辞退者が相次ぐなか、池田勇太は2016年リオデジャネイロ五輪に出場し、21位タイの成績を残した。その風貌や言動から「悪童」とみなされることを本人も自覚しているようだが、選手会長在任中にさまざまな改革に乗り出すなど、ゴルフ界のために粉骨砕身する男気も持ち合わせる。実は非常に人間味にあふれるゴルファーなのだ。
一貫してリオ五輪出場を望み、実際に参戦
2016年リオデジャネイロ五輪において、ゴルフは112年ぶりに復活を果たした。1900年パリ五輪と1904年セントルイス五輪で行われて以来の開催だったが、これを歓迎しない人間もいた。当時、南米地区で発生していたジカ熱に感染する恐れがあることや、本来のツアーとの過密日程、そして治安への懸念などから、出場資格を持つプロゴルファーの出場辞退が相次いだ。
2013年にマスターズ・トーナメントを制し、金メダルの有力候補と見られていたアダム・スコット(オーストラリア)が過密日程を理由に出場を辞退すると、その後はルイ・ウェストヘーゼンやシャール・シュワーツェル(ともに南アフリカ共和国)、ジェイソン・デイ(オーストラリア)、ロリー・マキロイ(イギリス)といった世界ランキング上位選手も、ジカ熱への懸念や過密日程を理由に次々と出場辞退を表明。日本でも松山英樹がジカ熱への懸念から出場を辞退した。
そんななかで日本代表として出場したのが、日本ツアー永久シード権を持つ片山晋呉、そして当時30歳の池田勇太だった。池田自身も懸念を抱いていなかったわけではない。それでも終始一貫して「出る」という姿勢を貫き、実際に出場に踏み切ったのは、「誰かがやらないと何もわからない。出て、感じて、それを伝えなければならないから」という責任感からだった。
損をする人柄。選手会長としてゴルフ界のために奔走
1985年12月22日、千葉県に生まれた。6歳でゴルフを始め、千葉学芸高等学校時代には世界ジュニアゴルフ選手権や、日本ジュニアゴルフ選手権競技で優勝するなど、アマチュア時代から注目の存在だった。東北福祉大学でも数多くのタイトルを獲得。2007年のプロ転向後は2009年に日本ツアーで4勝し、2010年にはマスターズ・トーナメント初出場を果たす。2016年には賞金2億円超えでの賞金王を獲得するなど、実績も申し分ない。
それでも、「池田勇太」という名前を聞くと、不遜な言動をイメージする人もいるのではないだろうか。あるメディアで、やんちゃな一面を持つ池田が「悪童」と表されたことがある。その報道を受けて「俺は遼くんみたいに上手にしゃべれない。どうせ『悪童』だ」と本人は話した。池田は、爽やかで「優等生」の石川遼とは真逆のキャラクターとして認識されるようになった。
一方で、池田は「勝手にイメージをつくらないでほしい」とも主張した。実は真面目で面倒見がよく、ゴルファー仲間や後輩たちからは慕われる、という側面も持つ。深く付き合えば付き合うほど、ストレートな物言いの裏に隠された実直さが見えてくる。
実際、2013年には史上最年少の27歳で日本ゴルフツアー機構の選手会長に就任し、3年にわたってこの要職を務めた。当時、男子ゴルフは人気が低迷していたが、池田はファンイベントやスポンサー向けの懇親会などを次々に立案し、人気回復のために奔走した。2016年から2018年まで行われたレオパレス21ミャンマーオープンという大会は、池田が自らスポンサー企業へのプレゼンテーションを行い、開催を実現させたものだった。信念を曲げず、走り出したら最後までやり遂げる姿勢は池田の人間的な魅力と言える。
リオで知ったオリンピックの意義。東京五輪へも意欲
2016年リオ五輪では、一時は6位タイまで順位を上げてメダル獲得も視野に入るほどのゴルフを見せたが、最終的にはトータル3アンダーで21位タイとなった。
池田は、「JAPAN」の文字が入ったポロシャツやキャップを身に着けてラウンドした。コース周辺には各国の国旗を掲げて応援するギャラリーの姿も見える。「日本代表として戦うという意味では、メジャー大会に日本を代表して出場するのとは別物。これがオリンピックのゴルフなんだと感じることができた」。最終日のラウンドを終えた後、池田はこう語った。出場を回避するトッププロが続出したなか、オリンピックに出場することの意義を感じることができた。
2020年東京五輪についても「もちろん出たい」と意欲を見せる。一方で「次の五輪に向けて、すぐにいろいろなことが始まっていく。そこに少しでも意見ができればいい」とも語っている。プレーヤーでありながら自ら動いて大会を創設するぐらいの行動力の持ち主であるため、たとえ出場できなくても大会運営などへのアドバイス役を務める可能性はある。リオ五輪に引き続いてヘッドコーチを務めることになった丸山茂樹とともに、出場するプレーヤーに経験を伝える役割も担うかもしれない。
もちろん前回に引き続いて出場することになれば、彼は果敢にメダルを狙いにいくはず。もともとアイアンショットの名手だったが、近年はドライバーショットの飛距離が伸び、総合力はさらに高まっている。2020年に向け、池田勇太の進化は止まらない。