設楽悠太:「21秒」を超えて東京五輪へ

2018年東京マラソンで16年ぶりに日本新を出した設楽悠太選手/時事

2020年東京五輪のマラソン出場選手を決める「マラソングランドチャンピオンシップ(MGC)」(2019年9月以降に行われる大会)への出場権を獲得し、東京五輪への出場が有力視されている設楽悠太。2018年2月の東京マラソンで16年ぶりに日本記録を更新し、停滞していた男子マラソン界に希望の光をもたらした。普段、30キロ以上は走らないという、これまで考えられなかったような独自の練習方法で結果を出しており、アジア人として初めてナイキ・オレゴンプロジェクトに所属し、プロランナーとして活躍する大迫傑選手と並び、大きく注目されている。

2018年東京マラソンで16年ぶりに日本新

2018年2月、設楽悠太はブレイクした。東京マラソンで2時間6分11秒をたたき出し、男子マラソンの日本記録を16年ぶりに更新、長く停滞していた日本男子マラソン界は再び息を吹き返した。

その後、設楽は右足すねの疲労骨折が判明、故障も長引き、この秋にようやくトラックで復帰を果たした。2月に打ち立てた日本記録は、10月のシカゴマラソンで、ライバルの大迫傑選手が、21秒差の2時間5分50秒でゴールしたために、塗り替えられてしまった。設楽のフルマラソンの復帰は、12月2日に開催される、2019年世界選手権の代表選考会を兼ねた福岡国際マラソンだ。

双子の兄と同じ高校、大学へ

1991年12月18日、埼玉県生まれ。身長170センチ、体重48キロ。

小学校6年生のときに双子の兄、啓太さん(日立物流で陸上選手)と一緒に陸上教室に通うようになったのが、競技を始めたきっかけだ。ところが、走ることはあまり好きではなく、中学で陸上部に入ったものの、サボることしか考えていなかったときもあったそうだ。しかし、啓太さんと一緒に結果を出すことを、目標にしていたことで頑張れたといい、チーム初の全国中学校駅伝大会出場に兄弟ふたりで貢献した。二人の進学先は同じで、武蔵越生高等学校から東洋大学に進み、同じチームで活躍した。

東洋大学では2011年の箱根駅伝で3区を走るも、史上最小の21秒差で早稲田大学に優勝を許してしまう。この時に早稲田大学で1区を走っていたのが大迫傑選手だった。翌2012年は7区を担当、区間記録を更新する激走で、設楽は2011年に逃した総合優勝を奪還するのに貢献した。大学最後となる2014年は再び3区を担当、歴代4位の1時間02分13秒で走り、再び総合優勝に大きく貢献。こうした活躍が評価されてHondaに入社することになった。コニカミノルタを選んだ兄の啓太さん(現在は日立物流陸上部)とは別の道に進むことになったが、今でも兄と一緒に大会に出場したいという気持ちは変わらないという。

設楽選手の最大の特長は、その練習方法だろう。日本におけるマラソンの練習方法といえば、瀬古利彦選手や宗兄弟といった陸上長距離界のレジェンドらが、世界で最も速く走った1970〜80年代に確立された、長距離の走り込みに重点を置いたものだ。高橋尚子選手や野口みずき選手といった優秀なメダリストたちが輩出されていることは、この伝統的な練習方法の成果とも言えそうだ。

しかし、設楽選手は30キロまでしか練習で走らないそうだ。「僕は40キロ走をやる必要はない。走り込みとかは昔の話。もうそんな時代ではない」というのだ。また、レースを「練習代わり」にするスタイルのために、大会への参加数が多いことも特徴だろう。新たな時代の新しい練習方法を実践している点は、ライバルの大迫選手と同じであり、レース数の多さでは公務員ランナーとして知られる川内優輝選手と似ているのかもしれない。

リオ五輪トラック競技を経て、2018年東京マラソンで日本新

設楽選手はトラックとマラソンの二刀流スプリンターだ。2015年日本選手権の1万メートルで2位となり、2016年リオデジャネイロ五輪で同種目に出場、29位という結果に終わっている。

初マラソンは2017年の東京マラソンで11位と健闘した。同年のウスティ・ハーフマラソンで、日本記録を更新する1時間0分17秒を達成し、日本人トップの8位でゴールした。そして、2018年東京マラソンでは、2時間6分11秒を記録し、日本人トップの2位でゴール、当時の日本記録を更新した。しかし、同年10月に大迫選手に21秒差で日本記録を塗り替えられてしまう。

設楽選手の自己ベストは、1万メートルが27分41秒97(2017年)。ハーフマラソンが1時間0分17秒、フルマラソンは2時間6分11秒ということになる。

ライバルは同学年の大迫傑

設楽選手のライバルと呼べる存在は、やはり、同学年であり、2018年東京マラソンで打ち立てた日本新記録を塗り替えた大迫傑選手になるだろうか。大迫選手は設楽選手の日本記録を21秒ほど上回ったが、「21秒」という数字には、両選手にとって浅からぬ因縁がある。2011年箱根駅伝で、設楽選手が3区を走った東洋大学は、大迫選手が1区を走った早稲田大学に負けるのだが、実は優勝した早稲田大学とのタイム差が、史上最小の「21秒」差だったのだ。

つまり、設楽選手は大迫選手から、2度にわたって「21秒差」を見せつけられたことになる。設楽選手は「21秒更新」と聞いたときに、2011年の箱根駅伝で負けたときのことを思い出したそうだ。ただ大迫選手の日本記録を抜き返すことよりも、「彼と一緒にマラソン界を盛り上げたいです。今、短距離が盛り上がっていますが、その波に乗って、マラソンも盛り上げていきたいなと思っています」と、日本陸上競技連盟の行ったインタビューで答えている。

2019年の東京マラソンでは両選手の出場が予想されており、実現すれば社会人になって初めてロードレースで対決することになる。「21秒」をめぐる因縁のライバル対決の行方と、今後の切磋琢磨を見守りたい。

自分なりの哲学を持ち、独特の練習方法を続けながら、ひとつずつレースをクリアし、実戦の中で勝負感覚を磨いてきた設楽選手。世界のトップランナーに、「いかに肉薄していくか」という「遠い」目標よりも、目前のレースで定めた目標をクリアするための練習を重視するという。大学や社会人陸上で華々しい活躍を見せ、16年ぶりにマラソン日本記録を更新した設楽選手は、どこかつかみどころのない飄々とした受け答えが印象的だが、その瞳の奥で今、静かに見据えているのは、2020年東京五輪での表彰台だろう。設楽選手はこれからMGCでどのような成績を残してくれるだろうか。今後の彼の活躍から目が離せない。

Yuta SHITARA

日本
陸上競技
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