元IOC会長のジャック・ロゲ氏が逝去

2001年から2013年まで会長を務めたIOC名誉会長が、79歳で永眠。

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国際オリンピック委員会名誉会長の**ジャック・ロゲ伯爵博士**が、79歳で逝去した

ロゲ氏は、第8代国際オリンピック委員会会長として、2001年から2013年まで同委員会を率いた。

ロゲ氏は、整形外科医であり、スポーツ医学の学位を持っていた。

卓越したスポーツマンであったロゲ氏は、セーリングのフィン級でベルギー代表として3度のオリンピックに出場(1968年、1972年、1976年)。また、1976年には世界チャンピオンに輝き、ラグビーでは10回の国際大会出場を果たした。

アスリートとして活躍した後は、ベルギーオリンピック委員会や欧州オリンピック委員会の会長を務め、IOC会長就任後は国連の青少年・難民・スポーツ担当特使を務めた。

ロゲ氏は会長として、ソルトレークシティ2002、アテネ2004、トリノ2006、北京2008、バンクーバー2010、ロンドン2012を監督した。

トーマス・バッハIOC会長は、ロゲ氏の人生を振り返り、次のように述べている。「ジャックは、何よりもまず、スポーツを愛し、アスリートと一緒にいることを愛していました。彼のスポーツに対する喜びは周りに伝わっていました」

「ジャックは、IOCの近代化と変革に貢献した優れた会長でした。特にユーススポーツを擁護し、ユースオリンピックを発足させたことは記憶に新しいところです。彼はまた、クリーンなスポーツの猛烈な推進者であり、ドーピングの弊害に対して絶え間なく戦っていました」

バッハ会長は「IOC委員に選出されて以来、私たちは素晴らしい友情を共有し、それは彼の最期の日まで続きました」と続けた。

「オリンピック・ムーブメント全体は、偉大な友人であり、スポーツの情熱的なファンであった彼の死を深く悼みます」

敬意を表して、オリンピック・ハウス、オリンピック・ミュージアム、そしてすべてのIOC施設で今後5日間はオリンピック旗の半旗が掲揚される。

ジャック・ロゲ氏の経歴

ヘントで生まれたロゲ氏は、整形外科医としての誇りを持ち、医師として学んだ技術をスポーツ管理者としてのキャリアに活かした。

「外科医からは、人生の不確実性や野心の弱さなど、必要な謙虚さを学んだ」とロゲ氏はThe Independentのインタビューで語った。

「あのような権力を持つ立場の人にしては珍しく、彼はとてもまともな人のようだ」 - ジャック・ロゲ氏について語るオリンピックチャンピオンのジョナサン・エドワーズ

アンチ・ドーピング

ロゲ氏は、1980年代にベルギーのオリンピックチームを率い、1989年からはベルギーオリンピック委員会の会長を務めた。

また、IOC会長時代には、アンチ・ドーピング・システムに信頼を寄せ、ドーピング撲滅のために多くの時間と資源を投入した。

「私はいつも、ドーピングはスポーツにとって、社会にとっての犯罪と同じだと言っています。ドーピングをしようとする人を止めることはできませんが、少なくとも現在は厳格に抑止できています」とロゲ氏は語った。

オリンピックムーブメントの発展

ジャック・ロゲ氏は、1989年から2001年まで欧州オリンピック委員会の会長を務めた後、1998年にIOC理事会に参加。

2001年にはファン・アントニオ・サマランチ氏の後任としてIOC会長に就任した。

在任中の2010年には、ロゲ氏が発案した「第1回ユースオリンピック」がシンガポールで開催された。

その目的は、世界最高の若いアスリートたちを集め、彼らにオリンピズムを伝えることだった。

「彼らは未来のスターです。彼らに最高レベルで競い合う可能性を与えると同時に、教育プログラム、ドーピング撲滅、怪我の予防など、発展途上のアスリートにとって非常に有益な情報を提供したいと考えています」とロゲ氏は語った。

IOC会長としての任期を終えるにあたり、ロゲ氏はBBCから遺産は何かと聞かれ、こう答えた

「それは他の人が判断することです。しかし、IOCは私が就任したときよりも強くなっていると思います」

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