世界ランキング9位。上位8名によるワールドツアーファイナル出場こそ逃した西本拳太だが、2018年12月8日に開幕した国内最高峰のS/Jリーグ(旧日本リーグ)に出場し、貫録の勝利を収めた。国際大会での優勝を目標に、現在、BWFワールドツアーを転戦する西本は、世界ランキング上位定着を目指している。
インカレ3連覇、オリンピック出場目前まで迫るも…
西本拳太は1994年8月30日、三重県伊勢市に生まれる。バドミントンを始めたのは8歳の頃から。小学4年生の時に、第5回全国小学生ABC大会で敢闘賞、第7回でベスト4という成績を残している。中学校は地元の伊勢市立小俣中学校に進学。中学3年生の時、第39回全国中学校バドミントン大会でベスト4という結果を残す。この大会の準決勝で西本を破り、優勝を果たしたのは、同い年のライバル・桃田賢斗だった。
地元を離れ、高校はバドミントンの名門埼玉栄高校に進学する。2年生のときに、青森県で行われた全国高等学校総合体育大会(インターハイ)に団体メンバーとして出場。チームの連覇に貢献する。そして、3年生で迎えた2012年のインターハイ(福井)では、団体で優勝、シングルスでベスト4の成績を残す。このときに準決勝で西本の前に立ちはだかったのが、またもや桃田だった。そして2012年12月、翌年のナショナルメンバーに初めて選出され、2012年ロンドン五輪のエース田児賢一や、すでにナショナルメンバー入りしていたライバル桃田らと肩を並べた。
2013年4月、桃田は田児が所属するNTT東日本に入社した。一方の西本は中央大学へと進学。ここで西本の才能が開花する。1年生のときに第64回全日本学生バドミントン選手権大会(インカレ)男子シングルスで優勝を果たすと、第65回、第66回と3連覇。また、ナショナルメンバーの一員である西本は、国際大会にも参加するようになる。リオデジャネイロ五輪の直前、2016年4月段階での世界ランキングは42位。日本勢3位につけ、すでにA代表に昇格しており、オリンピック出場が狙える状況だった。
ところが、2016年4月、日本バドミントン界に衝撃が走る。リオデジャネイロ五輪出場が確実視されていた桃田と田児が、違法カジノ店で賭博行為をしていたことが発覚したのだ。その後の調査で、現役4選手と元選手の2名も関与したことが判明。そして西本は、違法性を認識しておらず、賭博行為については否定しながらも、2015年に2回、違法カジノ店に行ったことを申告。西本は日本バドミントン協会からA代表の指定を解除され、オリンピック出場を断念することになった。
リオデジャネイロ五輪で、バドミントン日本代表は、女子ダブルスで高橋礼華・松友美佐紀の“タカマツ”ペアが金メダルを獲得、シングルスで奥原希望が銅メダルを獲得と大活躍する一方で、男子はシングルスの佐々木翔が予選敗退、ダブルスで早川賢一・遠藤大由ペアがベスト8という結果に終わった。
謹慎処分から復活、アジア大会で銅メダルを獲得
A代表から外れ、大学から1カ月の謹慎処分を受けた西本は、その後、より一層競技に専念するようになった。2016年10月、グランプリゴールド(GPG)のタイ・オープンに出場してベスト4。直後に行われた第67回インカレは、4連覇を目指すも、中央大学の後輩・五十嵐優に敗れて、準優勝に終わる。
11月にマレーシア・インターナショナルチャレンジ(IC)に出場。2回戦で五十嵐に勝利を収め、インカレの借りは返したものの、4回戦で敗退。11月にアメリカで開催されたヨネックス/K&DグラフィックスICはベスト4。そして、迎えた第70回全日本総合選手権大会。日本一を懸けたこの大会で、西本は順当に勝ち残り、試合出場停止処分を受けた桃田不在とはいえ、準決勝で上田拓馬、決勝で坂井一将を下して初優勝を果たし、A代表に復帰した。
大学を卒業した西本は2017年にトナミ運輸バドミントン部に入部。国内の「S/Jリーグ」に参加しながら、国際大会を転戦している。5月にオーストラリアのゴールドコーストで開催された第15回スディルマンカップでは、団体の一員としてベスト4に貢献する。7月のカナダ・オープン(GP)では復帰した桃田に敗れてベスト4。10月に行われたBWFスーパーシリーズのフランスオープンで準優勝という結果を残す。第71回全日本総合選手権で連覇を目指した西本だったが、決勝でトナミ運輸の先輩、武下利一に敗れて準優勝となった。
世界バドミントン連盟(BWF)は2018年、従来の「BWFスーパーシリーズ」に代えて、「BWFワールドツアー」をスタートさせた。西本は1月のマレーシアマスターズ(スーパー500)で準優勝。そして、5月にタイのバンコクで開催された第30回世界男子バドミントン選手権大会(トマス杯)に、桃田らとともに団体の日本代表として出場。準決勝で対戦した前回王者デンマークとの一戦では、持ち前の粘り強さを発揮して勝利を収めるなど、グレード1のメジャー大会でも活躍し、日本の準優勝に貢献した。
その後、6月のマレーシアオープン(スーパー750)、7月のインドネシアオープン(スーパー1000)は1回戦敗退。タイオープン(スーパー500)は2回戦敗退。7月下旬から中国・南京で開催された第24回世界バドミントン選手権大会も3回戦で敗退するなど、苦しい戦いが続いたが、それでも8月にインドネシア・ジャカルタで開催された第18回アジア競技大会では、団体と男子シングルスで銅メダルを獲得するなどの健闘も見せている。
身近にいる同い年の最強ライバルが西本を強くする
アジア大会後も西本のBWFワールドツアー転戦は続く。9月の中国オープン(スーパー1000)は桃田に敗れて2回戦敗退したが、韓国オープン(スーパー500)ではベスト4に進出。10月のデンマークオープン、フランスオープン、11月の福州中国オープン(すべてスーパー750)は2回戦敗退だった。なかなか結果を残せない大会が続いたが、西本は香港オープン(スーパー500)で準優勝し、世界ランキングを桃田に次ぐ日本人2位の9位にまで上昇させた。
12月2日、第72回全日本総合選手権決勝。その年の日本一を決める頂上決戦の舞台に立ったのは、2年ぶり2度目の優勝を狙う西本と、3年ぶり2度目の優勝に賭けるライバルの桃田だった。第1ゲームを桃田、第2ゲームを西本が取り、イーブンで迎えた第3ゲーム、序盤でポイント重ねた桃田が先行し、絶妙なフェイントで西本を翻弄、レシーブが甘くなった西本に対して鋭いスマッシュを繰り出し、76分という激闘を制した。最後は世界ランキング1位の実力を桃田が見せつける結果となった。
しかし、西本の世界ランキングも一桁台の9位にまで上げてきている。二人は1994年生まれの同世代。もっとも身近にいる最強のライバルが、この先、西本をさらに強くするだろう。この二人の活躍が日本男子バドミントン界をけん引することは間違いない。