重力に逆らうようなジャンプ力で相手選手を圧倒する20歳の若き左スパイカーは2021年の夏に狙いを定めている。
バレー男子日本代表チームに突如現れた新星は昨年秋の2019年バレーボールワールドカップで多くの注目と驚きを集めた。
20歳の左利きである西田有志はこの大会で全体3位となる174ポイントを挙げた。西田は29本のサービスエースを決め(20本以上を決めた唯一の選手)、大会トップサーバーとスパイカーの両方に選ばれた。西田の活躍はワールドカップで日本代表チームを4位に導き、それは同国の過去28年間での最高成績となった。
そして西田は自身の挑戦は始まったばかりだと語った。新型コロナウイルス感染拡大の状況があろうとなかろうと、である。
「オリンピックまでは時間があるように見えるけど、本当はそれほどではありません」と西田は7月の日本代表チーム合宿前の記者会見で答えた。
「その中でどれだけレベルアップできるのかというのは自分次第だと思います。いい結果を求めたいのであれば、苦しい状況の中でもレベルアップしていくことが必要不可欠です」
飛躍と挑戦
日本代表のチームメイトである石川祐希選手はスターへの階段を足早に駆け上った。それに比べると、西田の場合は学生時代を楽しく日々を送ることを選んだ。全日本バレーボール高等学校選手権大会(春高バレー)への出場経験は一度もない。
西田は兄と姉の影響で幼稚園の頃にバレーボールを始めた。高校進学時には日本全国からの強豪チームからスカウトを受けたが、地元三重県で高校生活を送ることを選んだ。
全国大会には進めなかったものの、西田には高校在学時からすでにプロバレーボール選手への道が開けた。西田はVプレミアリーグでプレーすることを選び、それをこれ以上ないほどのスピードで達成した。
西田の身長は186センチで、このスポーツの標準からすると、けっして恵まれた体格であるとは言えない。しかし、垂直跳び1メートル以上だとも言われるジャンプ力は日本人選手の中では類を見ないほどの高い打点を生み出す。
2018年1月には西田はジェイテクトSTINGSに入団するチャンスを得て、Vリーグでデビューした初の高校生選手となった。その5月には日本代表チームから召集を受け、以来その座を失っていない。
東京オリンピックを見据えて
8歳の時に2008年北京オリンピックを観戦して以来、西田にとってオリンピック出場は目標であり続けている。そして、2020東京オリンピックの延期が決定するまでは、その夢はこの夏に実現するはずだった。
「オリンピックが今年なくなったということでショックはありましたが、オリンピックは開催されるという思いを持っているので、気持ちのところでは変わりはないですし、より一層気合いが入りました」と西田は言った。
「延期に対してよくない感覚もありましたが、起こってしまったものはどうしようもない。それをどうプラスに捉えるのか考えた時、あと1年成長できるんだとポジティブに考えるようになりました」
西田の現在の成長ぶりを見ると、日本にこれ以上留まるのは長くはないかもしれない。海外にも西田のファンは数多く、イタリアのイバン・ザイツェフまでもが西田に昨年のVリーグ優勝を祝うメッセージをインスタグラムで送ってくるほどだ。
だが、その前に西田にはやることがある。それは1972年ミュンヘン・オリンピックでの金メダル以来となるオリンピックメダルを日本にもたらすために全力を尽くすことだ。
「いろいろなところでオリンピックがあるかないかと言われていますが、自分たちはこれから先どうなるのかわからないので、先を見るよりも、今この1日をどう過ごすのかを考えて取り組むことが後々いい方向につながると思います。この1日で自分がどこまでできるのかということを試されていると思って、1日をしっかりと過ごすことが大切なのかなと思います」
原文:Japan's Nishida Yuji on high trajectory to Tokyo 2020
翻訳:角谷剛