【アスリートの原点】リーチマイケル:1カ月予定の留学を変えたのは、日本人とのつながり。誰よりも熱いラグビー日本代表キャプテンのルーツとは

札幌山の手高校時代は実家が全焼も日本にとどまる

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
2008年、19歳の時にU−20日本代表としてラグビージュニア世界選手権に出場している

2019年秋、日本中を熱狂の渦に巻き込んだラグビー日本代表のキャプテンとして、チームの中心にいたのはリーチマイケルだった。2013年に日本国籍を取得し、南アフリカ代表に大金星をあげた2014年のラグビーワールドカップ(以下W杯)終了後には新たな目標として「ベスト8以上」を宣言。そして見事に自国開催のW杯でその思いを形にしてみせた「有言実行の男」だ。母国ニュージーランドで生まれ、日本でその才能を開花させるまでの経歴を振り返る。

5歳で地元クラブに入団。当時の夢はオールブラックス入り

1988年10月7日、のちにラグビー日本代表の中心となる男は、ニュージーランド南島の都市、クライストチャーチで生を受けた。ラグビーでの登録名は日本の姓名表記にならっており、名はマイケル、姓はリーチだ。

ともにラグビーの強豪国であるニュージーランド人の父親と、フィジー人の母親のもとに生まれ、その血にはラグビーを愛する精神が脈々と刻まれていたのだろう。5歳で初めてラグビーボールを握った時には、雷に打たれたかのような衝撃を受けたという。

ラグビーファンの母親の勧めもあって、地元のクラブチームに入団したマイケル少年は、この時すでに「大きくなったらオールブラックス(ラグビーニュージーランド代表の愛称)になる」と心に決め、部屋には母国の名選手、ウォルター・リトルやジョナ・ロムーのポスターを貼っていた。

家は決して裕福ではなかったが、4人兄弟の3番目として生まれたマイケルは、道を踏み外すことなく、心優しく育った。ラグビーをプレーするうえでは、多少その内気さが響いてしまうこともあった。それでも、母親はいつも「人に対して敬意を払いなさい」と伝えていたという。「誰をも愛し、うらんではいけない。人を尊敬すれば、自分も幸せになれる」。その教えこそが、チームメートから信頼される人望の厚さへとつながっているのだろう。

実家全焼の悲劇で感じた日本人の優しさ

15歳の時、転機が訪れる。クライストチャーチのセント・ビーズ・カレッジから留学生として来日し、札幌山の手高校に入学した。

実は当初は1カ月という短期留学の予定だったという。「すぐにニュージーランドが恋しくなって帰ってくると思っていたのに、そのまま日本に住むことになるなんてね」と、母親は笑う。

現在は189センチ105キロの巨漢だが、当時のマイケル少年はまだまだ体が細かった。試合中「あの外国人、大したことないな」と陰口を叩かれたこともあった。その悔しさをバネに、必死にトレーニングに励み、高校1年次には75キロだった体重が3年次には100キロ近くまで増加。その根性で周囲を驚かせた。

高校2年次にはニュージーランドの実家が全焼するというショッキングなニュースが届いた。幸い家族は無事だったが、思い出の詰まった生家が焼失した悲しみは計り知れない。

しかし、監督からの帰国許可が下りたにもかかわらず、マイケル少年は日本での練習に集中するという意思を示した。その真摯な人柄とひたむきな姿勢に心を動かされた仲間たちは、70万円ほどの募金をかき集め、ニュージーランドへ送った。

「僕にはもう帰る場所はない」と腹をくくっていたマイケルの決意は、この仲間たちの行動によりさらに強固なものへとなった。「絶対に日本に恩返ししたい」という日本人への感謝の気持ちが人一倍強いキャプテンが誕生した裏には、こうした出来事があった。

その後は東海大学へ進み、U−20日本代表、そして日本代表に選出され、2013年には日本国籍を取得。2014年にはキャプテンに任命され、チームに必要不可欠な存在へと成長した。7人制ラグビーでの東京五輪出場にも期待が高まる。

2019年秋に31歳となったが、4年後のフランスW杯出場にも意欲を見せている。誰よりも熱く、誰よりも真っすぐで、誰よりも日本を愛する「ニュージーランドのサムライ」は、まだまだ日本のラグビーファンに夢を見せてくれるに違いない。

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