16歳の少女が自身初のシニア・グランプリ大会出場となったスケート・アメリカで銅メダルを獲得した。韓国にルーツを持ち、ニューヨークに生まれ育ったオードリー・シンの素顔に迫る。
2016年にフィギュアスケートの世界選手権がボストンで行われた。観客席にいた当時11歳だったオードリー・シンにとっては身動きができないほどの衝撃の連続だった。
「私は最初のグループからずっと見ていました。そして私もあのリンクに降りて滑りたいと思ったことを覚えています」と16歳になったアメリカ人の少女はオリンピック・チャンネルに語った。「私もいつかは世界的な大会で競技したいと願ったことも覚えています。そして初めてエフゲニア・メドベージェワを生で見たことも覚えています。私はとても衝撃を受けました。身動きすらできませんでした。彼女は素晴らしかった」
メドベージェワはその年を含む世界選手権を2連覇し、さらに2年後の2018年平昌オリンピックで銀メダルを獲得した。
今シーズン、ニューヨーク生まれのシンはシニアの国際大会にデビューを果たした。スケート・アメリカにおいて、既に有名な(そして年上の)米国チームメイトであるマライア・ベル、ブレイディ・テネルに次いで銅メダルに輝いたのだ。
シンは2019年の全米フィギュアスケート選手権でジュニア部門の銀メダルを獲得している。その後シンは2019年の夏に嚢胞を取り除くために足首の手術を受け、2カ月間トレーニングを休んだが、それ以来自身が上向いていたことを感じていた。
シンは2018年にはタミー・ガンビルの指導を仰ぐためにコロラド州コロラド・スプリングに住居を移した。そして今年の初めにはスイスのローザンヌで開催された2020年冬季ユースオリンピック代表に選ばれ、そこでは7位に入賞した。シンはこの大会に出場したことが彼女の人生を大きく変えたと言う。そして次の冬季オリンピック、2022年北京オリンピックを真剣に目指すようになったのだ。
「ユースオリンピックは自分からはかけ離れたものだと思っていました。開始してからずっと夢の中にいたみたいでした。世界中のさまざまな国のアスリートが集まってきていました。彼女らと交流して、このスポーツについて学ぶことができたのは素晴らしい経験でした」とシンは言った。
「そしてピンを交換することは素敵でした」
シンは北京でもピンの交換をしたいと願っている。そしてスケート・アメリカでの銅メダルによってその可能性が初めて現実味を帯びてきた。来年の1月には米国選手権でシニア・デビューする予定で、そこで11歳の頃から夢見てきた世界選手権への切符を手に入れようとしている。
以下はこの米国人ティーン、オードリー・シンについて知られることが少なかった5つのエピソードだ。
10代の若者としての素顔:BTS、ビデオチャット、そしてハイキング
シンはコロラドで長時間の厳しいトレーニングに明け暮れているが、その合間にアウトドアを探検することも好きだ。そして幸運なことに、彼女が住む家の近くにはロッキー山脈が広がっている。
「ハイキングは大好きです。ここにはとても美しい山がたくさんあります。大抵は私の家族、妹や両親と一緒に行きます」とシンは言った。
シンの家族は揃ってコロラドに移住した。その前にラファエル・アルトゥニアンの指導を受けるためにカリフォルニア州に短期滞在して以来、シンは米国中に散らばった友人たちとのテキスト・メッセージやビデオ・チャットのやり取りに多くの時間を過ごすようになった。
彼女たちは好きなミュージシャンたち(K-PopグループのBTSやBLACKPINK、それにアリアナ・グランデやビリー・アイリッシュら)についてチャットする。シンはそれ以外にも絵を描くことや、本を読むことを好み、氷上以外のトレーニングとしてピラティスも行っている。
家族の誇り:韓国人として受け継いだもの
シンの両親はともに韓国人で、ニューヨークで出会った。シンは郊外のロングアイランドで生まれ育った。父親が働く「the big city」のマンハッタンに一時住んでいたこともある。
シンは韓国人として受け継いだものを大切にしている。流暢に韓国語を話し、新年は伝統的な韓国風のお雑煮で祝う。
「それを食べると残り1年を健康に過ごすことができるのです」とシンはその正月料理を説明した。「毎年、祖母の家に行きました。他の言語を話すことができるのはとても幸運だったと感じています。韓国人の友達もたくさんいますし、韓国からコロラドでトレーニングするためにやってくるスケーターもいます。その人たちと話ができるわけですから」
シンの夢のひとつは未だに見たことがない韓国を訪れることだ。
「私はまだそこに行ったことがないのです。とても残念です。韓国の食べ物は大好きです。いつか行ってみたいと夢見ています。ひょっとしたらスケートをするためかも」
2022年冬季北京オリンピックを目指して
6歳でスケートを始めてからずっと、シンはオリンピックの舞台を夢見てきた。だが2020年に入ってからの2つの出来事によって、その夢が現実味を帯びてきた。ユースオリンピックとスケート・アメリカでの経験だ。
「2020年冬季北京オリンピックに出場することは私の夢です。そう、6歳のときからずっと。オリンピック代表になれたらとても嬉しいでしょうね」とシンは微笑みながら言った。
シンは今2つの大技に挑戦するために、ハーネス補助付きと補助なしの2つの方法でトレーニングを積んでいる。トリプル・アクセルと4回転トウループだ。シンはそれらのジャンプをマスターしつつあると言った。
「4回転トウループにはあと4分の1回転ほど足りません。怪我をしないために、毎日の反復回数は慎重に決めています」とシンは言った。
シンはスケート・アメリカではどちらのジャンプも試さなかった。それよりも今まで見せなかった大人としての芸術性や音楽との調和をアピールしてみせた。フリーの演技はファンやコメンテーターらから大会ベストパフォーマンスのひとつと評価された。プログラムの中で、シンは7回の3回転ジャンプを成功させ、そのうちの3つは連続技だった。
「スケート・アメリカは大きな驚きでした。元々、今シーズンはジュニア部門だけで滑ることになっていましたから」とシンは言った。新型コロナウイルス感染拡大の影響でジュニア・グランプリ・シリーズが中止になったのだ。「あのように大きな競技会に出場できることはいつでも素晴らしいことです。偉大なスケーターたちと並んで表彰台に立てたことはけっして忘れないでしょう。この経験は私を大いに助けてくれます。将来への自信を築いてくれます」
フィギュアスケートの熱狂的ファン
スケート・アメリカが終了した後もシンはラスベガスに留まった。世界選手権を2回制覇したネイサン・チェンと同じテーブルについて、フィギュアスケートのチームイベントを収録するためだ。そのチームのキャプテンは1998年のオリンピック金メダリスト、タラ・リピンスキーだった。
これはシンにとってはもうひとつの夢が叶った瞬間だった。シンは並外れて熱狂的なフィギュアスケートのファンなのだ。
6歳でこのスポーツを始めて以来、シンはしばしばニューヨーク市を横断し、となりのニュージャージー州まで練習に通った。子供の頃から、シンは数多くのスタースケーターたちと自撮りをしてもらった。その主な者はオリンピック・チャンピオンのエヴァン・ライサチェク、オリンピックメダリストのミッシェル・クワン、マイア・シブタニとアレックス・シブタニ、ハビエル・フェルナンデスらだ。
10歳の時にシンは有名なニューヨークのロックフェラー・プラザで滑った。
「私は子供の頃からキム・ヨナ、タラ・リピンスキー、高橋大輔らのような大スターたちのファンでした。特に浅田真央が大好きでした。いつも彼女の演技をユーチューブで見ていました」
支え、支えられる友人たち
シンは15歳ですでに2回の全米チャンピオンになったアリサ・リュウのような早熟型の選手ではない。だがシンは彼女自身、リュウ、ティング・キュイ(2019年世界ジュニア銅メダル)、ハンナ・ハレル(2019年全米選手権4位)ら新世代の米国女子選手たちはお互いを高めあっていると感じている。
「若い世代の選手たちは大会やキャンプでよく顔を合わせます。私たちはとても仲良しなのです。新型コロナウイルス感染拡大のせいで、最近はあまり会うことはできませんが」とシンは言った。
シンが言うにはコロラド・スプリングスはライバルに恵まれた土地のようだ。2018年オリンピック代表のカレン・チェンを始め、ヴィンセント・ジョウ、キュイ、ハレルなど多くの選手が住んでいる。
シンはこれらトップ選手に混じって北京への切符に近づいているだろうか? もちろん彼女はそう願っている。
原文:Five things to know about: American figure skater Audrey Shin