアで行われていた「オリンピア祭典競技」で、これがのちに古代オリンピックと呼ばれるものとなる。オリンピアは全能の神ゼウスの聖地であり、オリンピア祭典競技はゼウスに捧げる競技祭として始まった。近代オリンピックはスポーツの祭典となっているが、古代オリンピックはギリシャを中心としたヘレニズム文化圏の宗教行事の意味合いが強かった。
オリンピックが4年に1度開催されるものとなった理由については諸説ある。最も有力とされているのは「古代ギリシャ人が太陰暦を使っていたため」という説だ。現代で一般的に使われている太陽暦の8年が、太陰暦の8年と3カ月にほぼ等しく、8年という周期は古代ギリシャ人にとって重要な意味を持っていたという。当初の古代オリンピックは8年に一度開催されており、のちに半分の4年に1回となったと言われている。他にもギリシャ神話の女神アテナを祝福するために行われた起源を根拠とする説がある。アテナが金星を司る存在と考えられることもあるため、金星と地球が同じ位置で一直線上に並ぶ4年に1回の周期に合わせたのだという。
なお、「オリンピック」という名前は、古代オリンピックの開催地であった「オリンピア」から変化したもので、英語の「olympic」を直訳すると、「オリンピックの」という形容詞であるため、大会名の意味で使う場合は、「(the)Olympic games」または「(the)Olympics」となる。オリンピックの象徴である「聖火」は古代から存在し、大会期間中は聖火台に灯され続けていたと語り継がれている。
当初はゼウスの足裏600歩分を走る「競走」の1種目だけ
第1回大会から第13回大会までの古代オリンピックで実施されていた競技は、「競走」の1種目だけだったという。オリンピアに築かれた「スタディオン」という競技場で、1スタディオンのコースを走って競っていたとされている。1スタディオンは、ゼウスの足裏600歩分に相当する約191メートルだった。
その後は次第に種目の数が増え、祭典の規模はどんどん拡大されていった。第14回大会から加わった「ディアロウス競走」は、2スタディオン(約400メートル)の距離を走る中距離競走だった。第15回大会からは、スタディオンの直線路を10往復する「ドリコス競走」という名の長距離走も実施されるようになった。
第18回大会以降は、「競走」以外の種目も追加された。短距離競走、幅跳び、円盤投げ、やり投げ、レスリングの5種目を一人でやり抜く「ペンタスロン」や、単独競技としてのレスリング、ボクシング、戦車競走、競馬競走、素手による格闘技「パンクラティオン」などが行われていたという。
古代オリンピックが開催されていた当時のギリシャでは、いくつかの都市国家間で戦いが繰り広げられていた。しかし、宗教行事としての意味合いを持っていた古代オリンピックは、戦争よりも意義のあるものとされ、休戦してまで開催を続けたとされている。これが「聖なる休戦」で、休戦期間中は敵地を横切りながら参加者や観客たちが競技が行われるオリンピアに向かった。
しかし、古代オリンピックが終焉を迎える時がきた。紀元前146年、ギリシャがローマ帝国に支配されると、392年にテオドシウス帝がキリスト教を国教と定めたことで、オリンピアの宗教行事である古代オリンピックは開催が困難となり、393年の第293回大会を最後に1169年の伝統に幕を閉じた。
6色のシンボルマークで世界平和を祈念
古代オリンピックの歴史が途絶えてから1500年が経った1896年、ギリシャのアテネで第1回目の近代オリンピックが開催された。オリンピック復興の立役者となったのは、のちに「近代オリンピックの父」と呼ばれるフランスのピエール・ド・クーベルタン男爵だった。彼が若かりしころのフランスは、普仏戦争での敗戦の影響を受けていた。そこで古代オリンピックに倣った競技祭を構想し、世界の国々に提唱した。
近代オリンピックと他のスポーツイベントの最も大きな違いは、大会開催の最大目的が「世界平和」を祈念するものであることだろう。教育者であったクーベルタン男爵は、オリンピック復興の動機として「人間の変革」を掲げ、「スポーツを通じて平和な世界の実現に寄与する」ことこそ、オリンピックのあるべきかたち、すなわち「オリンピズム」とした。この理念は、現代のオリンピックにおいても国際オリンピック委員会(IOC)主導の下で引き継がれている。
今ではおなじみとなったオリンピックのシンボルマークをデザインしたのも、クーベルタン男爵だ。5つの輪はアジア、アメリカ、ヨーロッパ、アフリカ、ユーラシアの5大陸を表す。マークに使用されている青、黄、黒、緑、赤の5つの輪と、地の色の白の6色は、世界の国旗のほとんどを表現できるという理由で選ばれたという。このシンボルマークは1920年のアントワープ五輪から公式に用いられるようになり、5つの大陸とあらゆる人種、民族の友好関係を表すものとされた。
記念すべき第1回アテネ五輪の出場選手は男子のみだった。対象競技は、陸上、水泳、ボート、体操、レスリング、フェンシング、射撃、自転車、テニスの9競技。ただし、ボートは悪天候のため中止となっている。マラソンでは、地元ギリシャのスピリドン・ルイスが優勝を果たした。それ以来、近代オリンピックは1世紀にわたってさまざまな変化を遂げながら世界各地で開催され、重厚な歴史を築いてきた。1928年のアムステルダム五輪からは、近代オリンピックでも「聖火」が取り入れられるようになり、1936年のベルリン五輪からは聖火リレーが実施されている。
戦争による3度の中止を経て紡がれる歴史
近代オリンピックの歴史上、夏季大会は3度の中止を余儀なくされている。一度目は1916年のベルリン五輪で第一次世界大戦のため、二度目は1940年の東京五輪で日中戦争のため、三度目は1944年のロンドン五輪で第二次世界大戦のためと、いずれも戦争が中止の原因となっている。このように社会情勢に左右されながらも、現代まで歴史が紡がれてきたのは、オリンピックが単なるスポーツイベントではなく、「世界平和の象徴」としての存在意義が長い年月をかけて築かれてきたからだろう。
1924年からは、スキーやスケートなどの冬季にしかできない競技を対象とした、冬季オリンピックが開催されるようになった。また、1988年のソウル五輪からは、パラリンピックの開催も正式に始まり、障がいのあるトップアスリートにとっての世界最高峰の大会として発展を遂げている。オリンピックの大会規模や参加者は年々、拡大傾向にある。
古来、ギリシャ人による、ギリシャ人のための宗教的祭典として始まったオリンピックは、いまや世代を超え、平和と友好を印象づけるとなった。日本で2度目のオリンピックを迎える2020年。トップアスリートの活躍に目を向けるだけでなく、無事に開催できる時代を生きていることに思いを馳せてみたい。平和と向き合うこそ、「近代オリンピックの父」クーベルタン男爵の願いに他ならない。