AKATSUKI JAPANの大黒柱、渡邊雄太について知っておきたい5つのこと

執筆者 Hirotaka Hikoi
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写真: 2023 Getty Images

男子バスケットボール日本代表「AKATSUKI JAPAN」は、2023年8月から9月にかけて開催されたFIBAバスケットボールワールドカップ2023(沖縄)で、アジアで最上位に入り、モントリオール1976以来48年ぶりとなる自力でのオリンピック出場枠をつかみ取った。

パリ2024オリンピック出場を決めた瞬間、日本代表選手たちは抱き合い涙して喜び、日本列島は歓喜の渦に包まれた。いまだ興奮冷めやらぬ中、パリ2024を目前に控えたAKATSUKI JAPANのさらなる躍進に注目が集まる。

2011年以来、男子バスケットボール日本代表として戦ってきた渡邊雄太。7月27日から始まるパリ2024でもAKATSUKI JAPANの大黒柱として活躍が期待される。ここでは、日本バスケットボール界の立役者、渡邊雄太について知っておきたい5つのことを紹介する。

子どもの頃からの夢のステージ「NBA」

2024年4月、来季から日本でプレーすることを表明した渡邊は、2018年からの6年間、子どもの頃からの憧れだったNBAでプレーした。

2013年3月に高校を卒業した渡邊は、渡米して留学。NCAA(全米大学体育協会)1部のジョージ・ワシントン大学(ワシントンD.C.)に進学後、チームの主力としてキャリアを積み上げ、NBAを目指した。

大学卒業後にはブルックリン・ネッツのサマーリーグに参加。そして2018年7月、NBAメンフィス・グリズリーズと契約を結び、2018-19シーズンから田臥勇太さん以来となる日本人2人目のNBA選手としてプレーした。努力に努力を重ね、ついに夢をつかみ取った。

グリズリーズと並行してプレーしたNBA傘下のゲータレード・リーグ(Gリーグ)、メンフィス・ハッスルで活躍した後、2020-21シーズン前の12月、カナダに本拠内を置くNBAチーム、トロント・ラプターズと契約。同シーズンでは、渡邊のNBAキャリアの中でも最高の成績を残しチームに貢献した。ラプターズで2シーズンを過ごした後、2022年8月にはサマーリーグに参加した経験のあるブルックリン・ネッツに移籍し、ここでも活躍を続けた。

2023年7月にフェニックス・サンズに移籍。2024年2月には古巣のグリズリーズに戻り再びプレーしたが、その後、NBAでのキャリアを終えることになった。NBAでは全213試合に出場。平均出場時間13.3分。1試合平均得点4.2ポイントを記録した。

日本人選手として最長となる6シーズンをNBAで戦い、渡邊は「いろいろあったけど最高の6年間でした。小さな頃からずっと思い描いていた夢を成し遂げた自分を誇りに思います」と、自身のSNSでつづった。

日本代表として経験した悔しさと手ごたえ

渡邊は、2011年、高校生ながらバスケットボール男子日本代表として初選出された。NBAへの夢を描きながら世界の舞台での躍進を志した。

日本代表メンバーのひとりとして出場した2013年FIBAアジア選手権では全15チーム中9位。2016年のリオ2016の世界最終予選ベオグラード大会では、2試合戦ったが全敗して最下位となり、オリンピック出場を逃した。2019年FIBAワールドカップ中国大会では、アジア予選を経て出場したものの5戦全敗。出場した全32チーム中31位の厳しい結果だった。

NBAに籍を置きながらも、日本代表にかける情熱と貢献はどんな時も忘れなかった。そして、自国開催によって出場した2021年の東京2020では3戦全敗を喫し、全12チーム中11位に終わった。

この時キャプテンとして日本代表をけん引した渡邊は、予選ラウンド最終戦となったアルゼンチン戦で敗北した後、タオルを頭から掛けベンチで涙を流した。「今回悔しい事に3連敗で終わってしまい、まだまだ世界の強豪国に勝つだけの力は足りなかったと実感しました」と自身のSNSで振り返り、悔しさをにじませた。しかし、「やっと世界の強豪国相手に戦うための一歩を踏み出せた、そう感じた(東京)オリンピックでした」と前を向いた。

この時、渡邊の中には、次のワールドカップ、そしてパリオリンピックに向けて、すでに新たな覚悟と決意が芽生えていたのだろう。

日本代表の渡邊雄太(#12)、男子バスケットボール予選ラウンド・グループC最終戦でアルゼンチン代表に敗れる/ 2021年8月1日さいたまスーパーアリーナ (Photo by Gregory Shamus/Getty Images). (Photo by Gregory Shamus/Getty Images)

写真: 2021 Getty Images

沖縄の熱い夏/FIBAワールドカップ2023

日本バスケットボールに新たな歴史の1ページが刻まれたFIBAワールドカップ2023。AKATSUKI JAPANの属するグループEの会場となった沖縄は、応援するファンの熱気と興奮に包まれた。

2023年9月2日、パリ2024出場枠獲得のために必要なアジア1位の座をかけて戦った最終戦、カーボベルデ代表チームとの試合では、チームの大黒柱、渡邊は40分間フル出場し攻守にわたりチームを支え戦い抜いた。その結果、日本バスケットボール史上ワールドカップ最多勝利となる3勝を挙げ、パリの切符をつかみ取った。これは、予選を勝ち抜くことによるオリンピック出場として、モントリオール1976以来48年ぶりとなる歴史的快挙だった。

渡邊は、ワールドカップ2023全5戦に出場し、その平均出場時間は35分を超えた。この数字は、同大会に出場した全選手の中でも3位にランクされるほど、チームへの貢献度の高さが際立っている。3ポイントシュートとディフェンス力が強みのオールラウンダーとしてコートに立つ渡邊。1試合あたりの平均得点では日本代表2番目の14.8得点を挙げ、同平均ブロック数1.8は出場した全選手の中でも第3位の成績だった。また、パリ出場を決めたカーボベルデ戦では、チーム最高の10リバウンドをもぎ取り、チームの勝利に大きく貢献し、沖縄の会場を大いに盛り上げた。

AKATSUKI JAPANの中で特に存在感の大きい渡邊。パリ2024でもチームの支柱として、AKATSUKI JAPANをより高みへと導いてくれることだろう。

渡邊雄太の涙

2023年8月27日、ワールドカップ1次ラウンド第2戦、フィンランド代表との1戦。この日、日本バスケットボールは世界の壁をひとつ越えた。17年ぶりとなるワールドカップでの勝利、欧州勢から59年ぶりとなる1勝を挙げ、会場のファンを熱狂させた。

2019年ワールドカップ、東京2020では1勝もできなかった。今回のワールドカップ前の8月19日、国際強化試合が行われた後の壮行会で、渡邊は「代表として結果を今までずっと残せていなかったので、このチームでパリに行けなかった場合、今回で代表活動は最後にしようと思っています。それぐらい本気で僕は今回の大会に臨んでいます」と話していた。

この言葉が12人のチームメンバーの心に熱い炎を灯し、ファンの心に響いた。ここから日本バスケットボールの新たな歴史の扉が開き始めた。

9月2日、カーボベルデ代表チームとの最終戦。渡邊は、1秒たりとも降りることなくコートに立ち続け、献身的にチームを支え鼓舞し、自らのバスケットボール人生をかけて走り続けた。勝利のブザーが鳴り響いた瞬間、渡邊は身を屈めて歓喜の涙を流した。その渡邊に河村勇輝はウイニングボールを渡した。コートの上で206cmの大男が男泣きする姿に日本中のファンは胸を打たれた。約13年にわたり日本代表として戦い、チームを引っ張ってきた渡邊にとっては特別な思いがあったのだろう。

「最高です。このためにみんなこの数か月、大変な思いをしながらがんばってきたので、やっと報われた気がします。(代表活動について)今回が最後になるんじゃないかと…」と、渡邊はパリを決めた試合直後に会場内のインタビューで話し、あふれる思いをかみしめた。「本当にしんどい時でも…みんながんばってくれたのでみんなのおかげです。本当に感謝しています」と、持っていた国旗で涙を抑え、「沖縄のみなさんが盛り上がってくれたおかげで、僕もまだまだこのユニフォームを着てプレーすることができます。ここまでがんばってきてよかったと思います…」と涙で言葉を詰まらせた。

その後の取材エリアでは、「今までしんどい時期の日本代表を支えてくれた先輩方も含めて全員の勝利だと思います。まだまだ日本代表でやりますよ!」と渡邊は笑顔で話し、「レッツゴー!パリ行くぞ!」と雄叫びを挙げた。

FIBAワールドカップ2023最終戦で勝利してパリ出場をつかみ取り、歓喜の涙を流す渡邊雄太 (Photo by Takashi Aoyama/Getty Images)

写真: 2023 Getty Images

パリに向けて、チームと自分自身の成長を信じて

パリ行きの切符を獲得したカーボベルデ戦の後のロッカールームで、「引退しないでしょ?」とのトム・ホーバスヘッドコーチ(HC)はじめとするチームの問いかけに、「引退するわけねぇだろ!死ぬまでやるよ、死ぬまで!」と歓喜に満ちた言葉を返している。また、この6月、「次のLA(ロサンゼルス2028オリンピック)はもちろんその後もブリスベンも目指すって約束したよね」と、2019年のワールドカップから苦楽を分かち合った盟友、比江島慎がパリ大会を集大成としていることに触れ、渡邊は自身のSNSでコメントした。

渡邊は、6月に左ふくらはぎの肉離れを起こし、7月の大韓民国チームとの強化試合には出場できなかった。しかし、ベンチ脇から、終始、立ち上がっては選手を鼓舞し、タイムアウトではチームの輪に入って声を掛けた。渡邊は、NBAを経験した選手だからといってスターを気取ることはなく、渡邊らしく泥臭い役割も買って出てチームに貢献する。シュートが決まらなければディフェンスで戦う。チャンスがあれば自らドリブルで持っていきダンクを決める。「オールラウンダー」と言えばそうであるが、渡邊自身はそれを目指しているわけではない。チームの勝利に献身的になった結果そうなっただけだ。これはベンチにいてもコートにいても同じことなのだろう。

強化試合前の6月下旬、AKATSUKI JAPANが都内で第3次強化合宿を行った際、キャプテンの富樫勇樹は、報道陣の取材に応じ、「オンコートもそうだがオフコートでも(渡邊)雄太の存在はチームにとって大きい。1か月一緒にチームを作っていく上で大事な存在だった」と渡邊の存在の大きさを改めて強調した。「(けがを治して)戻ってきてくれると信じています」と渡邊へ期待を込めた。

ホーバスHC率いるAKATSUKI JAPANのパリでの目標はベスト8進出。日本代表のオリンピックでの過去最高順位であるベルリン1936での9位を超え、歴史を変えることだ。「みんなを信じて。自信をもってトライ!」と選手を鼓舞するホーバスHCの声を渡邊もしっかり受け止めていたに違いない。チームを信じ、自らを信じ、パリの舞台に立つ自分の姿を思い描いているはずだ。

今年5月、渡邊は出身地である香川県三木町の母校、尽誠学園高校で生徒の前で話し、「成長が止まったから壁にぶつかるのではなくて、自分が成長しているから壁にぶつかる」と話していた。渡邊の前には何度も壁が立ちはだかった。世界大会で1勝もできない時が続いた。けがで苦しんだ時もあった。NBAでは崖っぷちに立たされてもあきらめず前だけを見た。7月に日本テレビが公開した田臥勇太さんとの対談の中で渡邊は「メンタル面での成長」を挙げている。

7月27日のドイツ代表との初戦で、さらに成長した渡邊が、再びチームの大黒柱としてコートの中で存在感を示すことをファンは心待ちにしている。

2024年7月5日、日本代表国際強化試合、大韓民国戦でチームを鼓舞する渡邊雄太/東京有明アリーナ (Photo by Takashi Aoyama/Getty Images)

写真: 2024 Getty Images

渡邊雄太(わたなべ・ゆうた)

  • 生年月日:1994年10月13日(29歳)
  • 出身地:香川県木田郡三木町
  • 身長:206cm
  • ポジション:スモールフォワード#12
  • オリンピック歴:東京2020オリンピック
  • ソーシャルメディア:XInstagramFacebook

※年齢は2024年7月26日パリ2024オリンピック開会式当日を基準とした。

パリ2024代表枠を獲得して歓喜するAKATSUKI JAPAN/2023年9月2日、 FIBAワールドカップ2023カーボベルデ代表チーム戦で勝利 (Photo by Takashi Aoyama/Getty Images)

写真: 2023 Getty Images