20世紀初頭、日本では運動会でおなじみの綱引きがオリンピックを盛り立てた【消えた五輪競技】
儀式的な役割からスポーツに発展した綱引き
近代オリンピックが始まって100年以上が経つ。長い歴史においては、廃止に追い込まれた競技もある。日本では運動会でおなじみの綱引きも、当初は五輪競技として大会を盛り上げ、しかし“仕分けの対象”となってしまった。オリンピックの舞台から消えた綱引きの道のりをたどる。
4000年以上も前から行われていた綱引き
21世紀の現在、オリンピックの陸上競技で花形と言えば100メートル走やマラソンが挙げられるだろう。一方、今から100年ほど前は日本の小学生に特になじみ深い競技も四年に一度の舞台を盛り上げた。1900年のパリ五輪から1920年のアントワープ五輪まで実施されたのが綱引きだ。
一本の綱を2チームで引き合い、自陣深くに引き込んだほうが勝ち。極めて原始的なルールの競技は、実際、世界各地で古くから行われてきた。「綱を引く」という行為が儀式的な意味合いや信仰的な趣旨を持ち、五穀豊穣を願う際、あるいは争いや天候不順を収める際に神事的に執り行われた。
日本では飛鳥時代の8世紀に編纂された『出雲風土記』の「国引き神話」に綱引きの様子が記されている。世界に目を向けると、古代エジプト人がすでに綱引きを楽しんでいたと言われており、4000年以上も前のものとされるエジプトのサッカラ遺跡で発見された墓に綱引きの絵が描かれている。また、カンボジアにある遺跡アンコールワットには、天地創造に絡めた伝説として綱引きのレリーフが残されている。
古代から人間の営みに寄り添ってきた綱引きは、16世紀に入ると、主に貴族が主催する形でイギリスやフランスで大会が行われるようになった。同時期にハワイやモンゴル、トルコやニュージーランドで綱引きが行われた記録もあるが、人や情報の行き来が少ない当時にルールが統一されることはなかった。
第1回の覇者はスウェーデンとデンマークの合同チーム
綱引きに大きな進化をもたらしたのは大英帝国だ。18世紀から19世紀にかけて世界の海を支配した英国の航海にとって、綱は不可欠なもの。帆を上げたり、風に対応したり、船を停泊させたりするには必ず綱を使う。兵士たちや船員たちの運動やチームワーク向上に綱引きが利用され、スポーツ的な意味合いを強めていった。19世紀後半、兵士たちや船員たちが帰国すると、英国本土でも綱引きのチームが結成され、大会も開催されるようになった。
綱引きにとって、スポーツとしての風潮が高まったタイミングで世界的なビッグイベントが催されることになったのは幸運だった。フランス人のピエール・ド・クーベルタン男爵の発案によって近代オリンピックが開催。1896年にアテネで第1回のオリンピックが行われると、1900年、第2回のパリ五輪で綱引きは陸上競技の種目として採用された。6人制のルールだった。
記念すべき第1回の覇者はスウェーデンとデンマークの合同チーム。準優勝はフランスだった。当時、綱引きの選手は他の競技と兼任するアスリートが多く、デンマークのオイゲン・シュミットは射撃でもパリ五輪に出場した。アメリカのチームはハンマー投げの選手らで構成されており、他の陸上競技と日程が重なったことから綱引きへの参加を見送っている。
続く1904年のセントルイス五輪では、開催国のアメリカが参加を取り消した前回大会の悔しさを打ち消すように表彰台を独占。同国から複数のチームが参加可能なルールで、金、銀、銅のメダルをアメリカ勢が手にした。ミルウォーキー・アスレチック・クラブが優勝、地元セントルイスのサウスウェスト・タンバラインの2クラブが準優勝と3位という結果だった。
国際綱引連盟がオリンピック復活をめざす
8人制となった1908年のロンドン五輪でも開催国が躍動した。メダルを独占したのは警察陣だった。ロンドン市警察チームが金メダルを獲得。ロンドン警視庁チームとリヴァプール警察チームがそれに続いた。この大会ではリヴァプール警察チームの靴が大きく頑丈で力が入れやすいため、他国のチームからルール違反にあたるのではといった批判も上がったという。
オリンピック競技としての綱引きは1912年のストックホルム五輪と1920年のアントワープ五輪まで続いたが、以降は“消えた競技”となっている。国際オリンピック委員会(IOC)が大会の拡大化を懸念し、複数の競技を切り詰めることを決め、国際組織を持たなかった綱引きも“仕分けの対象”となってしまったからだ。
もっとも、オリンピックの競技から外れたとはいえ、綱引きの人気が下火になったわけではない。ロープ一本と一定の広さがあれば盛り上がる綱引きはチーム競技として世界各国で続けられている。1960年には国際綱引連盟(The Tug of War international Federation/TWIF)が設立され、それまで曖昧だったルールを統一。日本綱引連盟をはじめ、アメリカやロシア、フランスやドイツなど70を超える連盟や協会が加盟している。
国際大会も定期的に開かれている。世界各国のチームが綱を引き合う場を設ける国際綱引連盟は、オリンピック復活を願う組織でもある。連盟のミッションの中には次のように記されている。「私たちの使命は、世界規模で綱引きの発展に必要な運営と組織を形にすることです。大きな目的としては、このスポーツが一定の地位を持ちオリンピックの競技に組み込まれていた20世紀初頭のように、十分に高いレベルの素晴らしさと普遍性を保ち、国際オリンピック委員会に受け入れてもらうことが挙げられます」
国際綱引連盟は2002年に国際オリンピック委員会に加盟。東京五輪に際しては、国際綱引連盟が開催都市の提案できる追加競技として綱引きを自薦した。一次選考で漏れたものの、地球規模で盛り上がる綱引きが今後、オリンピック競技に復活する可能性は決して低くない。