時速200キロ以上で急斜面を滑り降りるスピードスキー。冬季オリンピックではたった一度だけ実施【消えた五輪競技】

オリンピックの舞台で悲劇の事故が起こる

1 執筆者 オリンピックチャンネル編集部
スピードスキーは対戦型の競技ではなく、選手それぞれが最大傾斜は90%を超える急斜面を滑り降り、その速度を競い合う

100年を超える歴史を持つオリンピックにおいては「消えた競技」も少なくない。雪上で速さを競うスピードスキーもその1つだ。冬季オリンピックで行われたのは、今のところ1992年のアルベールビル五輪が最初で最後になっている。なぜ今も根強い人気を誇るスポーツはオリンピックで「廃止」の対象となっているのか──。

19世紀にはすでにアメリカ人が挑戦

スピードスキーはスキー競技の1つで、現在は速さや高さ、華麗さやアクロバティック性を競う「エクストリームスポーツ(Xスポーツ)」として注目を集めている。その名のとおり、雪上でのスピードを争う。

スピードスキーは対戦型の競技ではない。選手それぞれが最大傾斜は90%を超える急斜面を滑り降り、その速度を競い合う。400メートル前後の助走区間を滑り、その後に続く、100メートルの計測区間内の平均速度を測る形が基本だ。現在、トップクラスの時速は250キロ前後。東海道新幹線や上越新幹線のスピードにも見劣りしない。

そもそも、スキーは人類の生活に密接していた。例えば、中国北西部のアルタイ山脈では古代の人間たちがスキーをする姿を描いた岩絵が発見されている。スキーを履いて山羊を追う人間の姿も見られる。いわばスキーは移動や狩猟など日常を支える道具だった。

一方、スピードスキーは日常生活とはまるでかけ離れている。カーレースになぞらえられ「スキー界のF1」とも呼ばれるスピードスキーは、高速の乗り物並みの速度で見る者を盛り上げる。まさに人間離れした異次元のスポーツと言っていい。

競技としてのスキー、その始まりの1つは、ノルウェーの軍隊にあると考えられている。19世紀中頃、スキー連隊を持つ同国は訓練のために大会を実施。1870年代には市民の間でもスキー大会が開かれたとされている。

こうした時代背景もあって、スピードスキーが誕生するまで長い時間はかからなかった。1867年にはアメリカのロッティー・ジョイという女性スキーヤーがスピードスキーに挑戦。1874年には同じくアメリカのトミー・トッドという男子スキーヤーが急斜面を滑り降りている。

1960年代には三浦雄一郎らが挑戦

最初の公式大会が行われたのは1930年という説が有力だ。スイスの保養地の1つであり、スキーを含むウインタースポーツが盛んなサンモリッツという自治体で開催された。翌1931年にも同じ場所で大会が実施されている。1947年にはイタリアのチェルビニア、1955年にはスペインのポルティージョという都市で公式大会が開かれた記録が残されている。

スピードスキーの人気が急上昇したのは1960年代だ。従来の合板よりスピードが出やすいメタルやグラスファイバーのスキー板の登場が1つのキッカケと考えられている。1960年、1963年、1964年、1968年に、イタリアのチェルビニアで国際大会が行われた。

1964年の大会にはプロスキーヤー兼冒険家として知られる三浦雄一郎が日本人として初めてスピードスキーの大会に参戦。時速172.084キロという当時の世界新記録を打ち立てたと語る。日本人としては森下勝(まさる)が1970年にチェルビニアで行われた世界スピードスキー選手権大会に参加し、時速183.392キロというタイムで世界新記録を塗り替えている。

1970年代、スピードスキー界を第一線で牽引したのはアメリカ人のスティーブ・マッキニーだ。1974年に記録した時速189.473キロを含め、何度かワールドレコードを更新している。1978年には時速200.222キロという記録を打ち立て、スピードスキー史上初めて時速200キロの壁を越えてみせた。

1992年のアルベールビル五輪で公開競技に

時速200キロ超という驚異的な競技は、たった一度だけ冬季オリンピックで実施されている。1992年、フランス開催のアルベールビル五輪においてスピードスキーは公開競技として行われた。

男子で金メダルを獲得したのは地元フランスのミカエル・プルファー。時速229.299キロという世界新記録で表彰台の頂点に立った。フランスのフィリップ・ゴワシェルが時速228.717キロで銀メダル、アメリカのジェフリー・ハミルトンが時速226.700キロで銅メダルを勝ち取っている。女子ではフィンランドのタルヤ・ムラリが時速219.245キロで金メダルを奪取。ノルウェーのリス・ペーターセンが銀メダル、スイスのレナータ・コラロバが銅メダルを勝ち取った。

男女合わせて60人以上が参加したアルベールビル五輪のスピードスキーは、大会の記録以上に悲劇の記憶としてオリンピック史に刻まれている。閉幕間近、男子競技に参加していたスイス人のニコラ・ボシャテーが練習中の事故で亡くなったのだ。本番に向けてトレーニングしていた際、コースを整備する専用車に激突するというアクシデントだった。

不慮の死亡事故が及ぼした影響は決して小さくなかった。アルベールビル五輪以降、スピードスキーは冬季オリンピックに一度も採用されていない。

同時に、生死をも左右する競技であるスピードスキーはアルベールビル五輪後もワールドカップや世界選手権が行われており、急斜面で最速をめざす挑戦は今も続いている。2020年12月1日時点で男子の世界記録は2016年にイタリアのイバン・オリゴーネがたたき出した時速254.958キロ、女子の世界記録は同じく2016年にイタリアのバレンティーナ・グレッジョがマークした時速247.083キロとなっている。

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