川野将虎:意図せず競歩の世界へ──「努力する才能」で道を歩んできたぶれない男【アスリートの原点】

決して運動神経が良いタイプではなかった

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
競歩を始めたのは御殿場南高校に入学してから。高校2年次のインターハイでは2位の成績を残している

2019年10月の全日本50キロ競歩高畠大会で日本新記録を樹立し、Tokyo 2020(東京五輪)代表の座をつかんだ川野将虎(まさとら)。大会の延期により、東洋大学在学中のオリンピック出場は叶わなかったものの「さらに進化できる時間」と前向きに練習に励む。天性の努力家の原点に迫る。

さまざまなスポーツに挑戦するも結果が出なかった少年時代

川野将虎は1998年10月23日に宮崎県日向市で誕生した。出身こそ宮崎県だが、自衛官の父の転勤により、静岡県小山町で育つ。「将虎」という名は、戦国武将好きの父のアイデアによるもの。寅年生まれのため「景虎」も候補に挙がっていたが、最終的に姓名判断などを加味した結果、この名前になったそうだ。

幼いころからスポーツに親しみ、小学2年生から5年生までは柔道、中学では卓球部と駅伝部を兼部した。しかし父の公明さんは「決して運動神経が良いタイプではなかった」と振り返る。柔道でも卓球でも、目立った活躍はできていない。だが「こつこつと手を抜かず練習に取り組んでいた」と話す。駅伝部ではその真面目さゆえに、倒れるまで走り続けることもあった。

地道な努力を重ねる川野に転機が訪れたのは、御殿場南高校入学後。当時は1500メートルや5000メートルなど長距離選手として活動していたため、地区大会にも同種目で出場するつもりでいた。しかし競歩を専門としていた顧問は、5000メートル競歩にエントリー。準備不足もあり、結果は最下位に終わったが、ここから運命が転がりだす。出場選手1人が失格となり、繰り上がりで静岡県大会に進出。持ち前の忍耐力で日々の練習を積み重ねると、フォームは徐々に改善され、タイムが面白いように向上する。そこから川野は、どんどんと競歩に魅了されていく。

一気に成長を遂げた高校時代、そして名門の東洋大へ

競歩に魅了され、めざましい進化を見せた川野は高校2年次のインターハイ(全国高等学校総合体育大会)と国民体育大会で2位の成績を残す。3年次にはインターハイで3位、国体で2位に入り、全日本競歩輪島大会の10キロ競歩、そして神戸での10キロ競歩ではともに優勝を成し遂げた。さらには世界競歩チーム選手権のU-20カテゴリーで代表選手に選ばれるまでに成長した。

その裏にはアップダウンの激しい御殿場の山道を毎日のように、また週に1度は約35キロを歩く練習メニューがあった。本人にとっては決して苦しいトレーニングではなく、成長を促す努力の道だった。嫌な顔ひとつせず日々の練習に励む息子を見ていた父は、その忍耐力に感心していた。

東京五輪出場という大きな目標が少しずつ現実味を帯びてきた高校3年次、オリンピック選手を多く送り出している大学に進学したいと思うようになる。そうした時に声を掛けたのが、東洋大学陸上競技部の酒井俊幸監督だった。「オリンピックに一番近い大学」であり、競技力だけでなく人間としても成長できると感じた川野は、東洋大へ進む。

大学2年次に日本選手権50キロ競歩で日本歴代2位の記録を出してから一気にスター候補として注目されたが、2018年秋、練習中のねん挫により2カ月間ほどの離脱を強いられた。

以前のようなパフォーマンスができなくなる不安に駆られたものの、周囲のサポートを受けて復帰。2019年3月、復帰戦となった日本学生20キロ競歩で学生新記録を打ち立てる精神力の強さを見せた。同年7月、イタリアのナポリで行われたユニバーシアード夏季大会では20キロ競歩で銀メダルを獲得。それから3カ月後、全日本50キロ競歩高畠大会で3時間36分45秒という日本新記録をマークし、東京五輪行きのチケットを勝ち取った。

持ち味はぶれない体幹と、最後まで諦めないメンタルと自己分析。努力すら楽しめる男のサクセスストーリーはこれからも続いていく。

選手プロフィール

  • 川野将虎(かわの・まさとら)
  • 男子50キロ競歩選手
  • 生年月日:1998年10月23日
  • 出身地:宮崎県日向市
  • 身長/体重:177センチ/60キロ
  • 出身校:須走小(静岡)→須走中(静岡)→御殿場南高(静岡)
  • 所属:東洋大学
  • オリンピックの経験:なし

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