60歳以上マラソン世界記録保持者・弓削田眞理子、64歳の尽きぬ夢

世界を見渡してみても、3時間以内でマラソンを完走した女子ランナーは弓削田眞理子をおいて他にいない。さらなる速さを追求し、弓削田は走り続けている。

1 執筆者 Shintaro Kano
Mariko Yugeta 1 courtesy BAA
(Boston Athletic Association)

60代半ばになると、多くの人の頭には定年や年金、孫といったことが浮かぶだろう。

しかし、弓削田眞理子は違う。彼女はマラソンで世界記録を更新することを考えている。

5月13日、弓削田は64歳の誕生日を迎えた。弓削田が3時間以内でマラソンを完走したのは、つい3年前のことだ。2019年11月に行われた下関海響マラソンで、42.195kmを2時間59分15秒で走り、60歳以上の女子ランナーとして世界で初めて、そして唯一、3時間を切った。

そして昨年の大阪国際女子マラソンでは2時間52分13秒を記録し、自身の持つ記録を大幅に塗り替えたのだった。

弓削田が初マラソンに挑戦したのは24歳のときの東京国際女子マラソンだ。結果は34位の3時間9分21秒。当時はサブスリー(3時間以内)で走ることは不可能に思われた。しかし、40年後の今、彼女はさらに速くなったのである。

決して諦めることはない。それが弓削田眞理子だ。

弓削田は、毎日新聞のインタビューで「初マラソン後の目標は、3時間以内でゴールするサブスリーを実現することでした」と語った。

「この目標を実現するまでなんと34年かかってしまいました。教諭の仕事は多忙で思うようにはトレーニングできず、記録は伸び悩みました」

「そんな中、25歳で結婚。26歳で長女を出産したのを皮切りに2女2男に恵まれ、子育てにも追われ一時、マラソンから遠ざかりました」

(Boston Athletic Association)

弓削田眞理子の転機

弓削田の夢は、1979年にさかのぼる。

中学から大学まで陸上部に所属していた弓削田は、大学3年だった1979年に第1回東京国際女子マラソンを観戦に出かけた。あいにくの雨模様だった大会当日、雨に打たれながらも懸命に走り、ゴールする選手たちが輝いて見え、その光景が強く脳裏に焼き付いたという。

4児の母である弓削田は、長い間マラソンから遠ざかっていたが、40歳を目前にしてランニングを再開した。

埼玉県の体育教師である弓削田は、学生時代に見た第1回東京国際女子マラソン(および第2回)の優勝者である英国の長距離ランナー、**ジョイス・スミス**から影響を受けたという。

スミスは40歳を過ぎても活躍を続け、ロンドンマラソンで2度の優勝を果たしている。2回目の優勝(1982年)は44歳195日のときで、これは現在も続く最年長優勝記録である。

1983年の第1回世界陸上競技選手権では9位。翌年のロサンゼルス1984オリンピックでは、女子選手として史上最高齢の46歳で出場し、11位に入賞した。

一方の弓削田は、練習量を増やしても3時間を切るには程遠かった。しかし、50歳で転機が訪れる。

「50歳を過ぎて、次男が高校に入って手がかからなくなったのをきっかけに、本格的なトレーニングのため東京の市民ランニングクラブに参加しました。加齢による不安もありましたが、先輩ランナーから『50代はまだまだ全然やれるから頑張って』と励まされました」と振り返る。

練習を重ねた弓削田は、2017年58歳のときに出場した大阪国際女子マラソンで念願のサブスリーを達成。2年後、60歳で出場した下関海響マラソンでは、2時間59分15秒で世界記録を樹立した。

「これまでにマラソンは114回出場していますが、還暦を過ぎても記録は伸ばしています」

115回目のマラソンは今年4月18日に行われたボストンマラソンだ。記録は3時間6分27秒。彼女にとってはまずまずのタイムだったが、ボストンマラソンを2度制した**ジョアン・ブノワ・サミュエルソン**(マラソン女子の初代オリンピック金メダリスト)との感動の対面を果たした。

弓削田の今の目標は、自己ベストから2分以上縮めて2時間50分台で走り、年齢別世界記録を塗り替えることだ。

弓削田に「無理だ」と言うのは無意味だろう。彼女は信じ、実行し、意志の力を持っているのだから。

40年もの間、彼女を突き動かしてきたものが何かを問われた弓削田は、「何でもいいから、熱中できることを見つけて打ち込むことが大事だと思います」と毎日新聞のインタビューで答え、こう続けた。

「諦めたらだめ。年齢をできないことの理由にしない。やればできると、自分を信じていくことが秘訣だと思います」

「私は24歳のときにサブスリーを夢見ました。34年かかりましたが実現し、その後、世界記録も達成しました」

「いくつになっても、夢を持って生きたいと思います」

(Boston Athletic Association)