日本カーリング史上、男女通じて初となるオリンピック銅メダルを平昌2018で獲得し、さらに北京2022では銀メダルに輝いた女子代表チーム「Loco Solare(ロコ・ソラーレ)」でスキップを務める藤澤五月(ふじさわ・さつき)は、1991年5月24日生まれの北海道北見市出身。3人きょうだいの末っ子に生まれた藤澤は、カーリング選手だった父の影響で、兄・姉と一緒に5歳からカーリングをはじめる。
(最終更新:2023年3月14日)
藤澤は10代の頃からスキップとして所属チームを牽引し、全日本ジュニアカーリング選手権の2連覇(2008・2009)や、日本代表として出場したパシフィックジュニアカーリング選手権(2008・2009)でも連覇を飾り、世界ジュニアカーリング選手権の代表にも選出されるなど、若くして数々のタイトルや成績を残す。
高校卒業後、藤澤は地元・北海道を離れて、長野県にある中部電力カーリング部に所属し、チーム最年少ながらスキップを務め、日本カーリング選手権での3連覇達成(2011−2013)に貢献し、2013年3月の世界女子カーリング選手権(ラトビア・リガ)に日本代表として初出場を果たす(最終順位:7位)。勢いに乗っていたチームだったが、2013年9月に行われたソチ2014世界最終予選の日本代表の座をかけた選考競技会で、藤澤が所属する中部電力は北海道銀行フォルティウスに敗れてしまい、3年連続の全日本チャンピオンチームでありながら、オリンピック出場を逃すという苦汁を飲まされた。
ソチ2014閉幕後に行われた日本カーリング選手権(2014)では、ソチオリンピックの代表を務めた北海道銀行フォルティウスを破り、中部電力は4連覇を達成するも、その翌年に開催された2015年の日本選手権では、6位に終わりメダルを逃す。そして、同年3月、藤澤はスキップとしての重責を感じながら、中部電力を退社する。
失意のまま故郷の北見へ戻った藤澤は、トリノ2006とバンクーバー2010で日本代表とし出場し、日本のカーリング人気に火をつけた本橋麻里の誘いを受け、本橋が立ち上げたロコ・ソラーレ(LS北見)に加入する。そして、リードの吉田夕梨花、セカンドの鈴木夕湖、サードの吉田知那美とともに、オリンピック出場に向けて再び立ち上がる。
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