2018年12月23日、東京駒沢体育館で行われたレスリングの全日本選手権最終日、グレコローマンスタイル60kg級の決勝は、3年連続で同じカードとなった。戦いを制し、笑顔の中にも闘志を見せたのは文田健一郎だった。相手は日本体育大学の先輩であり、最大のライバルでもある“ニンジャレスラー”の太田忍。両者の対戦成績はこれまで4勝4敗の五分だった。昨年の決勝は、残り20秒までリードしながら、逆転負けを喫しているだけに、この大一番に懸ける思いは並々ならぬものがあった。
試合は、第2ピリオド残り1分の時点で1点をリード。終盤に逆転を狙って太田が仕掛けた投げ技を、文田が返して4点を奪取。さらに1点を加えて勝負を決定づけ、2年ぶりの雪辱を果たした。ブザーが鳴り、優勝が決まった瞬間、雄叫びをあげると同時に、文田の目からは涙が溢れた。それは文田が過ごしたこの1年を物語るような涙だった。
新星が味わった栄光と挫折
ここ数年、文田の活躍は凄まじいものがあった。2016年リオデジャネイロ五輪には間に合わなかったが、2016年全日本選抜選手権で優勝。6月にポーランドで開かれたピトラシンスキ国際大会で銀メダリストのライバル太田忍を破って優勝。11月にアゼルバイジャンで開かれたゴールデングランプリ決勝大会でも優勝と国際大会で2連勝、帰国して出場した全日本選手権で、再び太田を破り、優勝。翌2017年のアジア選手権で優勝、全日本選抜選手権でも優勝し、世界選手権の切符を勝ち取ると、1983年の江藤正基(グレコローマン57kg級)以来となる34年ぶりの金メダルを日本にもたらす快挙を達成。そして、2018年11月ルーマニアの首都ブカレストで開催されたレスリングU-23世界選手権男子グレコローマンスタイル60キロ級で優勝を果たしている。
こうして公式戦の結果を列挙してみると、破竹の快進撃を続け、東京五輪に向けての視界は良好に見える文田だが、実は2018年5月、練習中に左膝靭帯を損傷し、長期離脱を余儀なくされていた。そのため、6月の全日本選抜選手権出場を見送り、世界選手権連覇の夢も消えた。本人いわく「投げ出したくなるくらい」のどん底の状態に陥っていたようだ。しかし、東京五輪での金メダル獲得という目標を胸に、懸命なリハビリと厳しいトレーニングに取り組み。ようやくマットに復帰。11月のU-23世界選手権で優勝し、全日本選手権ではライバル太田を破って優勝を勝ち取った。選考が本格化する直前でのカンバックで、東京五輪の代表入りが、いよいよ現実味を帯びてきた。
イチローに憧れる野球好きの少年
文田健一郎は1995年12月18日生まれ。山梨県の出身だ。文田の父、敏郎はレスリングの強豪、山梨県立韮崎工業高校レスリング部の監督で、全国高校生グレコローマン選手権で、8年連続メダル獲得したことで有名だが、本人も国体での優勝経験があり、1982年の全日本選手権でグレコローマン2位という実績を持つレスリング選手なのだ。そんな父の影響から、文田は幼少期からレスリングを始めていたかと思いきや、そうではない。もともとは野球好きで、イチロー選手に憧れていたそうだ。野球好きの少年、文田は、父にレスリング道場に連れて行かれ、年上の女子に投げ飛ばされたことがきっかけだという。中学生のときから本格的に始めて、出場した大会で1勝したことで、レスリング熱が高まったようだ。
中学時代から始まった文田の快進撃
中学校は地元の韮崎西中学に入学した。3年生のときに全国中学生選手権フリースタイルにて優勝。高校は父が監督を務める韮崎工業へ進学し、2011年から2013年まで、国体(少年の部)と全国高校生グレコローマン選手権の両方で3連覇を達成と、ぐんぐんと頭角を現した。2014年に日本体育大学に進み、2年生で全日本学生選手権優勝。スペイン・グランプリというシニアの国際大会でも初優勝を飾るなど、素晴らしい戦績を残しながら、リオネジャイロ五輪を目の前に、全日本選手権で5位に終わり、残念ながら代表の座を逃してしまった。その時の悔しさを経験しているだけに、2020年東京五輪にかける想いは、相当なものだろう。
試合前のルーティンは猫カフェ
文田は、猫のように背骨が柔らかく、そり投げを得意にしていることから「猫レスラー」「ニャンコローマンレスラー」などと呼ばれている。また、愛猫家としても有名だ。
スポーツ選手は試合前に何かしらのルーティンを持っていることが多いが、文田のルーティンは猫カフェに行くことだそうだ。猫と触れ合うことで気持ちが整い、リラックスできるという。文田の鍛えられた筋肉の一方で、大の猫好きというギャップが、親しみやすさに繋がり、人気を高めているのだろう。
アスリートとしての文田の魅力は、やはり筋肉だろう。グレコローマンスタイルは、腰から下の攻防が禁じられており、上半身の攻防のみで戦う。得意技がそり投げということから、上半身が重要だと思われがちだが、実は上半身以上に重要なのが足、とりわけふくらはぎだという。相手を前に抱えて、後ろに飛ばすそり投げは、足で地面を蹴って、相手を後ろに飛ばす。試合を見る機会があったら、ぜひ文田の鍛え上げられたふくらはぎの筋肉に注目して欲しい。ただ、ウエイトトレーニングが苦手で、文田は実践練習の中でふくらはぎの筋肉を鍛えているそうだ。
身近にいる父、ライバルの存在が心の支え
「この大会のためにやってきたので、ここできっちり成績を残せたのはうれしい。普通の国際大会のように特に緊張もなく、同じ気持ちでやれた。最終的な目標は(2020年)東京五輪での金メダル」と、2017年世界選手権で初優勝を飾った文田は語っている。
ただ、スポーツ選手の毎日は、けがとの背中合わせ。2018年5月に左膝の靭帯損傷で、6月の全日本選抜選手権を見送り、「もう全部終わりだ」と、一度は心が折れそうになったという。そんな文田を前向きな気持ちにさせたのが、「けがが今年でよかった」という、父や監督の言葉だそうだ。「東京五輪まで2年ある」そこから気持ちが切り替えられたことが、11月のU-23世界選手権の優勝につながった。けがから学んだことも多く、トレーニング方法を変えたり、戦法を作り直したりしたようだ。
また、文田のもうひとつの心の支えは、身近にいるライバルの存在だという。今回の全日本選手権決勝で戦った太田は、日体大の先輩であり、練習拠点も同じ日体大だ。太田はリオネジャイロ五輪の銀メダリスト。目の前で練習している太田の姿を見ながら「あの人がやっているから、自分も手を抜けない」「どうやったら太田に勝てるか」など、常にイメージトレーニングもしているという。
東京五輪の出場切符は、2019年6月の全日本選抜選手権と2019年9月の世界選手権で決まる。12月の日本選手権では勝利を収めたが、ライバル太田も来年6月の全日本選手権に向けて万全の調整をしてくるだろう。身近なライバルの存在が、文田を東京五輪に向けてますます成長させて行くに違いない。