太田忍:「ニンジャレスラー」は4年越しの「金」に賭ける

太田忍選手

2018年10月、その男は初出場となるレスリング世界選手権を目前に控え、「最低限、優勝」と意気込んだ。しかし、結果は2回戦敗退。レスリング男子グレコローマンスタイル60 キロ級の太田忍だ。初戦はイランの選手をテクニカルフォールで退け、迎えた2回戦。カザフスタンのアイドス・スルタンガリに5-7で敗れた。終盤まで5-3でリードしながら、残り35秒で4点のタックルを決められ、試合をひっくり返された。まさかの敗戦に、試合後、「おごりがあった」と自責の言葉とともに悔しさをにじませた。

しかし、太田の目標はあくまでも東京五輪での金メダルだ。12月の全日本選手権から東京五輪に向けた代表選考が本格化する。結果によっては、自らの階級をあげることも辞さない構えだ。それだけ東京五輪への強い思いが太田にはある。

リオで躍動も、東京五輪での雪辱を誓う

その思いは2016年に遡る。リオデジャネイロ五輪に初出場した太田は、世界選手権への出場経験もない22歳の若武者。オリンピックがまさに「世界デビュー」となった。1回戦では、ロンドン五輪の金メダリスト、世界を6度制したチャンピオン、イランのハミド・ソリヤンに逆転勝ちを決める。

勢いに乗った太田は、続く2回戦はカザフスタンのアルマト・ケピスバエフを6−0、準々決勝は2014年の世界選手権3位のスティグアンドレ・ベルゲ(ノルウェー)に対して4−0とポイントを与えずに勝利。

そして、準決勝はロンドン五輪、銀メダリストのロフシャン・バイラモフ(ロシア)をフォール勝ちに仕留めた。世界の強豪を次々と撃破する快進撃に、現地リオデジャネイロ、地球の裏側で見守る日本のレスリングファンは歓喜に湧いた。

しかし、決勝は2015年の世界選手権王者、キューバのイスマエル・ボレロモリナに、残念ながらテクニカルフォールで敗れ、初出場で金メダルはかなわなかったが、太田の世界デビューは非常に鮮烈なものだったと言える。太田の銀メダルは、2000年シドニーオリンピックの永田克彦以来のことで、ロンドン五輪後の世代交代で、以降、「エース不在」と言われた日本男子レスリング界に新星が誕生した瞬間だった。

ただ、太田本人はよほど悔しかったのだろう。決勝戦翌日の記者会見では「一夜明けても悔しい。この気持ちを持ち続け、2020年の東京五輪では必ず金メダルを取りたいという気持ちになった」と飛躍を誓った。

レスリングの魅力に開眼し、すぐに才能が開花

1993年12月28日生まれ。青森県出身。綜合警備保障(ALSOK)に所属。

高校時代にレスリングをしていた父・陽一さんの勧めで小学2年の時に八戸キッズ教室でレスリングを始める。父子鷹で練習と向き合い、年中無休で汗を流した。その甲斐もあって、全国少年少女選手権大会で4連覇を達成。そんな6年間を太田本人は「イヤで、イヤで、しょうがなかった」と振り返っている。倉石中学へ進んだ太田は、1年生のときの敗戦を機に「自分の意識でやらないと勝てない」と気づき、練習に打ち込む中、レスリングの楽しさに開眼。そして全国中学選手権で連覇を成し遂げた。

高校は山口県の柳井学園高校に進学。フリースタイルではタイトルこそ獲得できなかったが、グレコローマンに挑戦し、2010年、2011年の全国高校生グレコローマン選手権を連覇。さらに2011年の「おいでませ!山口国体」少年男子グレコローマン55キロ級でも、2010年の千葉国体に続く連覇を果たした。

多くの大学から誘いがあったが、グレコローマンの強豪がひしめく日本体育大学に進学。そこで本格的にグレコローマンスタイルに転向する。2014年アジア選手権2位、2015年のハンガリーグランプリでは国際大会初優勝を飾った。持ち味である素早い身のこなしや、変幻自在に技を繰り出すスタイルから、海外で「ニンジャ・レスラー」と呼ばれ、世界的に知名度が上がったのはこのころからだ。

ライバルは大学の後輩、文田健一郎

リオデジャネイロ五輪の翌年、6 月に開かれた全日本選抜選手権で、日本体育大学の二つ下の後輩である文田健一郎に太田は敗れた。そして、8 月に文田は、パリで行われた世界選手権で日本勢34年ぶりの優勝を果たす。その後、U-23世界選手権で優勝するなど、文田は快進撃を続け、太田は男子レスリング界の主役の座を明け渡すこととなってしまう。しかし、同年12月の全日本選手権決勝で、文田の執拗な投げ技に苦戦を強いられながらも、終盤、先輩の意地を見せ、残り20秒でわずかな隙をつき、逆転勝ちで2度目の優勝を果たすと、アジア大会代表の座をつかんだ。

今やレスリング界の2枚看板となった二人。太田自身も文田のことは強く意識しているようだ。東京五輪出場に向けて、今後もこの文田健一郎が最大のライバルとなるだろう。そして、この二人の切磋琢磨こそが、これからの日本男子レスリング界を牽引する原動力になるはずだ。

混迷の代表選考、4年前の雪辱果たすための切符は手に入るのか

太田は2018年2月のアジア選手権、8月のアジア大会を立て続けにアジアを制した。また、優勝はならなかったが、ダン・コロフーニコラ・ペトロフ国際大会では、63kg級で3位に輝いた。2018年12月現在の世界ランキングは5位で好調をキープしている。しかし、10月にプタペストで開催された世界選手権では、グレコローマンスタイルは10階級に出場した日本人選手の誰もが準決勝に進めず、まさに「惨敗」に終わった。

それを受けて、世界で戦える太田、文田の2枚看板の階級を分ける案が出たほどだという。また、優勝候補として臨んだ太田自身も、2回戦でカザフスタン選手と対戦、相手の流血による度々の試合中断でリズムが作れず、苦労する展開となり敗北を喫した。

今後も混迷を極めそうなグレコローマンスタイルの代表選考レースだが、とにかく、今、太田がなすべきことは2019年の世界選手権の切符をかけて、12月20日から開催される全日本選手権での優勝だろう。2020年東京五輪グレコローマン60kg級のマットの上にライバル文田を制し、果たして太田は立つことができるのか。彼の本当の戦いはここから始まる。

Shinobu OTA

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