絶対王者フェルプスを追いつめた坂井聖人、東京五輪での復活に期待

坂井聖人選手(左)とマイケル・フェルプス氏(中央)

2018年8月、東京で開催されたパンパシフィック水泳選手権大会、そしてインドネシアのジャカルタで開催されたアジア大会。その男子200メートルバタフライで表彰台の頂点に立ったのは、リオデジャネイロ五輪で5位に終わった瀬戸大也だった。一方、リオ五輪の同種目で銀メダルを獲得し、“水の怪物”マイケル・フェルプス(米国)に0.04秒まで迫った坂井聖人は代表から落選し、その舞台に立つことすらできなかった。

オリンピック後の坂井に何が起こっていたのか。現在は痛めていた左肩を癒やし、東京五輪で頂点に立つため、雌伏の時期を迎えている。

兄の影響で水泳を開始、高校時代に頭角を現す

2018年4月より“新社会人”としてセイコーHDに所属する坂井聖人は1995年6月6日、福岡県柳川市に生まれた。水泳を始めたのは2歳半。先に習っていた兄の影響で、スイミングクラブに通うことになる。

当初は個人メドレーをやっていた坂井だが、小学校高学年になって転機が訪れる。コーチのアドバイスをキッカケに、後にオリンピックで表彰台に上ることになるバタフライを専門とするようになったのだ。そして、中学3年生のとき、全国中学水泳技大会の100メートルバタフライで優勝。坂井の名が、初めて日本全国に知られた瞬間だった。

地元の柳川高校に進学すると、さらなる飛躍を遂げる。1年生のときに、全国高等学校総合体育大会(インターハイ)の100メートルバタフライで1位。3年生になると、日本高校選手権の200メートルバタフライで優勝。東京で開催された国民体育大会(国体)の200メートルバタフライ(少年A)でも1位。また、UAEのドバイで行われたFINA世界ジュニア選手権では、200メートルバタフライで銀メダルを獲得するなど、輝かしい成績を残す。

水の怪物をあと一歩まで追い詰めるも……

坂井が進学先に選んだのは、1つ年上の瀬戸大也が通う早稲田大学だった。1年生のときに、オーストリアのゴールドコーストで開催されたパンパシフィック選手権に出場し、200メートルバタフライで4位入賞。翌年、ロシアのカザンで開催された世界水泳選手権でも、同種目で4位となる。

この頃、メディアで最も注目される競泳選手は、1年先輩の瀬戸や、ロンドン五輪で銅メダルを獲得した萩野公介だった。それに対して坂井は常に“あと一歩”というポジションにとどまっていた。しかし、オリンピックイヤーとなる2016年、坂井の“あと一歩”は、世界を驚かせることになる。

2016年4月、リオデジャネイロ五輪代表選手選考会を兼ねた第92回日本選手権水泳競技大会が、東京辰巳国際水泳場で開催される。大学3年生となった坂井は200メートルバタフライ決勝に進出。瀬戸に次ぐ2位となり、自身初となるオリンピック出場を決める。

そして現地時間8月9日、坂井は瀬戸とともに、200メートルバタフライ決勝のスタート台に並ぶ。同じ舞台には、最終的にオリンピック通算23個の金メダルを獲得する“水の怪物”マイケル・フェルプスも立っていた。世界がフェルプスの偉業達成の瞬間を待ち望む中、伏兵の坂井がフェルプスを追い詰める。フェルプスがラスト50メートルで失速、逆に坂井は加速する。結局、フェルプスが逃げ切ったものの、その差は0.04秒。坂井が頂点まで“あと一歩”に迫った瞬間だった。一方、メダルが有力視されていた瀬戸は5位に終わる。

オリンピックの翌年に開催された日本選手権。100メートルバタフライは3位に終わったものの、200メートルバタフライでは瀬戸を抑えて初優勝に輝く。順風満帆と思われた競技人生だったが、直後に暗転する。同年、ハンガリーのブダペストで開催された世界選手権。前年フェルプスに“あと一歩”と迫った坂井は金メダル獲得が期待されたものの、その結果は6位と不本意なものに終わった。

翌年、セイコー・ホールディングスに入社。大学を卒業して心機一転、巻き返しが期待されたものの、4月に行われた日本選手権200メートルバタフライは6位。5月に開催されたジャパンオープンでも、100メートルバタフライで8位、200メートルバタフライで2位に終わり、パンパシフィック選手権およびアジア大会への出場を逃すことになった。

重圧と左肩の違和感からの解放、その先にある東京五輪

7月7日、坂井は第12回東京都選手権水泳競技大会、200メートルバタフライ決勝の舞台に立っていた。結果は、日本代表に選ばれていた瀬戸や矢島優也、幌村尚を抑えての優勝。リオデジャネイロ五輪で銀メダルを獲得した後、ずっと悩まされ続けていたプレッシャーから、解放された瞬間だったのではないだろうか。

しかし、9月に開催された第1回日本社会人選手権水泳競技大会にも、10月に開催された世界選手権選考会にも、坂井の姿はなかった。その理由は、左肩の治療のためだ。リオデジャネイロ五輪の前から、左肩に違和感を抱えていたという坂井。その完治こそが復活のカギとなりそうだ。

絶対王者のマイケル・フェルプスに0.04秒まで迫った坂井聖人。自国開催となる東京五輪で見事に復活を果たし、今度こそ、“あと一歩”ではなく、頂点に立つことが強く期待されている。

もっと見る