第1回オリンピックで優勝者に渡されていたメダルは、なんと銀メダル!

メダルにまつわる基礎知識や注目エピソードを紹介

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オリンピックのメダル

第1回五輪の1位は銀、2位は銅、3位は……?

近代オリンピックの第1回アテネ五輪が開催されたのは1896年のことだ。ギリシャで行われた大会には14カ国から241選手が参加し、陸上、水泳、テニス、体操(ウエイトリフティングも含む)、レスリング、自転車、フェンシング、射撃の8競技で、合計42種目が行われている。

まだオリンピック憲章が成文化されておらず、詳細な開催要項もない大会には、現在と異なる部分が少なくない。

まず、参加資格が男子にしか与えられなかった。女子選手がオリンピックの舞台に登場するのは4年後の第2回パリ大会からだ。第1回アテネ五輪の陸上トラックは今とは逆方向に進む仕様、つまり時計回りが採用されていた。水泳競技はプールではなく海で開催されていたのも注目すべき相違点だろう。

異なる部分と言えば、成績上位の選手に授与されるメダルもその一つだ。当時は金の価格が高価だったため、1位の選手に銀メダル、2位の選手に銅メダルが贈られている。3位の選手にメダルの授与はなかった。

メダルの色が順位別に金・銀・銅となるのは、第1回大会から8年後の1904年、アメリカのセントルイスで開催された第3回大会からだ。では、なぜメダルに金・銀・銅が採用されるようになったのだろうか?

その理由にはさまざまな説がある。金属の価値を考慮して、1位に金、2位に銀、3位に銅が与えられるようになったという説が一般的なようだ。一方で、ギリシャ神話における人類の歴史区分である黄金時代、白銀時代、青銅時代、鉄の時代に由来するという言い伝えもある。

第2回パリ五輪のメダルは四角形だった 

第1回大会で1位の選手に授与された銀メダルは、フランスの彫刻家であるジュール・シャプランがデザインしたもの。表面にはギリシャ神話における全能の神ゼウスと勝利の女神ニケが、裏面にはアクロポリスの神殿が彫られている。 

サイズは直径48.9ミリ、厚さ3.6ミリ、重さが68グラムと、近年のメダルと比較すると小ぶりでかなり軽量だ。現代のオリンピック・パラリンピックのメダルに関する規定と見比べればその差は歴然だろう。国際オリンピック委員会は、メダルのサイズを直径70ミリ〜120ミリ、厚さ3ミリ〜10ミリ、重量500グラム〜800グラムと定めている。 

メダルの原材料に関する最新の規定も興味深い。1位、2位のメダルは銀製で、少なくとも純度は1000分の925でなければならない。そのうえで1位のメダルには少なくとも6グラムの純金による金張りを施さなければならないとしている。つまり、金メダルは純金ではなく、銀製メダルの表面に金をメッキしたものなのだ。 

形状は丸形が原則とされているが、第2回パリ五輪の時だけは唯一四角形のメダルが授与されたという例外もある。

メダリストたちの思いが伝わるエピソード 

1936年ベルリン五輪では、日本人選手によってめずらしいメダルが生み出されている。 

大江季雄と西田修平の2選手は、他の2選手とともに棒高跳びの決勝へと駒を進めた。4選手による戦いは、アール・メドウス(アメリカ)が4メートル35をマークして金メダルを獲得、大江と西田は4メートル25で並び、2人で2位を争った。 

5時間以上にも及んだ長期戦は決着がつかず、ルール上は両者2位となるはずだった。しかし、先に4メートル25をクリアし、年長でもある西田が2位、大江が3位と大会組織委員会から発表された。 

ところが、翌日の表彰式では大江が銀メダル、西田が銅メダルを首にかけることになった。今後への期待と激励を込めて、西田が後輩の大江に2位の座を譲ったからだ。 

後日、この事実を知った大江の家族が西田へメダルの交換を提案したものの、西田は大江と相談して驚きの結論を出す。両者のメダルを半分に切断し、それぞれのメダルを接着剤で貼りつけて、銀メダルと銅メダルを合体させるという案だった。こうしてつくり出された世界に2つしかないメダルは「友情のメダル」として知られ、大江と西田の2人はオリンピックの歴史にその名を刻んでいる。 

一方、海外では獲得したメダルを売却するエピソードがいくつか注目を集めてきた。 

2016年リオデジャネイロ五輪の円盤投げ銀メダリスト、ピオトル・マラチョフスキ(ポーランド)は、同大会で授与されたメダルをオークションに掛けて最高額入札者へ売却している。 

金銭に目がくらんだ……わけではない。目に悪性腫瘍を患った男児を助けるための行動だった。手術に必要な高額な費用を少しでも負担するために、マラチョフスキは銀メダルを競売にかけて資金を集めたのだった。 

競泳選手のアンソニー・アービン(アメリカ)も2000年シドニー五輪で獲得した金メダルを売却。スマトラ沖地震の被災者のために寄付している。ボクサーのウラジミール・クリチコ(ウクライナ)も、子ども向けチャリティーのために1996年アトランタ五輪で勝ち得た金メダルを100 万ドル相当に金額で売却したという逸話を残している。

東京五輪は参加型のメダルプロジェクトを展開 

友情のメダル、チャリティーのためのメダルを筆頭に、オリンピックとパラリンピックではメダルの数だけ物語が生まれてきた。 

2020年の東京五輪では、金・銀・銅を合わせて5000個ものメダルがつくられる予定だ。5000個という膨大な数のメダルは、日本全国から集められた小型家電のリサイクル金属を原材料とする形となっている。東京2020組織委員会は、「都市鉱山からつくる!みんなのメダルプロジェクト」を立ち上げており、各家庭で使用済みの携帯電話やパソコン、デジカメなど小型家電の提供を呼びかけている。 

小型家電の機器から抽出した金属でメダルを製作するという工程は、オリンピックとパラリンピック史上初めての試みだ。 

大会のメダルデザインは、プロのデザイナーやデザインを専攻する学生らから募集している。デザインコンペティションには421人がエントリーした。オリンピックメダルとパラリンピックメダルのデザインがそれぞれ1作品ずつ選出され、2019年に発表される予定となっている。 

原材料の収集やデザインの募集をはじめ、国民参画型で製造される2020年東京五輪のメダル。日本国民の思いが込められたメダルは、オリンピック史上に新たなストーリーを生み出し、後世に語り継がれる伝説の象徴となるはずだ。

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