「水中の格闘技」と呼ばれる水球。その起源に関する記録はあまり残されていないが、「水中フットボール」がルーツだと考えられている。ラグビーとサッカー、イングランドとスコットランド、英国式と米国式。紆余曲折を経て、現在のルールとなった水球の歴史、そして強豪国の変遷を紹介する。
■水球は何から起こった? いつから競技化?
水球、英語で「ウオーター・ポロ」と呼ばれる競技は、馬に乗って行われる「ポロ」と無関係だと考えられている。「ポロ」はボールを意味するインド語の英語読み。水上に浮かべた樽にまたがり、スティックでボールを打つゲームが「ウオーター・ポロ」という名称の由来とされるが、現在行われている水球は「フットボール・イン・ザ・ウオーター」と呼ばれる“水中ラグビー”が起源だとされる。
“水中ラグビー”は少なくとも1860年代から行われていた記録が残されている。ただし現在のルールとは異なり、決められた地点までボールを運ぶというものだった。その結果、水中で手段を選ばない、凄絶とも表現できるような激しい方法でボールの奪い合いが行われたため、1870年にロンドン水泳協会が最初のルールを制定する。最初に「ウオーター・ポロ」という名称が使われた試合は、1973年にクリスタルパレス(イギリス・ロンドン)で行われた。現在も水球は「水中の格闘技」と称されるが、この試合も激しい肉弾戦が展開されていたようだ。
現在のようなスタイルは、1880年代のスコットランドでトラジオン・ストローク(クロールの原型となった泳法)が採用されたことがきっかけとされる。従来のラグビースタイルからサッカースタイルとなり、ゴールにボールを入れることで得点、といったようにルールを変更。スコットランドで採用されたルールは、イングランドでも普及する。
イギリス以外で最初に水球が普及したのは、アメリカ合衆国だった。1888年、ボストン運動協会で、イギリス人指導者がチームを組織。その後、各地でクラブチームが設立される。米国では当初、古いイングランドスタイルのルールが適用されたものの、その後、独特の進化を遂げる。スコットランドスタイルのルールが導入された後も、米国流のアグレッシブなルール(ラグビー型)は残されることとなった。
オリンピックにおける水球は、1900年の第2回パリ大会から正式採用されている。しかし1904年のセントルイス大会は、米国式ルールが採用されたため、米国以外のチームは不参加。米国のクラブチームによる対戦が行われたものの、正式なオリンピックゲームとは認められていない。水球は第1回と第3回を除いた近代オリンピックで実施され、2000年のシドニー大会からは女子種目も加わった。
■水球の強豪国とその背景は?
オリンピックの水球競技は非公認となった第3回大会を除き、1920年の第6回アントワープ大会まで、イギリスが連覇を続ける。水球は1911年、FINAによってルールの統一が行われると広く普及し、アントワープ五輪では12カ国が参加。1928年のアムステルダム大会で銀メダルを獲得したハンガリーは、1932年のロサンゼルス大会を皮切りに、9つのオリンピック金メダルを獲得することとなる。第2次世界大戦後は、ユーゴスラビアが台頭。ユーゴスラビアは1990年代の内戦を経て各共和国が独立するが、セルビアやクロアチアは現在においても強豪国となっている。女子は米国がオリンピック2連覇、世界水泳3連覇を継続中。これにイタリアなどのヨーロッパ諸国やオーストラリアが続く。
こうした国々が強い背景として、しばしば手足が長いといった身体的優位や、水泳設備が充実していることなどが挙げられる。加えてイタリアや旧ユーゴスラビア諸国では水球の競技としての人気が高く、ヨーロッパではチャンピオンズリーグなど、国をまたいだクラブチーム同士による国際トーナメントも行われていることが、競技のレベルを上げている最大の要因と考えられる。
■どんなリーグや大会がある?
オリンピック、世界水泳選手権大会、ワールドカップ、ワールドリーグが、水球の四大大会と言われている。オリンピックとW杯は4年に一度、世界水泳は2年に一度の開催で、ワールドリーグは毎年開催される。
水球はサッカーなどと同様に、クラブチームでの活動がメインとなる。イタリアなどのヨーロッパ諸国はもちろん、日本でも日本水泳連盟(JASF)による大会のほか、水球リーグが行われている。